DEEP SEAα

ココロの軌跡

Beautiful Colors

利他行

2007-09-16 | 遠い日の海(過去エントリー)
言葉で喋る人には

耳で聞け

心で喋る人には

心で聞け






まだまだ簡単に区別できないから 一生懸命心で聞く



見返りを求めることはないけれど


自分の都合のいい時ばかりでは 私の心の行き場がなくて


繰り返されるたびに 冷えていく心



賢治の寂しそうな背中が 自分の姿と重なる






とってもお喋りだった少女は

限り無く無口な大人になってしまった




私って つくづく 馬鹿だなぁ… と 思う






忘己利他 ……




今回の出来事も

御仏にお任せするのみ


傷つくことなく


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朔月

2007-09-11 | 日々の海




今日は定期検診の日

たくさんの患者さんで やっと座る場所が確保できた有り様

あまりに混んでて予約が取れず やはり今日も三時間待ち




病院には本当に様々な人が来ている

普段暮らしていると 体調が思わしくない時の自分が 何か特殊な存在のような気がして悲しくなるけど 病院の中では元気でいる事こそが奇跡の様に思えてくる

病む事は特別ではないんだと実感する


不安そうにキョロキョロしながら待つ人 

青白い顔で具合が悪そうな人 

呆然として診察室から出てくる人 

泣きそうな顔の人 

そして… かなりお悪そうな人


その全ての人達がこれまでの自分と重なり 同時期を同じ病棟で過ごした仲間達と重なる


病院に行く度 胸がいっぱいになる


病に勝てず 逝ってしまった友を偲び 生かされてある今に感謝をし どうかみんな良くなりますように… と心の中で祈っている自分がいる


検診の度 それはある種の儀式の如く戒めとして欠かせない気持ちの整理なのだ




 



この廊下は思い出の場所


術後初めて院内のコンビニに行った時 当たり前に歩いて行けると思っていたこの廊下の途中で 気分が悪くなり動けなくなってしまった

助けを呼ぼうとした矢先どうにか落ち着いてきたので 見計らってゆっくりと歩いて戻った

もう 買い物どころではない


そこまで体力が落ちている事実にショックを受けたし 本物の病人wなのだと自覚させられたのがとてつもなく不安だった

早く部屋に戻りたくて仕方なかった



そんなあまりにも苦い一番の思い出の場所


今でもこの廊下を通るときは あの時の事がまざまざと蘇ってくる


最初の検診の日には 思わずこみ上げててしまった程

回復できたのが嬉しかった……


そんな特別な場所





症状が重かった日々は本当に辛かったけれど 私はあそこまでの思いを経験しなければ 弱い人達の立場になって考えられなかったり 命の大切さがわからなかったり そして家族の有り難さがわからない人間だったのかもしれない

そう考えると 病を得たことは本当に有り難い事だったのだと今では思う




そして肝心の検診の結果は 「進行はなく新たな異常も認められないので 大丈夫」とのこと




また 命いただきました

ありがとう




 
 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シダミ

2007-09-10 | 日々の海






何のどんぐりかしら?


綺麗な黄緑色とちっちゃな双子のどんぐり




どんぐりなんてどこにでもあるもんだと思ってた


でも近頃では トトロのお話でしか知らない人も多いらしい




昔 飢饉の時はどんぐりを食べたのだと言う


とても手間がかかる物であるのに 決して美味しいものではない

今では田舎の特産品になったりしているが…

そんな時代も確かにあったのだ



「里が豊作だと山は不作」

昔からの言い伝えである


お米や果樹類が豊作な年は 山の栗やどんぐりの実が少ないのだそうだ


主食である木の実が少ないと 熊は里の作物を狙って下りてくる
近頃の熊騒動は当然の現象なのだ

針葉樹が増えすぎ(増やしすぎ)たり 人の手による様々な要因によって 山の生き物の食べ物が減ってきているという事までは あまり知られていない


住む場所がない
追い詰められる

とはそういう事なのだ

人の世界の闇と何ら変わりはない


三災五濁


……悲しい事だと思う





この世は陰と陽の世界である

自分の幸せの陰には泣いている人もいるかもしれないことを 忘れずにいたい



言葉に置き換えるのであれば それは「感謝」のひと言に尽きる


そこには宗教 宗派などというもの等や 押し問答の理屈等に捕らわれたりしない 昔から日本人がお天道様を尊び 八百万の神を崇めてきた姿と重なるものだ





思えば幼い頃から 息吹きのするものが好きだった

どんぐりや松ぼっくりが大好きで 宝物のように大切にしていた

エゴの少ない子供心には 何故宝物なのかがわかっていたように思う




そんな子供だった私は 今でも自然のものを愛おしく いつでも賢治の心に近づきたいと願っている



私は 何も変わっていない






Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

King Of High-C

2007-09-07 | 遠い日の海(過去エントリー)
パヴァロッティ(Pavarotti)が亡くなった


数年前から死亡説が流れてはいたが 今回はガセではないらしい




三大テノール



私のご贔屓はやはりパヴァロッティだった



全盛期の頃のパヴァロッティは正に神が君臨したかのように神々しい声で オーラがもの凄かった

歌声は人々を魅了し時を超越し そして酔わせた




本物の芸術とは 時に食事以上の満足感を人に与える


グルメなどに興味のない私などは特に 日々上質な芸術を喰って生きてるようなもの


ハートを震撼させる芸術と出逢った時は 静寂のなかで相反するような 深い深いエクスタシーを得る事が出来るのだから……





パヴァロッティがご贔屓だったのにはもう一つ理由がある


それは私の声楽の恩師にどことなく風貌が似てたから


あれだけのお髭はたくわえてはなかったが つぶらな瞳や太鼓腹 それ程大柄でない体格がそっくりで(笑)

何より 歌ってる姿が似ていた

だからなんとなく親近感がわいていた





私が敬愛するあるオペレッタは

「いつかはこの声を神にお返しする時がくるでしょう それまでは精一杯歌い続けます」

そう言っていた


昨年 パヴァロッティの歌う姿を見たとき まだまだ枯れてはいなかった彼の声に「腐っても鯛だな」と思っていた



まさかこんなに呆気なく逝ってしまうとは……




彼は 神から賜った歌声を返すことなく 自らも神のもとへと帰っていったのだな… と思う





この世の宝をまたひとつ無くしたような 寂しい気持ちでいっぱいの私である





Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィトンチッド

2007-09-02 | 日々の海





栗?

いぇ 「トチの実」です

かなり大きい物を昨日拾いました


森の動物たちのごちそうの木の実ですが 残念ながら私達人間は一般的にあまり食べる機会はありません



トチの実を見ると思い出す事があります

私は以前大病を患い ほぼ寝たきりの状態になり 呼吸をするのもシンドい時期がありました

その頃いつも数個のトチの実を枕元に置いては 触ったり鼻先で匂いを吸い込んだりしていました


森林浴が私の病には効果的だとわかってはいても 森へ出かける体力はないので トチの実を拾ってきてもらっては森のenergyを受け取っていたのです

時にはブナやコナラの実も混じっていました
まるでリスのように(笑)



トチの実からはたくさんのフィトンチッドが放出されるので 実を身近に置くだけで森林浴の効果があると 学者の発表で知ったからでした



最先端医療だけでは癒せない 身体の奥深くにある生命力を この小さくても大きな森の宝物に救われた経験が 私にはあるのです



今こうして 身の回りの事を自分自身でこなせる程に回復できたのは そんな自然からのenergyのお陰だと思っています




人は自然から離れては生きていけない



その事実を身をもって経験したのでした





森の生命力に感謝






Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする