曹洞宗大本山永平寺の宮崎奕保(みやざき・えきほ)貫首が五日午前五時四十三分、札幌市内の入院先の病院で、老衰のため死去した。百六歳だった。
兵庫県加西市出身。自宅は永平寺町志比五の一五の永平寺。
仮通夜は宮崎貫首の遺体が永平寺に到着した後の八日夕から九日にわたって行われ、一般の人も参列できる通夜は十日午後五時から、密葬は十一日午前十時から、いずれも永平寺で営まれる。
喪主は永平寺監院(かんにん)の森嶺雄(もり・れいゆう)氏。
本葬の日取りは未定。
一九〇一(明治三十四)年に生まれ、十一歳で兵庫県加古川市の福田寺に弟子入りし、一九一五(大正四)年に得度。駒沢大学専門部を卒業した。
専門僧堂で修行し、七六(昭和五十一)年、札幌市の中央寺住職に就任。
八一年、永平寺監院、八五年、副貫首に就いた。
九三年九月、丹羽廉芳前貫首の死去に伴い、九十一歳で七十八世貫首に就任。曹洞宗管長も務めた。
著書に「若い仏たちへ」「髪を断ずるは」がある。
昨年十一月二十五日に百六歳の誕生日を迎えたが、十二月六日に発熱のため札幌市内の病院に入院していた。
永平寺によると、宮崎貫首は歴代貫首の中では最高齢で、日本の現役の宗教指導者としても最長老だった。十四年余りにわたり永平寺のトップとして、二〇〇二年の道元禅師七百五十回大遠忌などを執り行い、全国各地で道元禅師の教えを広めた。
(中日新聞)
謹んでご冥福をお祈り致します。合掌。
雪が積もり始めると
ほんの少しだけ 寒さが緩む
今日も雪降り
夕方から本格的な降りとなって
街をスッポリと包み込んだ
しんしんと。。。。。
しんしんと。。。。。
私の上に舞い降りる
しんしんと。。。。。
しんしんと.....
悲しみが降り積もる
それは あまりにも突然に
訪れた訃報
こんな時の私は
決して取り乱す事などはなく
他人に言わせれば
余りに冷酷に見えるのだと
実際は
しんしんと 降り積もる雪の様に
温かな想い出が
次々に舞い降りてきて
どうにも 身動きが取れぬほど
悲しくて
寂しくて
息が詰まって
唇が 震える
奥歯で 頬をキツく噛んでも
涙が溢れ出そうとする
別れというものの 切なさは
距離や
時間や
年齢などではなく
どれだけ 己の命と結び付いていたかで
痛みが決まるのだと
今宵 知った
私の命の
とても深い場所に
あまりにも大きな影響を与えた 御仁だった
どんな時にも
届いていた
真っ直ぐな光が
途絶えてしまった
今はまだ 吹雪の中
私は 立ちすくんでいる
悲しくて
悲しくて
仕方がない
例年ならば 元旦の午前5時
護摩壇を前に座している
今年は出遅れた
何故 出足が鈍る結果になったのか
答えは御堂の 深部にあった
駆け足の参拝
魂からの感謝
縁深き者達の冥福と
志 半ばで倒れた友たちの安らぎと
自ら前途を閉ざす過ちを犯した 肉親達の成仏と
病と闘う幼き体の回復と
大都会で歯を食いしばる親友の無事と
世界に 慈悲が溢れますように
私が祈ることは
いつだって自分の身の事は 有り得ないのだけれど
全ては 自分が この世に存在するという
奇跡かもしれない 事象の上に成り立っている
因果なのだと気付いた時
私が私でいるという事実が
既にその御手に救い上げられているのだと
有り難さに涙が溢れるのです
だからきっと
祈りは通じるのだと
信じて疑わないのです