今でこそ、ヨーロッパで活躍する日本人演奏家は珍しくありませんが
50年前、ショパンコンクールで、東洋人が入賞することの難しさといえば
それは想像をはるかに超えることだったはず・・・。
ましてこんなに美しくって小さくてかわいい方・・・。
1965年ショパンコンクール、日本人二人目の受賞者でした。
彼女が受賞するちょうど10年前、昭和を活躍したピアニスト田中希代子が
ショパンコンクールで受賞しました。
ジュネーヴ国際音楽コンクール(1952年)、
ロン=ティボー国際コンクール(1953年)、
ショパン国際ピアノコンクール(1955年)
3つの国際コンクールの日本人初入賞者として知られた方ですが、
とても残念なことにご病気で30歳代後半に、引退されました。
美智子妃殿下のお好きなピアニストでもありました。
というわけで、表舞台での華々しいご活躍は長くは続きませんでした。
でもその後はもちろん桐朋などで育成に当たられました。
そして彼女が日本人の夢を大きく切り開いたことは言うまでもありません。
その夢を現実にして、彼女が果たせなかったその後の
表舞台での活躍を見事に実現して、日本人にピアノブームを巻き起こしたのが
まさに、中村紘子さんでした。
1965年、昭和40年・・・
高度成長の日本の家庭にピアノが広まるきっかけであったに違いませんね。
小学生の頃、ピアノコンクールを題材にしたドラマもありました(^_^;)
まさに、日本人にピアノを近づけてくれた方ですね。
私たちが子供の頃、ピアニストといえば中村紘子さんでしたから。
実は彼女、自分は初めての受賞者だとずっと思っていたそうです(^_^;)
まぁ、最年少での受賞でしかも4位入賞で・・・ちなみにそのときの
2位はマルゲリッチとくれば、華々しすぎて・・・気持ちはわかります(*^_^*)
桐朋の黄金期、同期に小澤征爾、堤剛、江戸京子など・・・。
まさにエリート、ピアノを弾くために生れてきた人だったのですね。
あ、ちなみに田中希代子さんの時のショパンコンクール、
2位はアシュケナージ!どちらもレベルの高さが窺い知れますね。
41歳、全盛時代の演奏です。もちろん、ショパン。
Chopin Fantaisie-Impromptu Hiroko Nakamura
心よりご冥福をお祈りいたします。
50年前、ショパンコンクールで、東洋人が入賞することの難しさといえば
それは想像をはるかに超えることだったはず・・・。
ましてこんなに美しくって小さくてかわいい方・・・。
1965年ショパンコンクール、日本人二人目の受賞者でした。
彼女が受賞するちょうど10年前、昭和を活躍したピアニスト田中希代子が
ショパンコンクールで受賞しました。
ジュネーヴ国際音楽コンクール(1952年)、
ロン=ティボー国際コンクール(1953年)、
ショパン国際ピアノコンクール(1955年)
3つの国際コンクールの日本人初入賞者として知られた方ですが、
とても残念なことにご病気で30歳代後半に、引退されました。
美智子妃殿下のお好きなピアニストでもありました。
というわけで、表舞台での華々しいご活躍は長くは続きませんでした。
でもその後はもちろん桐朋などで育成に当たられました。
そして彼女が日本人の夢を大きく切り開いたことは言うまでもありません。
その夢を現実にして、彼女が果たせなかったその後の
表舞台での活躍を見事に実現して、日本人にピアノブームを巻き起こしたのが
まさに、中村紘子さんでした。
1965年、昭和40年・・・
高度成長の日本の家庭にピアノが広まるきっかけであったに違いませんね。
小学生の頃、ピアノコンクールを題材にしたドラマもありました(^_^;)
まさに、日本人にピアノを近づけてくれた方ですね。
私たちが子供の頃、ピアニストといえば中村紘子さんでしたから。
実は彼女、自分は初めての受賞者だとずっと思っていたそうです(^_^;)
まぁ、最年少での受賞でしかも4位入賞で・・・ちなみにそのときの
2位はマルゲリッチとくれば、華々しすぎて・・・気持ちはわかります(*^_^*)
桐朋の黄金期、同期に小澤征爾、堤剛、江戸京子など・・・。
まさにエリート、ピアノを弾くために生れてきた人だったのですね。
あ、ちなみに田中希代子さんの時のショパンコンクール、
2位はアシュケナージ!どちらもレベルの高さが窺い知れますね。
41歳、全盛時代の演奏です。もちろん、ショパン。
Chopin Fantaisie-Impromptu Hiroko Nakamura
心よりご冥福をお祈りいたします。
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