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大阪城「千貫櫓・多聞櫓・金蔵」特別公開

2012-10-09 09:30:40 | 建築。レトロ・旧家・古民家
大阪ウオークの帰り、ふと前方を見ると櫓の中に人が入って行く??
あそこに入れるの?そうか、紫ののぼりはあの公開のものか。
これは絶対見たい。20km歩いた体にムチ打って、側のチケット売り場に。
金蔵に向かって、再び城内深く、天守閣への道を登って行った。

大阪城公園内の重要文化財「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓(たもんやぐら)・金蔵(きんぞう)」を特別公開


金蔵(きんぞう)



手前にある四角い箱が千両箱


2室の奥の部屋は床に石を敷き詰め、すべての窓は厳重な鉄格子。

江戸幕府は御金蔵(ごきんぞう)とよばれる御用金保管庫を江戸城と大阪城に置いていた。他に小規模なものは二条城など3か所にあった。現在、金蔵として現存するのはこの大坂城の1棟のみだと言う。
維新の大坂城大火に焼け残り、移築、解体、破損から、昭和34年の解体修理によって天保8年(1837)改築時の状態にもどされ現代に至っている。

江戸幕府の西日本中央金庫として、元禄16年(1703)の記録によると、大判48枚、金13万7,488両3分3朱、銀4,436貫432匁1分5厘7毛、銭754貫893文、現在の金額で500~800億円ぐらいのお金が収められていた。

「御金蔵破り事件」「明治維新の大坂城幕府御用金、持ち出し18万両の行方」と言う2つのエピソードも紹介されています。

ちなみに1両は今の25万円。よく時代劇の庶民の中で使われている1朱は1万5千円と意外と高額だ。1両は4分、1分は4朱と4進法になっている。

大手口に戻って、

多聞櫓

多聞櫓を南側から入る

長い廊下には銃眼や槍落しが設けられ、右手には兵が駐屯できる部屋が続いている。

右手は槍落し、この隙間から石垣を登る敵兵を槍で射る

多聞櫓に続く城壁

多聞櫓と千貫櫓の間にはたくさんの銃眼が

千貫櫓の入り口

2階は非公開で、1回の中は太い柱で頑丈な作りになっている。

櫓の窓の太い格子の間から大手口土橋が望める

秀吉も多聞櫓の窓から、
今僕が見ているように大手門の人の出入りを見ていたと言う。



太い格子で切り取られた大手口桝形の風景は
桃山の時代と人の服装こそ違えど、タイムスリップしたようだ。


千貫櫓と多聞櫓