生命(いのち)を想うと 胸がアツくなる
瑞々しさ溢れる
小さな生命なら
いっそうに
その愛しさは ハンパない
けれど 私は
母には なれないのだと 想う
育むことが
叶わなかったから
封印した 過去の傷なら
背負う覚悟で
此処まで 来たけれど
生命を 愛しむあまり
決断させた理由(わけ)は
生身の女にとって
残酷以外の
何ものでも ..ない
人並み以上と想われる
母性は
その直接的な 矛先を見つけられずに
場違いな劣等感と
勘違いな罪悪感を背負ったまま
うつむき加減に
女の隅を歩いてきた
哀しいのは 誰でもなく
自分自身であったハズなのに
けれど
そんな私が
信仰を得たとき
広大無辺な 慈悲の心とは
母性愛そのものであることに 気付かされ
それならば
そうであるならば
人間である限り
母のような 無償の愛を
与え続けていけるのだと
想うことが できた
あなたにめぐり逢えて
私の母性は
光を受けることが叶った
そぅ 想う
ナニが女性にとって幸せなのか.. 分かりづらいです
産む産まないことに関しても ”産むが易し”はもはや通じない時代なのではないかと想います
環境や世相などの様々な事情を考慮できずに
ジシンのボキャブラリーだけの安易なコトバに
傷ついてる女性が たくさんいますもの
”深すぎて 私なんかが 何か言えるものではないようで コメントしづらいですが ”
そんなことはありませんよ
マエマエさんが私に 愛を感じてくれているのであれば
その 愛も 私が誰かから与えられたものです
それは マエマエさんかもしれないのですから...
”あなたにめぐり逢えて
私の母性は
光を受けることが叶った”
その綴りの’あなた’とは マエマエさんのこともモチロン含まれているのですよ
いつも ココロを開いたコメントをありがとう
私は あなたとめぐり合えて幸せです。。
なぜ こんなにも 悲惨な世の中で 望まれずに生まれ 虐待され いじめを受け…
無償の愛は 誰でも 持てるものではないと思います。慈悲の心もまた然り…
物事には 意味があると思いたいけど
それだけでは片付けられないことも 多いですよね
padmaさんの抱えているものは 深すぎて 私なんかが 何か言えるものではないようで コメントしづらいですが padmaさんの 大きな愛は そこから来ているのですね きっと
いろんな形の 生き方があり いろんな形の 世の中とのかかわり方がありますよね。劣等感も罪悪感も 必要ありません。誰でも愛する意味を 見つけることが出来るわけではないですよね
それを見つけた padmaさんは 素晴らしいと思います…
なんだか とんちんかんですみませんm(__)m