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僕の寿命は65才と11ヶ月30日23時59分。

2012-01-13 18:32:38 | 日記
この前も書いたが僕の所属するウオーキング倶楽部では
念頭に1年の目標を発表する。
達成する、しないに限らず、その努力の内容によるようだが
退会と言う罰則も存在するらしい。

大きい小さいに関わらず、目標がなければ
人間、努力するのは難しい。何も努力しないと思う。

目標を持たず、無駄に過ごしてしまった学生時代。
目標を見つけることをしなかったと言うべきかも知れない。
そんな経験は誰でもあるので、必要性はわかっている。
だが、努力をすることから逃げたくて
目標を持たなかったりする。

動物の曲芸ではないが、
少しやり遂げれば美味しい餌をもらう。その繰り返しで、
大きな目標には少しずつのご褒美が必要だろう。
努力した先の出来るようになったときの
夢を見る、その夢を持続させる能力が必要だろう。

夢はそんな目標のすり替わったものだと思う。
ただ、ほとんどが大変な努力と長い持続力が必要なもので
出来る筈はないと無意識に決めつけてしまっていて、
あきらめの心境で、遠い憧れのものでしかなくなっている。
それがほとんどの人の夢。

僕の英会話と楽器の演奏はこの最たるものだ。

夢と言うのはおかしすぎるが
僕は55才の時、自分の寿命をあと十年。
65才と11ヶ月30日と決めた。

これはある人との話の中で、
1週間後に死ぬと宣言されたらどうする、と僕が言った。
「美味しいものを一杯食べて、好きなことして過ごす。」
美味しいものって? 好きなことって?
「◯◯で◯◯を一杯食べる。好きな◯◯を1日中していたい。」
死ぬ前にしたい程の強い思いのものをどうして今しないの?
死ぬ前じゃないから?
無理すれば、今出来ることばかりじゃない。
どうしてしないの?

僕はそんな意地悪な問答をしているうちに
自分は何がしたいのかと考えた。
「僕の理想とする海外旅行に行きたい。
違う職業(人生)を経験したい。」
これが一番強いかな。

まず、海外旅行。
お金と日にちがいる。
生活を全て捨ててしまえば流浪の身で行けるかも知れない。
我が家は大きく生活設計が変わってしまって、
この歳でも多額の負債があり、社会の変革で
自分の仕事も毎日の生活のためにしがみつかざるを得ない。
子ども達さえ自立しきれていない。
そんなことは全く出来そうにない。

もう一つの
違う職業(人生)を経験するのも、
そう言うレベルでなく、職業選択以前に
高齢者に仕事がない訳で余地もない。
今の仕事は今日の生活そのもので辞めるわけにはいかない。

今、絵空事で考えているが
本当に死を宣告されてもしたいことをがまんして、
現在の風前の生活を維持していく自分がいるのか。

実際に宣告されてみよう。

  ■

僕の大親友が亡くなったのが、彼が33才の時。
じゃあ、僕の寿命をあと彼の生きた分33年生きよう。
66才の1日前までにしよう。
自分で66才前までの寿命と宣告した。
じゃぁ、今から10年どう生きる。
現実と夢と混ざる中でどう生きる。

本を読もうと思った。
本を読めば違う人生が経験できる。
幸い僕は入り込みやすい。
映画だって観賞後出てきたら主人公になりきっている。
嫌という程、違う人生を経験しよう。
本の中なら海外旅行だって行ける。
10年間で2000冊。

  ■

そんな目標(?)をたてて現在に至っている。
僕という人間は、日々やりたいことが多く、
2000冊、週3~4冊読まないと達成できない。
初めこそ意気込んだものの
今はせいぜい、週1冊、たまに2冊。

この前の誕生日で、10年の終盤に入った。
もう、3年程で僕の寿命はつきるけれども。
出来ているのか。
これからの3年は長いのか短いのか。