高校生の頃、とても仲の良かった女の子が
彼のファンで、ファーストネームで呼んでいたので
私も含めてそのグループはみんな、その大横綱のことをこともあろうに
「みつぐぅ~!」と呼んでいた。
昭和57年初場所、関脇優勝!
あの憎らしいほど負けない横綱といわれた北の湖を決定戦で下しての快挙でした。
やったねーみつぐっ!かっこいーっっみつぐっ!
貢さんに知らせてあげたい熱狂ぶりでした。
20代前半、中洲でバンドをしていた頃、
九州場所のあいだ・・「千代の富士は毎晩中洲におる」
とお噂になられるほど(^_^;)とても中洲の街になじんでいらしたようで、
私も通りで拝見したことがあります。
狭い通りの向こうを颯爽と通り過ぎる横綱、
「小さい・・・大きいけどちいさいんだ・・・」
お相撲さんですから大きいに決まってます。
でも当時、お相撲さんにお会いする機会は多く・・・
実際、私が演奏に行ってたお店は三保ヶ関部屋のお相撲さんがよくおみえでした。
うちの弟が大好きだった「北天佑関」がみえたときは
なんでサインくらいもらわなかったのかと、非難でした。
でも増位山の伴奏はしました(^_^;)
東急ホテルのエレベータを待っていて・・・
扉がふらいたら、エレベーター一面に大乃国関がいました。
大きすぎる・・・・恐竜とかと同じでした。
だから、千代の富士関は小さい・・・という印象でした。
小さいのに誰より強いんだ・・・。九州場所では負けない、と
言われてた頃。その筋肉のリスクで故障も少なくありませんでしたが
休場明けは必ず優勝、とも言われた横綱でした。
小さいのに強いんだ・・・
多くの人が勇気をもらってわくわくし
大きな関取を、そうそう、投げてたもんねー
千代の富士って、そういえば、投げ飛ばしてましたね。
小錦とか大きい関取がたくさんでした。
ほんとにわくわくする、アイドルでした(^_^;)
なんか、こうやって書いてるといろんなこと思い出します。
一人横綱の責任を背負った、黒いまわしのウルフ、
心の強い横綱だったなぁ・・・。
小さいとき一番好きなお相撲さんは北の富士でした。
その美しさに、子供ながらにきれいかぁーと思っていました。
北の富士さんのお気持ちを思うと胸が痛みます。
弟分だった北勝海
高校時代のあきも、きっと思いを巡らせてることだろうと思います。
心よりご冥福をお祈りします。
ペニーレイン ホームページ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます