2年前圧迫骨折から一度復活した母でしたが今年の5月に再度の骨折。
以前とは少しズレた位置での再発でした。
なんとかなるかもと楽観していたにも関わらず今度は外科病院、老健、グループホーム、緩和病棟の道を辿り入院から半年後に帰らぬ人となりました。
真っ黒な一年だったかと思われるかもしれませんがその間に僕は覚悟もし準備もしそのための期間としてはとても適当な時間だったんじゃないかと思っています。
母は晩年は感謝の人でした。
誰に対してもありがとう、ごめんなさい、すみません、を繰り返しその前にお世話になっていたデイサービスも含めて出てゆく施設から残念がられたような気がします。そのように最後まで認知症はあるものの結構しっかり意識は持ってくれてたようでした。最後の最後まで僕のことはちゃんとわかってくれていましたし。
僕はまだあれから母のために泣いてはいません。
中学一年の時祖父を亡くし、一晩泣き明かしました。中2の祖母の時ももっと幾晩か泣き明かした。18の時には弟を亡くして数えきれない悲しい夜を経験した。
でも17年前の父の時も今回の母の時も寝床に入って思い出して泣くことは一度もなかったです。 ただ感謝はしています。
自分がどれだけ恵まれて過ごしてきたかということはこれだけの人生を経験して初めてわかったことです。情けない話ですが・・・
近しいある人は父親に暴力を振るわれながら育って今でも心の中が晴れていません。そんなことを聞かされる度に自分の幸福を実感してしまいます。その人には悪いですけれど。
お返ししなくてはいかんと思っております。
今日は仕事お休みにさせてもらいました。
カラオケに行ってきます。