DEEP SEAα

ココロの軌跡

法華経に聴く

2008-11-04 | 言の葉の海



 






法華経を語ることは仏教を語ること
仏教には万巻の経論があり どの経文も釈尊が説かれた仏の教えであるからこそその価値に軽重はない
しかし 聴聞者の能力 性別 年齢 健康状態など さまざまな条件により説き方は異なる
元気溌剌 頭脳明晰な人に対する説法とでは 自ずからその内容が異なるのは当然である
修行や学問を奨励する経文もあれば ただそのままお任せして助けていただく経文もある



それらを総合して一切経と呼ぶが 法華経は総ての立場の人びとを聴聞衆として説かれたもので 時代 性別 年齢 能力を超えて誰でも聞けばわかる経文であるがゆえに「諸経の王」と言われる
釈尊が入滅されて約五百年後 龍樹菩薩が現れて何千巻もの経文を分類 悟りを主とした経文と 救いを主に説かれた経文に分別した
以来 仏教は難行道や易行道などの流れができ 多くの宗派が生まれた




悟りを主にした教えは貪欲や怒り 愚痴など三毒の煩悩を克服して清浄な慈悲心を養い 仏と同じになることを目標とするが 誰もがそうなれるものではない
しかし そうなろうと努力することは出来る
即ち菩薩の生活である
また 人間の業を深く自覚し無力で罪深い自己に目覚めて仏の慈悲に縋る道もある
徹底した自己否定から生まれた救いの仏教である
このいずれにもなれない多くの人もまた 仏教を信奉すればそれ相応の悟りと救いを得ることができる
それら千差万別の人びとに釈尊は四十五年間休まず説法された
七十二歳から八十歳までの八年間はその集大成としての説法であった
それが法華経である
みんな成仏するぞ救われるぞと声高に宣言されたのである












  [ 比叡山時報より ]




















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