石岡瑛子さんが21日に亡くなられたと今日ヤフーで知った。
随分、マスコミは遅い発表だと思ったし、
少し前、テレビでドキュメントを見ていたので私には突然の死で驚いた。
僕の20代の頃はグラフィックデザイナーの有名人は
ほとんどが男性だった。そんななかで
女性で唯一、石岡瑛子さんが有名な方だった。
しかもたくさんいる男性を退けて、
当時は一番、理性的でハイセンスなデザイナーだった。
良く仲間内で、大阪のデザイナーが石岡瑛子と
デザインの話したら完全にアホ扱いされるわ。
なんて自虐ネタでふざけたものである。
実際、当時有名なグラフィックデザイナーは
関西出身の方が多く、たくさん東京に進出されていた。
デザインはいくらコンセプトが立派でも
その表現が、感覚が、要するに目にするものが
新鮮でかっこ良くなければ意味がない。
素晴らしいコンセプトが出来ていても、
それをビジュアル化できなければ意味がないのだ。
逆で言えばコンセプトがなくても
それを感覚で表現できて、かっこ良くできれば正解なのである。
さすがに東京芸大卒の「石岡瑛子」。
頭が良くて、感覚もセンスも良くて、
その表現したが感覚でしかないと思えるライン1本だって、
きちんとコンセプトなり意図を持ったものだと、
はっきり言葉で説明できていたのに
驚いたことが何度もあった。
さしずめ、大阪のデザイナーなら
このライン?感覚やん。ここに線があったらかっこいいやん。
って言うところかな。
僕がまだこの業界に入っていない頃の「花椿」
おそらくこの頃から石岡瑛子さんが
アートディレクターとグラフィックデザインをされていた筈
文字のかっこいいレイアウトから写真の扱い
空間の生かし方、いっぱいまねさせてもらいました
このポスターが超有名
資生堂さんから無断借用ごめんなさい
彼女がアートディレクをしていた
20代の頃、資生堂の販促カタログ『花椿」など
その隅々の小さなライン1本から、ちょっとした空間まで、
僕のデザインの教科書だったように思う。
パルコの斬新なデザインも僕を奮い立たせてくれたものだ。
最近はファッションデザイナーとして
ハリウッド映画から北京オリンピックまで
世界的に有名になってしまったが。
70代半ばまで世界の第一戦で活躍されてすごい方である。
あまりにも急に亡くなられて驚きしかない。
合掌
随分、マスコミは遅い発表だと思ったし、
少し前、テレビでドキュメントを見ていたので私には突然の死で驚いた。
僕の20代の頃はグラフィックデザイナーの有名人は
ほとんどが男性だった。そんななかで
女性で唯一、石岡瑛子さんが有名な方だった。
しかもたくさんいる男性を退けて、
当時は一番、理性的でハイセンスなデザイナーだった。
良く仲間内で、大阪のデザイナーが石岡瑛子と
デザインの話したら完全にアホ扱いされるわ。
なんて自虐ネタでふざけたものである。
実際、当時有名なグラフィックデザイナーは
関西出身の方が多く、たくさん東京に進出されていた。
デザインはいくらコンセプトが立派でも
その表現が、感覚が、要するに目にするものが
新鮮でかっこ良くなければ意味がない。
素晴らしいコンセプトが出来ていても、
それをビジュアル化できなければ意味がないのだ。
逆で言えばコンセプトがなくても
それを感覚で表現できて、かっこ良くできれば正解なのである。
さすがに東京芸大卒の「石岡瑛子」。
頭が良くて、感覚もセンスも良くて、
その表現したが感覚でしかないと思えるライン1本だって、
きちんとコンセプトなり意図を持ったものだと、
はっきり言葉で説明できていたのに
驚いたことが何度もあった。
さしずめ、大阪のデザイナーなら
このライン?感覚やん。ここに線があったらかっこいいやん。
って言うところかな。
僕がまだこの業界に入っていない頃の「花椿」
おそらくこの頃から石岡瑛子さんが
アートディレクターとグラフィックデザインをされていた筈
文字のかっこいいレイアウトから写真の扱い
空間の生かし方、いっぱいまねさせてもらいました
このポスターが超有名
資生堂さんから無断借用ごめんなさい
彼女がアートディレクをしていた
20代の頃、資生堂の販促カタログ『花椿」など
その隅々の小さなライン1本から、ちょっとした空間まで、
僕のデザインの教科書だったように思う。
パルコの斬新なデザインも僕を奮い立たせてくれたものだ。
最近はファッションデザイナーとして
ハリウッド映画から北京オリンピックまで
世界的に有名になってしまったが。
70代半ばまで世界の第一戦で活躍されてすごい方である。
あまりにも急に亡くなられて驚きしかない。
合掌