酒田に逢いに行った 花魁たち
酒田は 東の吉原に次ぐ 有名な 「花街」 があった場所
そして 辻村寿三郎の人形館がある
寿三郎の 人形達に魅せられてから 暫く経つけれど
人形達から醸し出される雰囲気が
訪れる都度違うというのが 不思議でたまらない
人形にも魂があるのだと 想ってしまうほどに .....
たくさんの人形の中に 私が大好きな花魁がいる
今回 その花魁と どんな話をしたのかは
...... ナイショ (笑)
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遊女と芸妓とでは 全く違う格ではあるけれど
私が初めてその世界と縁を頂いたのは 12歳の頃だったろうか .....
私が住む街は 東北でも格の高い芸妓がいることで知られた街
それは 19代内閣総理大臣 原敬のお膝元であったことに由来してるとも言える
原の妻は 新橋の芸者だった方
原が帰郷の際には 街じゅうの芸者を全部あげたという話が
今でも語り継がれているほど
芸者達は 新橋の芸者に見劣りせぬようにと
芸に磨きをかけることに励んだそうで
格式があがることは必然だったのかもしれない
その芸妓の置屋に 預けられそうになったのが
小学校卒業間近のこと
花柳界の世襲の危機が言われて久しかった頃
わずかではあっても 芸事の嗜みがあり
見栄えのするおぼこがいると 人づてに聞いたとかで
置屋のお母さんから 行儀見習いに出さないかと 話があった
実際 顔を見せにも行ったけれど
何れは 実の両親とは縁を切り
置屋の養女にならなければならないと云われ
さすがに 腰が引けてしまった私だった
その頃の私は まだ12歳だというのに
既に 夜の街をさ迷い歩くようになっていたから
母親にしてみれば 性根を叩きなおしてもらうつもりだったのかもしれない
けれどその後も 何度か話はあったのだけれど
芸妓になりたい気持ちがありながらも
私は 断り続けた _______
そんな呆れるほど様々な 紆余曲折を繰り返しながら 今日まできたけれど
今でもやはり 花街に対しては
特別の感情があったりする
あの時 黙って置屋に留まっていたら
今頃 どんな私になっていたのかしら ... なんて
考えたりするから
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