この前も書いたが僕の所属するウオーキング倶楽部では
念頭に1年の目標を発表する。
達成する、しないに限らず、その努力の内容によるようだが
退会と言う罰則も存在するらしい。
大きい小さいに関わらず、目標がなければ
人間、努力するのは難しい。何も努力しないと思う。
目標を持たず、無駄に過ごしてしまった学生時代。
目標を見つけることをしなかったと言うべきかも知れない。
そんな経験は誰でもあるので、必要性はわかっている。
だが、努力をすることから逃げたくて
目標を持たなかったりする。
動物の曲芸ではないが、
少しやり遂げれば美味しい餌をもらう。その繰り返しで、
大きな目標には少しずつのご褒美が必要だろう。
努力した先の出来るようになったときの
夢を見る、その夢を持続させる能力が必要だろう。
夢はそんな目標のすり替わったものだと思う。
ただ、ほとんどが大変な努力と長い持続力が必要なもので
出来る筈はないと無意識に決めつけてしまっていて、
あきらめの心境で、遠い憧れのものでしかなくなっている。
それがほとんどの人の夢。
僕の英会話と楽器の演奏はこの最たるものだ。
夢と言うのはおかしすぎるが
僕は55才の時、自分の寿命をあと十年。
65才と11ヶ月30日と決めた。
これはある人との話の中で、
1週間後に死ぬと宣言されたらどうする、と僕が言った。
「美味しいものを一杯食べて、好きなことして過ごす。」
美味しいものって? 好きなことって?
「◯◯で◯◯を一杯食べる。好きな◯◯を1日中していたい。」
死ぬ前にしたい程の強い思いのものをどうして今しないの?
死ぬ前じゃないから?
無理すれば、今出来ることばかりじゃない。
どうしてしないの?
僕はそんな意地悪な問答をしているうちに
自分は何がしたいのかと考えた。
「僕の理想とする海外旅行に行きたい。
違う職業(人生)を経験したい。」
これが一番強いかな。
まず、海外旅行。
お金と日にちがいる。
生活を全て捨ててしまえば流浪の身で行けるかも知れない。
我が家は大きく生活設計が変わってしまって、
この歳でも多額の負債があり、社会の変革で
自分の仕事も毎日の生活のためにしがみつかざるを得ない。
子ども達さえ自立しきれていない。
そんなことは全く出来そうにない。
もう一つの
違う職業(人生)を経験するのも、
そう言うレベルでなく、職業選択以前に
高齢者に仕事がない訳で余地もない。
今の仕事は今日の生活そのもので辞めるわけにはいかない。
今、絵空事で考えているが
本当に死を宣告されてもしたいことをがまんして、
現在の風前の生活を維持していく自分がいるのか。
実際に宣告されてみよう。
■
僕の大親友が亡くなったのが、彼が33才の時。
じゃあ、僕の寿命をあと彼の生きた分33年生きよう。
66才の1日前までにしよう。
自分で66才前までの寿命と宣告した。
じゃぁ、今から10年どう生きる。
現実と夢と混ざる中でどう生きる。
本を読もうと思った。
本を読めば違う人生が経験できる。
幸い僕は入り込みやすい。
映画だって観賞後出てきたら主人公になりきっている。
嫌という程、違う人生を経験しよう。
本の中なら海外旅行だって行ける。
10年間で2000冊。
■
そんな目標(?)をたてて現在に至っている。
僕という人間は、日々やりたいことが多く、
2000冊、週3~4冊読まないと達成できない。
初めこそ意気込んだものの
今はせいぜい、週1冊、たまに2冊。
この前の誕生日で、10年の終盤に入った。
もう、3年程で僕の寿命はつきるけれども。
出来ているのか。
これからの3年は長いのか短いのか。
念頭に1年の目標を発表する。
達成する、しないに限らず、その努力の内容によるようだが
退会と言う罰則も存在するらしい。
大きい小さいに関わらず、目標がなければ
人間、努力するのは難しい。何も努力しないと思う。
目標を持たず、無駄に過ごしてしまった学生時代。
目標を見つけることをしなかったと言うべきかも知れない。
そんな経験は誰でもあるので、必要性はわかっている。
だが、努力をすることから逃げたくて
目標を持たなかったりする。
動物の曲芸ではないが、
少しやり遂げれば美味しい餌をもらう。その繰り返しで、
大きな目標には少しずつのご褒美が必要だろう。
努力した先の出来るようになったときの
夢を見る、その夢を持続させる能力が必要だろう。
夢はそんな目標のすり替わったものだと思う。
ただ、ほとんどが大変な努力と長い持続力が必要なもので
出来る筈はないと無意識に決めつけてしまっていて、
あきらめの心境で、遠い憧れのものでしかなくなっている。
それがほとんどの人の夢。
僕の英会話と楽器の演奏はこの最たるものだ。
夢と言うのはおかしすぎるが
僕は55才の時、自分の寿命をあと十年。
65才と11ヶ月30日と決めた。
これはある人との話の中で、
1週間後に死ぬと宣言されたらどうする、と僕が言った。
「美味しいものを一杯食べて、好きなことして過ごす。」
美味しいものって? 好きなことって?
「◯◯で◯◯を一杯食べる。好きな◯◯を1日中していたい。」
死ぬ前にしたい程の強い思いのものをどうして今しないの?
死ぬ前じゃないから?
無理すれば、今出来ることばかりじゃない。
どうしてしないの?
僕はそんな意地悪な問答をしているうちに
自分は何がしたいのかと考えた。
「僕の理想とする海外旅行に行きたい。
違う職業(人生)を経験したい。」
これが一番強いかな。
まず、海外旅行。
お金と日にちがいる。
生活を全て捨ててしまえば流浪の身で行けるかも知れない。
我が家は大きく生活設計が変わってしまって、
この歳でも多額の負債があり、社会の変革で
自分の仕事も毎日の生活のためにしがみつかざるを得ない。
子ども達さえ自立しきれていない。
そんなことは全く出来そうにない。
もう一つの
違う職業(人生)を経験するのも、
そう言うレベルでなく、職業選択以前に
高齢者に仕事がない訳で余地もない。
今の仕事は今日の生活そのもので辞めるわけにはいかない。
今、絵空事で考えているが
本当に死を宣告されてもしたいことをがまんして、
現在の風前の生活を維持していく自分がいるのか。
実際に宣告されてみよう。
■
僕の大親友が亡くなったのが、彼が33才の時。
じゃあ、僕の寿命をあと彼の生きた分33年生きよう。
66才の1日前までにしよう。
自分で66才前までの寿命と宣告した。
じゃぁ、今から10年どう生きる。
現実と夢と混ざる中でどう生きる。
本を読もうと思った。
本を読めば違う人生が経験できる。
幸い僕は入り込みやすい。
映画だって観賞後出てきたら主人公になりきっている。
嫌という程、違う人生を経験しよう。
本の中なら海外旅行だって行ける。
10年間で2000冊。
■
そんな目標(?)をたてて現在に至っている。
僕という人間は、日々やりたいことが多く、
2000冊、週3~4冊読まないと達成できない。
初めこそ意気込んだものの
今はせいぜい、週1冊、たまに2冊。
この前の誕生日で、10年の終盤に入った。
もう、3年程で僕の寿命はつきるけれども。
出来ているのか。
これからの3年は長いのか短いのか。