保護猫活動する隠居爺の野菜作りとスキーの日記そして病気の記録

冬場の60日以上はスキー、夏場はそのための体力作り&自給用野菜作り、そして保護猫活動と病気の記録も綴ります。

直接係わってしまった“リコール隠し”の記憶 ③

2009年10月24日 | クルマ販売と板金修理の実録

いわゆる「スリーダイヤ」は三菱グループのシンボルマークですが
S50年代後半まで乗用車には使われず
なぜか「MMC](Mitubishi-Moter-Corporetionnの頭文字)だったのですが
これは当時、テレビCMが盛んに流れていた
ミツモトコーヒーの「M.M.C.」と酷似していて
お客様からよくからかわれました。

この“リコール隠し”はそもそも
乗用車のギャラン(G)系、プラザ(P)系ともう1つの販売チャンネル
ふそう系のトラックのフロントハブの強度不足を隠した事件なのですが
ふそうのトラック、バスには、車体の大きさに見合った
クソでかい「スリーダイヤ」が燦然と輝いていて
なぜ乗用車に付いていないのか不思議でなりませんでしたので
三菱自動車に問い合わせた結果の回答を要約するとこうでした。

『旧岩崎(三菱)財閥に対する一般庶民のアレルギーを考慮しています』

それは確かに軍需産業で大儲けして
今でも戦車の優秀性は世界的とは聞いていますが
私が飛び込んだ時点で戦後30年も経っているのに
“一般庶民の反発”を恐れているなんて
トラックやバスを庶民は使わないのでしょうか

ところでこの「スリーダイヤ」
グループ企業でさえ簡単には使用はできず
正確な名前は忘れましたが「スリーダイヤ評議会」とか言う
グループ内の会議の了承が必要なのです。

と言うことはつまり
多分、三菱グループ内では乗用車部門はまだまだ
“一人前”としてに認めてもらっていなかったのかもしれません。


突然の陸運局からの電話に答えてからものの10分も経たないうちに
G系販売会社のサービス課長兼フロントO様から

「金子さん、陸運局になんて答えたの?」

こちらの会社の歴史は古く、三菱自動車の乗用車販売の歴史そのもので
地元の長野電鉄が経営母体の社員総数150人は超える会社です。

サービス部門売り上げもかなりの数字を挙げていて
都内の一流ホテルで毎年行われる各部門の
メーカー表彰の常連でもあったのですから
整備振興会等の会議などでは顔を合わせることはあっても
創立数年で、かつ1/7以下の規模のP系販社で
“新米”フロント兼“成り立て”部長(総務部長兼務)では
まだまだ対等に話せる相手ではありません。

何となく不穏な空気を感じながら
そのままの内容をお伝えしたのは言うまでもありませんが
Oさんの元へも陸運局からそのような書面が届いていないか
問い合わせがあったそうです。

さらに30分ほど経ってから今度は
三菱自動車本社()の、それまで聞いたこともないような部署の
それも「部長」と称する方から電話です。

「陸運局に答えた“そのまま”をもれなく教えてください」。

そして最後にこう付け加えられたのです。

「今日は一切の電話に出ないように!」

メーカー本社の部長クラスは地方の販売会社に
“社長”として出向することもあるポジションと聞いていましたので
緊張しているせいもありましたが
優しい話し方とは裏腹の厳しい響きを感じていて
とても何が起きているのか質問できる雰囲気ではなかったのです。

それ以降、陸運局から再度、電話があったようですが
“居留守”を使ったのはもちろん、一切の電話には出ませんでしたが
何が起きているのかは分からないまま
その一日をどう過ごしたのかも覚えていません。

確か社長から「今日は早く帰った方がいい」と言われて
それに従ったと思いますが
「陸運局が訪ねてくるといけないから」とも
同時に言われたような気もします。

「何か悪いことをしたに違いない」という漠然とした雰囲気は
感じ取っていましたが、この時点では誰からも叱られていませんし
事態の説明も受けていなくて、それどころか
誰も意識的に多くを語らない感じさえあって
孤独感に陥っていたことを記憶しています

そして翌日、1枚の書面を持って
本当にたったそれだけのためにわざわざ
朝1番の電車に乗って東京の三菱自動車本社から訪問者があって
その書面を見て初めて、“なんとなく”事態を理解することになるのです。

(続く)

  


 

 

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