少し前、小さな手提げ袋がぽつんと一つ寂しげにリビングに置いてあった
あれっ会葬の礼状じゃないか・でもこれこの前オレが行った近所の葬儀のじゃないな
中の文字を読んでみた
二男の葬儀の会葬礼状・・挨拶の主は親の名前で書いてあった
11月28日付だった
息子に「誰のだ?」と聞いてみた
「小学校の時の連れ、 バイク事故で・・・」
それ以上何も言わなかった・・・
息子のweb日記があった
これは彼自身、親の目に触れる可能性を知っている
2008年11月28日 (金) 20:42:04 相方
ああ きみはあと朽ちるのを待つ意思のない身体になって
ぼくの記憶の奥底にねむるうれしいことばを呼び覚まして
どうも燃えてゆくらしい
なぜ、いまなんだ、
と、つぶやいてみても、
そこには答えはないそうだ
**********
相方と呼べる初めての友達を事故で亡くしました。
今日は通夜。
知った顔をぼんやりと眺め、記憶の輪郭を明らかにするために正直、結構かかった。
死ぬ、という現代ではありふれた言葉の裏側には、まだ日本語では解けない悲しみが付き纏っている。
ただ、悲しめるのも幸せだと感じた。
俺が死んだら、みんなは心のなかでいったいなんとつぶやくのだろう。
馬鹿野郎?
ふざけんな?
夢半ば?
しらねぇ?
ネタ?
つまんねぇ?
惜しい奴を亡くした?
やめてくれよな。
青臭い、よくあるアレかもしれんけど、もし俺の葬式があったら、みんな次の日は休みにして、盛大に飲んで、笑って、すっきりして、帰ってほしいなぁ。
寂しい式は、きっと寂しいよ。
今日、すこし、そう、感じた。
いってらっしゃい。
仮にお前の葬式なんか見る羽目になったら オレは立ち上がれなくなってしまいそうだ
考えるだけでも恐ろしいこと
でもそういう現実がここそこに転がっている
もしも家族揃って元気でいられるなら こんな幸運なことはないと喜ぶべきだろう
人はいつも隠れた幸運を忘れてしまう
悲しいことに出会って初めてそれを思い起こす
息子が喜びの前にこんな悲しい目に合ってるなんて知らなかった
そういえばあの子だったんだ・・・
ようやく思い当った
合掌
あれっ会葬の礼状じゃないか・でもこれこの前オレが行った近所の葬儀のじゃないな
中の文字を読んでみた
二男の葬儀の会葬礼状・・挨拶の主は親の名前で書いてあった
11月28日付だった
息子に「誰のだ?」と聞いてみた
「小学校の時の連れ、 バイク事故で・・・」
それ以上何も言わなかった・・・
息子のweb日記があった
これは彼自身、親の目に触れる可能性を知っている
2008年11月28日 (金) 20:42:04 相方
ああ きみはあと朽ちるのを待つ意思のない身体になって
ぼくの記憶の奥底にねむるうれしいことばを呼び覚まして
どうも燃えてゆくらしい
なぜ、いまなんだ、
と、つぶやいてみても、
そこには答えはないそうだ
**********
相方と呼べる初めての友達を事故で亡くしました。
今日は通夜。
知った顔をぼんやりと眺め、記憶の輪郭を明らかにするために正直、結構かかった。
死ぬ、という現代ではありふれた言葉の裏側には、まだ日本語では解けない悲しみが付き纏っている。
ただ、悲しめるのも幸せだと感じた。
俺が死んだら、みんなは心のなかでいったいなんとつぶやくのだろう。
馬鹿野郎?
ふざけんな?
夢半ば?
しらねぇ?
ネタ?
つまんねぇ?
惜しい奴を亡くした?
やめてくれよな。
青臭い、よくあるアレかもしれんけど、もし俺の葬式があったら、みんな次の日は休みにして、盛大に飲んで、笑って、すっきりして、帰ってほしいなぁ。
寂しい式は、きっと寂しいよ。
今日、すこし、そう、感じた。
いってらっしゃい。
仮にお前の葬式なんか見る羽目になったら オレは立ち上がれなくなってしまいそうだ
考えるだけでも恐ろしいこと
でもそういう現実がここそこに転がっている
もしも家族揃って元気でいられるなら こんな幸運なことはないと喜ぶべきだろう
人はいつも隠れた幸運を忘れてしまう
悲しいことに出会って初めてそれを思い起こす
息子が喜びの前にこんな悲しい目に合ってるなんて知らなかった
そういえばあの子だったんだ・・・
ようやく思い当った
合掌