母の部屋には5つの掛け時計がある。
仏間にあった時計が壊れて動かなくなったのは一年ほど前だろうか。
僕は気を効かしたつもりで丸い時計を買って動かなくなった時計を外して換えておいた。
勿論時計が壊れたことを母に告げての行動だった。
時が流れて3ヶ月くらい前のことだろうか
僕の部屋の前にその新しい時計と小さなメモが置いてあった。
「私の大事な時計を返して」
その時計が掛けてあるところには四角い跡が壁にあって新しい時計をかけると少しだけ四隅の跡がはみ出ている。
だから時計が替わっていることはそれを見上げるたびに気がつくのだろう。
そして彼女は一つ大きな勘違いもしていたはずだ。
「私の大事な時計」は僕が交換した前の時計ではなく、自分のリビングにかかっている四角い時計のことに違いないのだ。
時ははっきり覚えてないが多分昭和50年代に自分の両親から貰った金婚式の記念の時計。
それは昔から大切にしていたので「私の大事な時計」は今現在も昼間の母を見守り続けているはずなのだ。
壊れてしまったことをもう一度説明して掛け直したのだがまた一週間もしないうちに少し強い言葉のメモ用紙とともにまた僕の部屋の前に返されていた。
私の時計を返せ! と
お母さんの大事な時計はあの時計ではなくて今ここに掛けてあるこっちの四角い時計だよ。
その時計を一度外して裏を見せると金色の文字で 金婚式記念と書いてある。
納得してくれたはずだったが・・・
しばらくするとまた同じように返却してある。
もう説明するのも疲れたので外したままにしておいた。
昨日母の部屋に薬や差し入れを持って行ってマッサージ機に座ったら
「なんてひどいことをするんだ。人の大事な時計を捨ててしまうなんて」
向こう向きでそう言ってるのが聞こえた。
僕はカッとしてしまった。
立ち上がってテーブルの前に行って
「おかあさん、ここに座って。 僕がその時計を捨てたのは時計が動かなくなったからだよ。
それで新しい時計を買ってきてそこに掛けといた。
それを何度も僕の部屋の前におかあさんが返してくるから 仕方なしにそのままにしてあるんだ。
おかあさんの大事にしてる時計はこれ ほれここに記念品とあるじゃ無いか。
在所のおじいさんとおばあさんの金婚式の時の記念品だろ?
僕はおかあさんにひどいことしたことは一度もない。絶対無い。人のことをひどいと言うことはもっとひどいことだ。」
申し訳ないことだが母に対して声を荒げてしまった。
わかってるよ。相手は忘れちゃうんだから仕方ないことくらい。
それでもひどいことをすると言われて自分が情けなくって思わず反発してしまった。
「私が時計を返した? そんなことしてない。新しい時計を返すなんて。」
「しょうがないよおかあさん忘れちゃってるんだよ。だって例えば昨日僕があかあさんに買ってきたスイカ覚えてる?」
「憶えてない」
冷蔵庫を開けたらまだそのまんま残ってた。
「ほら、あるでしょ 忘れちゃうんだよ 時計も何度も返されたから外したまんまになってるんだ」
母は泣いた。ごめんなさいと言って泣いた。
いつもありがとうを繰り返す母からひどいやつと言われたことがショックの僕。
その息子から声を荒げた叱責を受けて謝った。
マッサージをし直した。
しまった。怒鳴ってしまった。
そんなことが頭をよぎる。
マッサージを終え母を探すとベッドで布団を被って泣いていた。
「おかあさんごめん。怒鳴ってしまってごめん。 ひどいと言われたことがどうしても許せなくて怒ってしまった。
でも怒鳴ることはなかった。ごめんよ」
もう一度謝る母と自分の言動を謝る息子。11月になると90歳の母親と分別盛でなくてはならない67歳の息子。
人間ができてない。
それは僕のことに違いない。
四角い時計を注文した。
夜が明けたら届くはずだ。