木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

告別式にて

2015-04-27 23:55:20 | 友達
インターフォンが鳴った
「昨日、今日も明日も私が行くって言ったけど、今日デイサービスの日だった
 行きたいからお前今日のお葬式行ってくれんか?」
二日共は悪いなと思ってたからすぐに引き受けた
多分仕事場と家との間のあそこだろうから礼服とシャツと靴下と靴を持っていけばいい
告別式は12:30からと聞いてる

毎朝繰り返してる母親のところへの訪問は手ぶらだとなんとなく手持無沙汰だが
葬儀への案内状を受け取りに行くという名目でその気持ちは紛れる

ところが葬儀場は名古屋駅の方面だった
仕事場から自分の家を通り越してまだ15分ほど行かねばならぬ
車で30分はかかるだろう


亡くなったのは隣の隣のサトシ君のお母さんだった
サトシ君は僕の幼馴染
小学校中学校も同じだ
僕はそのつもりもないんだが、彼は少し僕とは違う位置にいた
仲が悪かったわけじゃない
子どもの頃も遊んだと言えば遊んだ
チャンバラごっこしてる写真もある
でも彼は、というか彼のお母さんは何となくだが僕らとは違うところにいて
息子にもあまり僕たちに近づかせようとはしてなかったように思う

中学を卒業すると彼は工業高校へ進んだ
そう名乗る高校としては市内でもトップクラスの高校だ
隣の隣だが滅多に顔を合わせることがなくなった
高校を出て就職をして、もっと顔を見なくなった
やがて違うところに住むようになったようだ

多分彼は僕のことがあまり好きではなかったんだろう
僕は割合好きだったけれど

20歳くらいの時にクラス会だったかで一度会ったと思う
40歳の時の中学のクラス会には彼は来なかったし
一昨年の同窓会でもえらい苦労して居所を掴んだのに顔を見せてくれなかった
だから喪主として見た彼は多分40年ぶりくらいだったんじゃないだろうか

寂しい告別式だった
家族葬と呼べば間違いなく納得できるような
(実はこの10年ほどお父さんとお母さんと別々に入退院を繰り返しながら
どこかの老人ホームを生活の基点にしていたから
今はその家には離婚して戻った長女が息子と二人で暮らしている)

だからと言って葬儀はどこも恥じることはない立派なものだったと思う
親戚が10数人とこの一角のご近所さん僕を含めて4人
比較的長い読経の後焼香が始まる
親戚の後は4人で最後が僕だった
僕に気づいたろうか?
それもわからん
「ご苦労様でした」 という僕の言葉にお辞儀で返してくれたけど

普通ならここで帰ってしまうけど、最後のお別れまで付き合う
抜けると目立つし、仕方ない(笑)
でも、おばさんの最後の姿を見れたし、花もお供えできたから良かったと思う

思いがけず棺を霊柩車まで運ぶ役目まで仰せつかった
しかも玄関出て坂を下りて、20mくらいあるんじゃないか
最初4人だけだった
大丈夫? と思ったが見かねて職員が二人手を貸す
それほど重くない、冷たく感じた手のひらの感触が人の死を確認させた

多分これでまた彼は他人になるはず
もっと他人になるんだろう
少し寂しい
コメント (6)
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