人には、一生のうちで忘れることができない風景がいくつかある。もし、人が死んで、心だけがあの世に持って還れるものだとしたら、人は天国でその心象風景に包まれて生きていくものなのかもしれない。
僕の眼に焼きついて消えることのない一つの風景は、四十二歳の春に見た、艶やかに咲いて、空一面に散っていった桜の風景だ。満開の花が一枚一枚の花びらになって別れ、あざやかに舞いながら空をうめる。僕の心の中のスクリーンには、永遠に時が止まってしまったかのように、桜はいまも舞い続けている。
日本人は散る桜に人の生死を観る。
その桜を見つめていた僕は、数十分前に妻の臨終を看取ったばかりだった。くも膜下出血で、妻はその日、四十三歳の短い生涯を終えた。
閉ざされた病室の中で時は凍り、僕は医者が妻の臨終を告げる声を聞いた。
「星とアンモナイト――永遠の流転の狭間で」という
自分のエッセイ集から抜粋。
妻と共に20世紀を生きて、妻のいない21世紀を僕は生きてきた。
今日は、さくら忌。
これは時々僕のところにコメントをくれるネギさんの日記です。
今年の4月3日のこと。
で、その後三つ目の記事を書いて彼の日記は止まった。
500円の味噌ささみかつ定食│風とサンゴの物語 南の島の幻住庵記(参)
週末名古屋に行く。と言ったまま彼は口を閉ざした。
たくさんの人が心配してコメントを残していたが発信はない。
そして
皆様に大変ご心配をお掛けしています。
根岸冬生の姉です。
根岸は6日の夜に緊急入院し、現在療養中 です。回復には今しばらく時間がかかりそうです。また皆様にお会いできるのを楽しみにしていると思います。
ご心配下さった皆様に心より感謝申し上げます。
皆様もどうぞお身体大切にお過ごし下さい。
4月26日にこんなコメントが入る。
遠くにいる友達なのか知り合いなのかでも知ってる人の存在は僕らはブログの更新で認知できるだけ。
本人が発信しなければそれで終わってしまう。
病気でも発信くらいはできないのか?
いくつかそれを経験してきたのだがそれは終わることがない。
無事復帰してほしいと心から願うのみ。。
仕方ないことで、そういう心の準備もだんだんと身についてきてるように思います。
それでもいざ身近で起こるとなんとも切ない気持ちになるものです。
ネギさんにはきっちりと復帰してきてもらいたいです。
その愛知の方もお元気だといいですねぇ。
寂しいっすよねぇ。
僕も何度か経験しました。こうやってネットの世界にいるとそれは避けられないことはわかっていますがいざ身近でそういうことが起こると残念でなりません。
彼の場合はお姉さんから容態の報告があったので現実に近いだろう想像はできますがそれにしても一ヶ月半以上も次が書けない状態が続いてると心配しか感じられません。
僕の最後の時は更新途絶えて終わり。
それでいいような気がします。
僕もここでの体験の中、何人か消息不明の方があおられます。寂しいことです。
昔はその別れ方が息苦しく感じることがありましたが何度も経験すると仕方ないことなんだと諦めがつくようになりました。いたって元気のまま去られる方の方が多いですからね。
彼には一日も早く復帰してもらいたいと思っています。
ただまだ彼も若いですしそんなに早く再会してもらっては困ります。とにかく今回は一日も早く復帰してジャーナリストらしい切れ味の記事をまた披露してもらいたいものです。
私にも愛知県のブロ友さんで、心にかかる方が居ります。
病気をされて復帰されたものの、
そこから次の段階に入られたようで・・・
色々なものを閉ざされて、遂には交流できなくなっています。
ただただ、ご無事を願っています。
発信されない限りもうお会いできないのかと寂しい限りです。
お元気で突然更新がなくなっても心配ですが、闘病されているのを知っていて、更新がなくなると、やはり悪い方に考えてしまいますよね
あったこともないバーチャルの世界でのお付き合いとはいえ、日々の生活をのぞくようなおつきあいをしてきた者としては何らかの形での線引きをしたいと、つい勝手なことを思ってしまいます
私は万が一突然に死ぬことがあれば私のブログに報告だけはしてもらうように従妹に頼んであります
でもご家族にも内緒のブログであればそれはもう埋もれてしまうだけになってしまいますね
私の場合は家族が誰もnatuブログをしているのを知らないのでお休み状態になる恐れがあります.
普段では会ったことないし、友人と呼んで良いものかとも思うこともあるのだけども、身近にいる人たちよりも親しい気もする友人。この絶妙な距離感が好きです。
根岸さん、最近コメントないなと思っていたんです。
更新がないと心配になります。
早く元気になられますように。
みんな元気に、みんな幸せにしてて欲しい。