私の留守にパソコンの設定で妻がサポートセンターに電話をしたとき、IDとパスワードを聞き出すヒントに尊敬する人を聞かれた。妻はしばらく考えて『司馬遼太郎」と応えた。オペレーターの女性が「すごいですねー」とかなり驚いたとか。誕生日とかならいざ知らず、配偶者の事を知らないのは普通で、まして尊敬する人など語り合う夫婦がいる筈がない。
妻は坂本龍馬と迷ったらしいが。本人の私自身でさえ数年前に設定した「私の尊敬する人」を正確に応えられたかどうか疑問だ。そう言えば、妻の尊敬する人は誰だろう?
6、7年前だろうか司馬遼太郎を読み始めた。
中学2、3年生の時、犬の散歩をしていて路地に入った所で『司馬遼太郎』と表札の出た少し大きな家に出会った。僕は中学で転校してきたので友達が出来ず、帰って暇に任せてよく新聞を隅々まで読んでいた。政治と経済ページは苦手でその他である。だから目立たないタイプであったがちょっとした事は物知りであった。インド人は白人か黒人か。僕だけ応えられた事があった。連載小説の所も歴史嫌いな私は時代小説なので見もしなかったが「司馬」というのが何故か気になり、名前だけは記憶していたのだ。
あの頃、我が家は産經新聞をとっており、後で知った事だが司馬さんは当時「龍馬がいく」を連載されていた。
55才の時、65才までに2000冊の本を読もうと思い立った。決心して最初に読み始めたのが司馬さんの「菜の花の沖6巻」だった。会社勤めで通勤の往復と夜の寝床の中では、読書時間も少なく始めは頑張ったものの、しばらくして週1冊が限界だった。年間50冊、10年で500冊である。大幅に目標減少である。
学校で歴史が嫌いで時代小説にも興味がなかった私が司馬さんの本に夢中になった。菜の花の沖に続いて、竜馬が行く8巻、関ヶ原2巻、坂の上の雲8巻、風神の門2巻、空海の風景2巻、花神3巻、最後の将軍,最後の伊賀者、梟の森、城をとるはなし、覇王の家、余話として、国盗り物語4巻、酔って候、峠、世に棲む日日、胡蝶の夢4巻、北斗の人、俄2巻、播磨灘物語4巻、馬上少年過ぐ、翔ぶが如く10巻、尻くらえ孫市……。司馬さんの本は長編が多くそして面白い。歴史が好きになった。色々歴史の事を知りたくなり、街も訪ねるようになった。
学校の先生になった同級生の友人に、僕は数学が得意で歴史、国語が嫌いでだめだったけれど、もし出会った中学生のときに司馬さんの本を読んでいたら、歴史が好きになって、もっと成績もよく、もっといい学校に入れたかも知れなかった。と言ったら、同僚の先生で司馬さんの本を読んで歴史が好きになり教師になった人が何人かいると言っていた。
出会いは大事にするべきだった。
その頃、尊敬するのは限りなく司馬遼太郎だけだったのだろう。妻にも印象深かったのかも知れない。
公にしてしまったので、このキーワードはもう使えなくなった。今、尊敬するのは……ナイショ。
妻は坂本龍馬と迷ったらしいが。本人の私自身でさえ数年前に設定した「私の尊敬する人」を正確に応えられたかどうか疑問だ。そう言えば、妻の尊敬する人は誰だろう?
6、7年前だろうか司馬遼太郎を読み始めた。
中学2、3年生の時、犬の散歩をしていて路地に入った所で『司馬遼太郎』と表札の出た少し大きな家に出会った。僕は中学で転校してきたので友達が出来ず、帰って暇に任せてよく新聞を隅々まで読んでいた。政治と経済ページは苦手でその他である。だから目立たないタイプであったがちょっとした事は物知りであった。インド人は白人か黒人か。僕だけ応えられた事があった。連載小説の所も歴史嫌いな私は時代小説なので見もしなかったが「司馬」というのが何故か気になり、名前だけは記憶していたのだ。
あの頃、我が家は産經新聞をとっており、後で知った事だが司馬さんは当時「龍馬がいく」を連載されていた。
55才の時、65才までに2000冊の本を読もうと思い立った。決心して最初に読み始めたのが司馬さんの「菜の花の沖6巻」だった。会社勤めで通勤の往復と夜の寝床の中では、読書時間も少なく始めは頑張ったものの、しばらくして週1冊が限界だった。年間50冊、10年で500冊である。大幅に目標減少である。
学校で歴史が嫌いで時代小説にも興味がなかった私が司馬さんの本に夢中になった。菜の花の沖に続いて、竜馬が行く8巻、関ヶ原2巻、坂の上の雲8巻、風神の門2巻、空海の風景2巻、花神3巻、最後の将軍,最後の伊賀者、梟の森、城をとるはなし、覇王の家、余話として、国盗り物語4巻、酔って候、峠、世に棲む日日、胡蝶の夢4巻、北斗の人、俄2巻、播磨灘物語4巻、馬上少年過ぐ、翔ぶが如く10巻、尻くらえ孫市……。司馬さんの本は長編が多くそして面白い。歴史が好きになった。色々歴史の事を知りたくなり、街も訪ねるようになった。
学校の先生になった同級生の友人に、僕は数学が得意で歴史、国語が嫌いでだめだったけれど、もし出会った中学生のときに司馬さんの本を読んでいたら、歴史が好きになって、もっと成績もよく、もっといい学校に入れたかも知れなかった。と言ったら、同僚の先生で司馬さんの本を読んで歴史が好きになり教師になった人が何人かいると言っていた。
出会いは大事にするべきだった。
その頃、尊敬するのは限りなく司馬遼太郎だけだったのだろう。妻にも印象深かったのかも知れない。
公にしてしまったので、このキーワードはもう使えなくなった。今、尊敬するのは……ナイショ。