かめさんの輪(かめりん)♪

カメ好きです。活動している方をお手伝いしたり、学んだ情報を共有しています。どのカメさんもしあわせにと願っています。

聖なるよるに☆彡・2018~クリスマスに「命」を想う~

2018-12-25 18:15:16 | つぶやき。。。
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みなさまは、この三連休はいかがおすごしでしたでしょうか?

ここはカメさんの活動などを共有しているブログなのですが、ちょっときょうはクリスマスということで、カメさんをとおして

自然の中で活動し、ゴミを拾い、川や池にはまって生き物とかかわってきたわたしが日々感じ続けていること、最近

ちょっとづつなぞが ほどけるように 人間とはなんぞ?と問い続けている答えに近づいたり、知ったことについて

考えたり、アクションをおこしていることについて 毎度文章がへたなのですがつぶやきとして書いてみたいと思いますので

よろしければ おつきあいのほど、、、

あわない方は、途中で閉じてくださいね~。(とくに宗教にはいってるわけでも、スピリチュアルとかでもありません、が

つぶやきでございます~)




              




さて、「クリスマス」は何の日か、ご存知でしょうか?

日本人は文化的には、「あたらしいもの好き」で、西洋、東洋文化を取り入れては日本風にアレンジしてきたようです。

食文化などが有名ですよね。(カレーやラーメンなどは、日本風)

「無宗教です」といいつつ、お正月には初詣にたくさんの人が押し寄せる風景は、海外の方々から見ると「??」だそうで、、


無意識にしていることというのは日常茶飯事なんですね^^;。

じゃあ、「あなたは、神を信じますか?」

それってキリスト教の?それとも「漠然としたかみさま?」

ん~かみさまも、幽霊もいないんじゃない?

かみさまはいると思う。見えないけど、、、?

八百万(やおよろず)の神様はいるとおもう?




さて、何の日かの話はどこへやら、(ググってください笑)きょうは「命について」。。

はい、書ききれませんし、スキルもございません。先にあやまっておきます。

そして、宗教のお話は(も)おいといて、、




みなさんは、例えば自分自身について

「命」はどこから来て、どこへかえるのか  

「私」と思う、この「私」という「意識」は、なぜあるのか?

「私」と思っているこの「からだ」に、私はなぜ「入っている」のか?





「エコ」「地球にやさしい」という言葉の使い方に違和感をかんじたことはありませんか?


「人間」は「生物多様性」「食物連鎖」の、どの位置に属していると思いますか?




「プラゴミゼロ運動」は知っていますか?なぜプラゴミはだめ?



。。。ググっても出てこない問題も出てきました(笑)。





宗教観とか、思考の差など いろいろありますが、人間はどこから生まれてくるのでしょうか。

おかあさんのおなかから。

じゃあ、「私」という「意識体」はどこから、、、、?





「地球」から?それとも「宇宙」?「あの世」から?





「意識」が芽生えるのは、「タマゴ」の時から・・・・?





「意識」はヒトに入ればヒトになり、「カメ」に入ったら「私」は「カメ」だったかもしれない・・・?








さて、この話はわたしが小学生のころからの疑問でした。なんともうおよそ半世紀も生きてきて、まったくもってなぞのままでした。


しかし20歳のころ、「ブッダ」の最終話あたりだったでしょうか、(もう読んだのはン十年前ですが)私たちのたましいは すべて

手をつなぐようにして地球を囲んでいるという絵だったように記憶しています。




すべてのたましいは、つながっている、そしてそのたましいはどうやら「一つの集合体」のようなもの


だとしたら、ひとつひとつの優劣をどうこう責めたり、批判したりするのは無駄なこと。

あなたは私、私はあなた、そしてみんななのだから。






はい・・・・・?






カメの話をしましょう。いつもカメさんが大好きな私ですが、川にいるどのカメさんもだいすきですが、ある種類は「保護」され、ある

種類は「殺処分」されます。

「そこにいてはいけない種類」の子は、日本の生態系のバランスを崩し、「間接的に在来種を絶滅においこむ」から「保護」し「殺処分」します。

研究で「侵略的外来種」と認められた種類は、カメの世界に限らず「法律」で「指定」されたり、「飼育」「捕獲」「生きたままの移動」などを

制限されたり、駆除されたりします。



じゃあ、「生まれてきたらだめな子だったの・・・?」と、目の前にいるカメに問う

、、、ことなど、できますか?答えは「NO」。無理。ただ「ごめんね」としか言えません。私はそうです。

生まれてきたらだめな命だと言ってしまえばそれは自分にかえってきます。

「そんなはずはない」と答えがかえってきます。




駆除は、人間の都合です。「飼える」なら、全部飼えばいい。「保護」すればいいんです。でもそんなに大量の子たちを

(カメだとひとつの川だけで500頭、池やたんぼ、たとえばレンコンの被害のあった地域では○トン単位)「飼育」できるかと

言われれば、誰が?どこで?という問題があり、現実的にはむずかしい(名乗り出て一頭でも自分が飼います、ということは可能)

ので、殺処分されています。

(飼うことも、殺処分も必要ない、エゴだ、という話はおいといて、、)



これは、「正しい」ことなのでしょうか。



「仕方がない」から、「ただしいか、ただしくないかはともかく、やるしかない」




生き物を殺すことなど、だれもしたくはありません。(正常で、その必要性もない場合)



生き物は愛でるもので、仲間で、殺す、悪と決めつけ、所有、支配し、憎しみ閉じ込めるものではありません。




話はかわって、今年の夏は例年にもれず、というかいままで 経験したことのない ほんとうに耐えがたい暑さの夏でした。

「異常気象やね」という言葉をきくたびに、「悪いのはおまえだ」と言われている気がして、「どうして私たちは自分をかえようと

しないんだ」「どうして世の中は自分の思う反対のことをしているんだ」と感じ続けていました。



また夏が来て、ゲリラ豪雨と暑すぎる川。池。みんなはお外で無事だろうか、、、

人間はエアコンがきいている室内でいたり、つめたいものをとったりできるけど、みんなは、、、






来年など来ないのではないのかというくらいの、急激な環境変化。これは、すべて人間が起こしてきた結果だと。




「温暖化」CO2には関連性がない、という話も聞きますが、ともかく「こんな乱暴にものを扱う世の中が、心に良いわけもなく

地球にいいわけもない」と、自分の内なる心は言う。




「そもそも地球は『母なる地球』っていうけれど、わたしたちみんなの母だとしたら、その母への扱いがひどすぎるのでは、、」


おかあさんは、どんな存在ですか?

子供のことを、しかったり、ほめたり、甘やかしたり。

地球に甘えっぱなしで、怒られた記憶はない私。



地球が風邪をひいて、ぶるっとふるえて地震がおこり、とうとうお熱が出ちゃったのかもしれません。プレートの知識もありますが

気象と地震の関係性を指摘されている専門家さんもいらっしゃって、なるほどそうかもと思ったものです。



科学ではわからないことも、気持ちが知ってる、たぶん。

人だって動物で、地球産だし、そうそうばかじゃない。考えるんじゃない、感じろ。

「地球のしっぺがえし」だという人もいるけれど、人がやったことの結果で、地球はあくまで恩恵ばかりを

与え続けてくれているし、しっぺがいしなんかじゃない。






「地球始点(視点)」で考えてみると、地球にアカンことばかりわがまま放題してきて、もうそろそろざんげ、、というのもなんなので、

前向きに考えると、ゴミを出しすぎ、生き物に無頓着すぎて みんな心が疲弊(つかれて)しまった世の中。

だから「いなか暮らし」とか流行ってるのかなと。




インフラ整備もできてないいなかに、人が集中したらと思うと怖いんですけど、、

私の両親の田舎は、ちょっと昔までせっけんと決まったシャンプーしかつかっちゃだめだったのに、いつの間にか規制解除されて

あれ?浄水所も下水道もないのに?と心配になっています。







プラごみをどこまで出さずに生活出来るのか?

私が一日に食べる食材の一部でも、こんなに大量のプラゴミが。これが「健康的」とは言えないなぁ。。






と、地球環境になんとか配慮することが、わんにゃん、カメさん、ひいては自分の生き方によいことにつながるのか、と。





2013年夏、私は飼いカメであるいっぴきのクサガメを、自分の不注意で脱走・迷子にさせてしまいます。

28日間、とくにさいしょの10日間は寝食問わず、フロも洗顔もほぼパス、外にでずっぱりで必死に探し続けました。


植え込み、近所の土場、水場、カンカン照りのまったく雨の降らない期間でした。

(たくさんのみなさまにご迷惑をおかけし、ご協力いただき、最終的には人に保護されて

無事かえしていただくことができたのですが。)

その際に、家にいるときはあまり感じなかった「地球」をぐるぐる感じた私。それから「地球始点」で

美容室でも「地球にいいことしかしたくない」と言ったら、「オーガニックの100%ヘナ」の染料や

「天然由来の界面活性剤使用シャンプー、トリートメントいらず」を紹介してもらい、使用しております。

(そんなものがあったとは、、)お湯シャンは数が月で挫折し、たまにしています。石鹸シャンプーはだめでした。





それまでも、海へ山へ川へ行けばゴミを拾っていたのですが(単独で小学生のころから)、

「自分のためありき」よりも、やっぱり人間としての性質なのか、「だれかのため」と思って行動するのは気持ちがよく、

自己満足だとしてもすっきりするのです。ゴミは拾うもの、という意識で 「きたときよりも うつくしく」と

連れがいても 相手が時間の許してくれる限り拾っていました。




大人になり、ゴミを回収してもらうためには「液体」はすてなければならず、シャンプーをボトルに入ったまま不法投棄している

場合は、土に流さなければ(山中)いけません。これを自分も毎日のようにしているんだ、と気づきます。(浄水してるにしても)

土中にうもれたりしているようなゴミ拾いは、地球さんのうみを取り出しているような感覚がします。自己満足ですが

なんだかいいこともしている気がするし、すっきりします。たくさんの人が見て不快な場所なら、ちょっと自分がひとり拾うだけで

たくさんの人がすっきりした場所でいやな思いもせずにすみます。




「地球にやさしい」はわかりやすくて、このキャッチフレーズに文句があるとかではないのですが、これって当たり前なんですよね。

「当たり前」ができなくなったのは、便利を追及してきたためと、経済至上主義の流れにのっかって、都合のわるい少数派のことばは

かき消されて(存在自体も)しまうからでしょうか。この言葉に自分が違和感があるのは、「いいことしよう」みたいな言葉に感じて

あたりまえなのに、人間のおごりを感じるというジレンマからなのでしょうか。

(ちなみに断っておきますが 私がふだん おこないが正しいのかというと、ほぼまちがいだらけできほん わがままなのですが、、)





じぶんに問う





あなたは しあわせですか?








あなたは きょうかえるばしょがありますか?


あなたは ごはんがたべれますか?


あなたは おみずがのめていますか?


あなたは さむさや あめかぜがしのげていますか?






もういちどききます、あなたはしわせですか・・・・?





はい、わたしは まいにちじゅうぶんしあわせです。


でも、知ってしまって、ずいぶん「ふこう」にしてきた周囲を思うと、そのたびに落ち込み、そんな自分に絶望します。

けど、絶望しきったら、「あかるい解決」をするために行動しなくちゃ、って思います。



生き物は人間に支配されるものではありません。仲間です。

地球は人の自由に使っていいものではありません。母で、おうちで、食べ物、水、空気のある大切で不可欠な存在です。










元気がでないときも、勇気がしぼむときも、いい足りない「ありがとう」をことばにしてつぶやき、勇気をもらい、

一歩もなんぽも先に気づいて行動されている方々に教えを請い。






ちかしい先生たち。






停電で つくづくおみずのありがたみを知り。ご近所のあたたかさも受け。




「アメリカ クリスマス」で検索すると、意味や過ごし方がでてきます。来年の今頃には もうじぶんは とりさんはたべるのをやめてるかな?

イベントのたびに捨てられる大量の命たち。「いただきます」を言う文化はすてきだね、と話して自分をほこりに思うわれら日本人。

うしさん、ぶたさん、とりさんの家畜はどうやって生まれ、生き、最期を迎えるのか 知る機会はあったのに、流していました。

うしさんはずいぶん食べるのをやめていましたが、ほかの子たちももう一生分たべたので、おもてなしやおつきあいなど以外は

もう遠慮してゆこうと思っています。





「慈愛」のきもちをもつはずのわたしたち。いまこそ封印をといて、「わがまま」「あるがまま」にいきるという一歩を。



行動できなくても、知ることを。


マザーテレサは、「愛の反対は 無関心」と言ったそうです。



ビーガンの方のことをつい最近知りました。同じことをできなくっても、賛同することで世の中を変えられる。

菜食主義の人は「ベジタリアン」だと思っていて、失礼ながら、偏見をもってしまっていました。

オーガニックにこだわることは、神経質だと思っていました。

たとえば「自分のためありき」じゃなくって、地球さん、生き物など他者のための 仲間のための生き方を選択してきた人たちもいるようです。


それが、結果として自分のためにもなることのようです。←※いろんな種類のヴィーガンさん、ベジさんがいるようです。



私は、菜食主義者でも、ビーガンさんでも、ベジタリアンさんでもないです。

でも、ちょっと学ばせていただいてみようと思います。なぜなら、とっても今の生き方が息苦しく、自分を変えたくって日々もがいているからです。

その答えやヒント、この先の行動や発見を教えてくれるかもしれないからです。





とりあえず、食料廃棄大国日本に生きていて、今年からおくればせながらわたしがアクションをを起こしていること。

スーパーの食材を、消費期限切れになるものから(だいたい前にあるもの)購入する。マイバッグはコンビニでもどこでも持参する。


スーパーの店先にあるリサイクルBOXを利用させていただき、できるだけきれいに洗って入れれるものは入れる。

「バタリーケージのタマゴは買わない」





来年のいまごろは、どうなってるのか また一年楽しみに過ごそうと思います。みどりーズにちょっとでも恥ずかしくない

自分でいるといいんだけど。






 



昨夜のおつきさんはとってもきれいでした。





きょう、注文していた自分クリスマスプレゼントが届きました。

ひさしぶりに目にとまったPEACEさんの記事に紹介されていた、作者さんのベジ漫画がとても明るく楽しそうで、知ることだけでもOKと

書いてあったからです。

採卵用のとりさんの惨状と、そこから保護された自由に動けるようになったとりさんの愛らしさと、「世界を変えたくて僕を変えた」という

タイトルに泣きそうになったからです。

。。ちょっと過激に思う活動もされてるように見えなくもない?ですが、みなさん自分のために、他者のためにと思う気持ちは

それぞれで、たしかに毛皮の情報は何年も前にこうした活動をされている方がいなければ、知ることもなかったですし、知れたことを感謝しています。

私自身は、攻撃的な思想や発言と思われることをしてしまうことがあり反省ですが 他者を批判することはさけたいなぁと

思うのです。(という批判、ではないと思いたい)

カメさんの発信についてもそうですが、「ここに書いてること」をひとつでも「あ、そうなんだ」と

思ってもらえるといいな、と思っていて、「ちょっとこの人の考え方にはついていけないけど」、でもいいと

思っているので、(むしろそれがふつうかと)考え方や行動が自分と違っているからと言って 話を聞かない

読まない、学ばないというわけではなく、反対の考えでもきいてみたいですし、知らないことは教わりたいと思っています。

(ただ攻撃したり、ただ批判されるのはNOサンキューです)





クリスマスは、自分が恩恵を受けた相手に プレゼントする日。



たくさんの「愛」を受けている自分に問う、まだたりないですか?

地球さんは無償の愛を くれています。水、空気、安全な場所。食べ物に仲間。





たくさんもらって「ありがとう」がちゃんと言えていますか?


もらうたびに言えていますか?

ほしがりすぎていませんか?ふまんばかり数えて、きょうある自分、手足が動き、目が見え、自由な自分に

喜んで 感謝できていますか?(差別的な意味合いはとくにございませんので、あしからず、、)










先日 ひとりものな自分に エンディングノートを購入し、両親にもプレゼントしました。

自分がどう行動するべきかもあらためて整理できるそうです。書いてくれそうになかったですが、、元気なうちにお願いします。





↑ 右がアラフィフの私の手。左の方は、何歳だと思いますか・・・・?




両手のひらが撮りたくっておねがいしたのですが、「あったかいねぇ~」と、手をさわられて画像がぶれて

片方の手しか撮れませんでした^^;。

御年94歳、かわいらしいまるがおの方なのですが、指はすらっと長いです。手のひらは私よりもとってもきれいだったんです。

毎日土いじりをし、ハンドクリームはつけたことがなく、野菜をもりもりたべて 自転車もこぐ(←ちょっと心配ですが、、)ご婦人です。

おさかなは昔から苦手で食べず、大正15年生まれでお肉はもともと食べないそうです。


。。わたしは長生きしたい願望はまったくないのですが、(カメがいるので健康と長生きは義務と思っておりますが^^;)

TVでは「肉を食べると長生きできるぞ~」的な情報ばかりが目について、「おにく苦手なのにな、、」と思って

ちょっと心配?していたので、この情報、生き証人はありがたいのです

・・・カメさんがいなかったら、私自身は昔も今も生に執着がなさすぎるので、生きる気力と意味を

与えてくれたカメさん、カメを返してくれてワンチャンスくださった運命にはありがたく思っているのですが、、




地球は宇宙のなかの一員で、わたしたちは地球の分子みたいなもの、で理解はあってるでしょうか。

生き物を飼育するということは人間のエゴですが、感謝しています。

飼っているうちに「飼わせていただいている」「教えられている」と気づくからです。そして愛もいっぱいわいて、とてもしあわせで

心地よいからです。



そして、それには「ほしがりすぎないこと」という自制も必要と思っています。

ほしがりだすと、こわいこわい「足りない病」も発動します。






死んだらゴミになるものを集めすぎて、身動きがとれなくなっていませんか・・・?

もしも自分が病気やケガ、死んだら、そのあと残された生き物はどうなりますか・・・?



人は集めたがったり、備蓄するのは本能だそうです。狩猟民族や稲作のなごりというか。

そんなこともふまえて、「あ、本能や、自制しなくちゃ」と


とくに生き物に関しては。

あんまり買い物では「あ、安い」とか、また同じようなものがほしくなったりと、自制がきいてない気がします^^;





とりとめない文章に おつきあいいただき、ありがとうございます。

はずかしすぎて、このような記事はたいていあとで削除してしまうのですが、、アップさせていただきます




      どうか みんな みなさまが しあわせにすごせますよう 





↓↓あ~やっぱりうまくまとまりません。、、~<(_ _)>
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↑↑ちょっとでもどこか接点があったら、、と、つらつら書いてみました。

そして、この記事アップ後に 上の紹介した本を読む前に youtubeで「Earthlings」を最後まで見ました。。

洗脳の映画とか書いてる人もいましたが、、そんなことはどうでもいい、これがリアルだと思いました。

数日とか、じっくり心に問うて、考えて調べて消化しながら自分のありたいように選べるのだから、行動してみようと思います。

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