よく最近の子供は弱くて堪え性(こらえしょう)がないと言われるけど
考えてみれば自分の子供時代もあるところまでは同じようなものだったと思うなぁ
今日も人生相談聞いてたんだが
小学生の男の子、水泳の時間がどうしても嫌でそれが発端になって登校拒否が始まった
どう対処したらいいのか・・
そんな相談でした
一瞬思うんだよね
今の子は弱いなぁ それで登校拒否かよ って
でも自分も登校拒否は一度もしなかったけど
学校へ行きたくないって気持ちは時々味わっていたな
僕の一番嫌な時間は「音楽」
今からは自分でも考えられないけど それも一学期に一度ある「歌のテスト」
それが嫌なものの中でも飛び抜けて嫌だった
何故って・・・音痴だったから
そこから脱却して今がある すごいだろ
と言うつもりは毛頭ない
純粋にあの時は本当に嫌だった
この世の中に「音楽」さえなければ どんなに楽しいだろうって
いやもっと絞れば「歌のテスト」さえなければだ
僕が歌うと笑い声が教室中に響き渡るんだもん
1年2年とそういう実績を積み重ねてゆくと・・
僕が歌う態勢になった時にもう笑いだす奴がいた
もっちゃんだ
普段は彼のことが大好きなんだけど 歌のテストのときだけは殺したくなる
わははははははははは・・・
歌うか歌わないうちに奴の大きないやに不自然な笑い声が響いて・・
今でも思い出すと・・首を絞めたくなる
はじめの頃は先生がピアノを弾いてテストを受ける者はみんなの方に向かって歌う
そんなスタイルだったけど高学年になると先生の横で先生に聞こえるくらいの歌い方でテストされるようになって
あの苦しさから解放されたように思う
そしてこんな僕でも歌が好きになってゆくとともに
レコードに合わせて歌ってみる
そうするとちょっと♭してることが分かった
だんだんと音痴から脱却して行けたと思う
(中3の時は先生から言われて合唱部の一員となる)
抜け出せたのは自慢でも何でもない ただ運がよかっただけだ
あの気持ちが高ずれば登校拒否なんかそんなに遠いものでもなかったかもしれない
ホンの紙一重の差だった
ただ僕には一つ武器があった
「野球」だ
5年でレギュラーもらってたし、クリンナップ任されてたし・・それがかろうじて僕を支えてくれてたと思う
でも今でも思うよ
弱いところを責められてたら きっとそんな心の状況になっちゃうって
ひとつ自信を持てることを手にして
それを盾にして生きてゆく
これは子供だけじゃなくて大人になった僕たちにも必要なことじゃないんだろうか
いくら大人の姿をしていても子供のころと変わらない何かを持ち続けている
僕はだけど、今の嫌なことも苦しいけど 子供の時に感じた嫌なことはもっと苦しかったような気がする
みんなに笑われて小学生だった僕はそこで泣いてしまった
でもその後、楯を貰った
くじけそうになったときそれを見つけて手にすること
本人が出来なければ そばにいる誰かが見つけてあげたいね
ベタだけどね
考えてみれば自分の子供時代もあるところまでは同じようなものだったと思うなぁ
今日も人生相談聞いてたんだが
小学生の男の子、水泳の時間がどうしても嫌でそれが発端になって登校拒否が始まった
どう対処したらいいのか・・
そんな相談でした
一瞬思うんだよね
今の子は弱いなぁ それで登校拒否かよ って
でも自分も登校拒否は一度もしなかったけど
学校へ行きたくないって気持ちは時々味わっていたな
僕の一番嫌な時間は「音楽」
今からは自分でも考えられないけど それも一学期に一度ある「歌のテスト」
それが嫌なものの中でも飛び抜けて嫌だった
何故って・・・音痴だったから
そこから脱却して今がある すごいだろ
と言うつもりは毛頭ない
純粋にあの時は本当に嫌だった
この世の中に「音楽」さえなければ どんなに楽しいだろうって
いやもっと絞れば「歌のテスト」さえなければだ
僕が歌うと笑い声が教室中に響き渡るんだもん
1年2年とそういう実績を積み重ねてゆくと・・
僕が歌う態勢になった時にもう笑いだす奴がいた
もっちゃんだ
普段は彼のことが大好きなんだけど 歌のテストのときだけは殺したくなる
わははははははははは・・・
歌うか歌わないうちに奴の大きないやに不自然な笑い声が響いて・・
今でも思い出すと・・首を絞めたくなる
はじめの頃は先生がピアノを弾いてテストを受ける者はみんなの方に向かって歌う
そんなスタイルだったけど高学年になると先生の横で先生に聞こえるくらいの歌い方でテストされるようになって
あの苦しさから解放されたように思う
そしてこんな僕でも歌が好きになってゆくとともに
レコードに合わせて歌ってみる
そうするとちょっと♭してることが分かった
だんだんと音痴から脱却して行けたと思う
(中3の時は先生から言われて合唱部の一員となる)
抜け出せたのは自慢でも何でもない ただ運がよかっただけだ
あの気持ちが高ずれば登校拒否なんかそんなに遠いものでもなかったかもしれない
ホンの紙一重の差だった
ただ僕には一つ武器があった
「野球」だ
5年でレギュラーもらってたし、クリンナップ任されてたし・・それがかろうじて僕を支えてくれてたと思う
でも今でも思うよ
弱いところを責められてたら きっとそんな心の状況になっちゃうって
ひとつ自信を持てることを手にして
それを盾にして生きてゆく
これは子供だけじゃなくて大人になった僕たちにも必要なことじゃないんだろうか
いくら大人の姿をしていても子供のころと変わらない何かを持ち続けている
僕はだけど、今の嫌なことも苦しいけど 子供の時に感じた嫌なことはもっと苦しかったような気がする
みんなに笑われて小学生だった僕はそこで泣いてしまった
でもその後、楯を貰った
くじけそうになったときそれを見つけて手にすること
本人が出来なければ そばにいる誰かが見つけてあげたいね
ベタだけどね
でもこうやって改めて聞かせていただくと
なるほどと思うことができます
リンクしてある日記に凄いことが書いてありましたね 確かに昔ならそういう仕事は存在しないのでしょう 妙に頷いてしまいました
ここに書かれている着物との関わりもその向こうに余裕みたいなものが感じられて素晴らしいことです
これからも日本の誇れる伝統を受け継いで次の時代への大いなる架け橋になられますよう心から応援しています
またいろいろ教えて下さいね
時々お邪魔しても減らず口もたたけないで帰ってくることも多いかもしれませんが温かく受け止めて下さいますように
お願いします
ごていねいな返信 ありがとうございました
着物との出会いはこのページです。
http://blog.goo.ne.jp/stella0602/e/631f1bf410210e723e677d547b81bda4
子供の頃の記憶なのですがきっかけはひょんな言葉のやりとりから。
この言葉を交わした彼は呉服屋を継ぎました。
彼とは随分長く付き合っていたのですが、私と着物に対する気持ちや方向性が違うので縁がなくてよかったと思います。
でも、きっかけを与えてくれたのでとても感謝しています。
今の着物との関わり方は
着付け教室、個人的な着物の着付け、スタジオ着付け、着物の販売(個人的にごく限られた方に)、着物展示会のアドバイザーなどです。
いずれも着物に対する私の考え方に共感してくださっている方のご紹介です。
なので、あまり儲かりません(笑)^^;
個人的な着物の販売も限られた方に、それも特別なものばかりで、それを市価三分の一~二分の一くらいでご紹介するので、呉服屋さんみたいに儲からないのですよ。
でも、お金じゃなくて、元気で幸せならいいかな?っ着物に関われることに喜びを感じています。
だから、着物以外の仕事もしていますよ。
お金も稼がないといけませんから(笑)
でも、着付け教室(株式会社なので社員でした)で役職を持ってちょっとえらい先生と呼ばれていたときより、ずっと楽しいです。
そうだよね画鋲ではコスト的に無理だもんね
でも僕の感覚でこういう画鋲だったらちょっと欲しいなぁと思ったんでね
もともとネコちゃんのための製品なんだから
成功するといいなぁ
子どもっぽいかな?
布バッグとかに何個かまとめてくっつけてもかわいいかな?と思ってます。
もっと小さいのも作って、耳かき棒の上にくっつけてもかわいいかな?って、いろいろ画策中です。
ご自分のことをよくそこまで分析されてる
きょうのお話であなたのことが50%くらいわかってしまったような錯覚を覚えます
よく大人受けのいい子供っていますよね
それは確かに頭のいいお子さんです
僕の友達にもそういう子がいました
彼はあなたご自身もほのめかしておられるように大人に好かれるのに反して
友達からあまりよく思われない傾向もありました
でもやはり大きくなるうち友達ともうまく関わるようになっていったと思います
多分あなたもやがて友達との付き合いも上手になってゆかれたのでしょう
さてその着物との出会いの部分は省略されてしまっていますが
それこそどんな出会いだったのか気になるところです
それがあなたが頼れるものとなるとはどれほどのことがあったのでしょう
旦那様お友達とのかかわりも着物なしでは考えられないのですね
お仕事とされるのも納得のできるところです
ところでどうなんでしょう
確か自己紹介の所で着付けの先生というご職業が過去のもののように書かれていたと思います
今現在の本当のところはどんな風な着物との関わり方に変わってるんでしょう
小物などの紹介ページは見せていただいてるんですが。。
それがあったからこそあなたの人生が豊かなものになった
出会えて本当によかったですね
正に人生の・・生きてゆくための武器であり・いや武器という言葉は適当ではないですね
stellaさんの生きてゆくために必要不可欠なもの なんですね
僕にとっての「野球」がただ単に子供の頃の一人立ちする武器とは違って・・・
大切なお話をよくしてくださいました
ありがとうございました
でもstellaさん そういう着物を日々に生活の糧とされてることは
こんなにお幸せなことはないと思います
どうぞお大事にされますように
あるとき、自分でそれを認めたときからすごく楽になりました。
小さい頃から協調性がなくて、自分は自分の道を行く!タイプでした。
でも、何故かオトナからはうけが良かったみたいです。同じ年頃の子供にはないチャラだったからでしょうか?父いわく、”大人の話をよく聞ける子供だった”そうです。
幼稚園に行くようになってからは、同じ年頃の子供と上手く付き合えないので、すぐに帰ってきてしまいました。
でも勝手に帰るのではなく先生、それも担任ではなく園の責任者の先生のところに行って”お願いですから今日だけ帰らせてください”とお願いしたそうです。
その度に父が(自営業でしたので)迎えに来て謝ったそうです。(なんどもあったとのこと)
そんな子供でしたから、小学校、中学校、高校、短大と学校ではなかなか大変でした。
よく、いじめに合わなかったものです。
本人は気づかなかっただけで、本当はいじめにあっていたのかもしれません。
でも、なぜか何時も先生が守ってくれたように思います。
そんな私が、自分に頼るものが出来たのは着物に出会ってからです。
でも、それも2回ほど挫折しましたが・・・
今は、着物通じて出会った仲間とのつながりが私を支えてくれています。
前夫が”お金よりも、地位よりも一生支えになる好きな仕事があることが幸せ。君にはそれがあっていいね”と言った一言が着物と私をより強く結び付けてくれました。
思えるまで人生の半分くらい過ぎてしまいましたが、出会えてよかったなと思います。
若いころは、すごく無理したこともあったけれど、今は自分の両手を広げた範囲、ちょっと背伸びをして首をのばして見えるところで幸せと思うようになりました。
両親のすばらしさも素直に認められるようになりました。
自分が胸を張って”私はこれが好き!”と言えるようなものが見つかると、こんなに気持ちが変わるんだな~とやっと分かってきたこの頃です。
そのお子さん多分頭脳明晰ってやつなんでしょうね
実は昔・・
塾の先生が僕の親に言ったそうです
「かっつんは頭いいから褒めてもそれがホントのことかどうか判断出来ちゃうんで・・おだてって手が効かんのだよね 他の子と違ってやり難いよ」
どうだぁ オレってすごいだろう
って結局そういうおだてに乗っちゃったんだよね(恥)
まーろさんそういう褒め方をしてあげたら
もしかしたら乗っちゃうかもしれませんよ
一度お試しあれ(笑)
なんかすごく自信満々の評価だからさ
日本の将来ってお題で考えると
確かにねー
いろいろ心配だな
その原点は僕らにもあるのかもしれんけどね
ただ人が・・日本人が少なくなってゆくって現実は大きなハンデだと思うね
それは何故かといえば 政治が大きな影響を与えてるのかも。。
今の日本で子供を産んで育てることがいかに大変なことなのか
お互いじいちゃんになるわけで(個人的に「泣」)その現実もまた話しましょう・・
孫に自信を持てるアイテムを身につけさせるってことも課題なのかもしれんね
作文の話おもろいなぁ・・
きみのここの様子見てると文章を書くことに何の苦労も感じないけどやっぱ才能なんだ
あっちでもこっちでもすらすらと言葉が出てきてうらやましいくらいなのは子供の頃だったのかぁ
僕はホント小学生のころは文章が嫌いで・・
中学もそうだったな
どんなに頑張っても国語と美術は4止まりだったわ(笑)こりゃーちょっとヤラシイ自慢かな(爆爆)
でも高一の時一年後輩のことが好きで日記付け始めて・・それから順々に文章書くことが苦でなくなってきた 高校で初めて現国で最高点到達した その時他の教科は撃沈
その書けと言われて書くのが苦手 ってなんか面白いな わかるし・・
売れっ子小説家になるには難しい条件だな(笑)
出てくる上の子は直ぐにいじける心が繊細過ぎで
幼稚園の頃から今も時々学校嫌いで困ったもんです。
褒めても素直に受け止めず、捻くれた所ばかりが
親似なんですが、素直に褒めらる喜びを覚えて
すくすくと成長してほしいです。
逞しさがないね、これは少子化の影響だと思うよ。
おぼっちゃんおじょうちゃんばっかりで、ちょっと怒っただけでいじけるし、まったくなんというか。。。。。
日本の将来は大丈夫か、なんてマジで思っちゃうね。
>自身を持てることをひとつ手にして。。。
おっしゃるとおり、激しく同意^^
今の子達にあるんでしょうかね、弱くて見つけられないかな?
大人たちが見てあげないといけない時代って、なんか悲しい気がするけどね・・・
いかも?行きたくない時も沢山あったし、高校
の2年の時には学校やめかけたしね。
歌は・・・聴くのは好きだったけどね。歌うの
も、自分1人で歌うのは好きだったね。どうだ
ったんだろ・・・あんま覚えてない。
えぇぇ、かっつんって作文って苦手だったの?
ってか、作文を書くのが苦手だったんじゃなく
て「作文を書きなさい!」と言われて書く事が
イヤだったんだろうね。私は、文章を書く事は
昔から好きだったけど、小学生の時に1度、
作文コンクールへの代表かなんかに選ばれて、
そのコンクールへ出す作文を書けって言われた
時は、あんなに大好きだった作文が、何の魅力
もないものに変わってて、イヤイヤ書いたのだ
け覚えてるよ。
僕は大体普通かそれ以上に出来てたけど歌はほんとに嫌だった
それも笑われて初めて音痴だとわかったし(笑)
あともうひとつあったんだ
月曜日の昼前の4時限目「作文」の時間
なんとか原稿用紙一枚を埋めたい と必死やったね あんな嫌いだったのに何でブログ書いてんだろ 不思議やぁ(笑)
ちょっとした自信とか大事なんだろうな。
そばにいる子が気がついてあげるのも大事だし。。。
う~ん、なんだかうまくコメント出来てないなぁ。。。。
千春は、幸いに学校大好きでお休みしたいなんて思ったことは無かったなぁ。
苦手な教科はあったけど・・・・
単純だったのかな??
やっぱ、脱線しちゃったなぁ・・・
そうやって嫌なことがあると反応して行かなくてもよくするって
今もド音痴なの?
イヒヒヒ・・ 聞いてみたいな 笑いたいな
誰かに復讐したいのかなぁ(笑)
でも笑われる方の気持ちは痛いほどわかっちゃうよ
そかそか 学校は好きか
ええ子やったね
でもやはり子供なりに大きな何かを抱え込んでたんだよね
そして一つでも認めてもらえると世界が変わる
でも絵がうまいなら好きなネコちゃんを描いてくださいよ
待ってますからね(笑)
そういえば今日の写真にあったあのネコちゃん
手作りの 可愛かったっすよね
あれは壁で使うとか書いてあったけど画鋲みたいに何かをとめるものですか?
違ってたらごめんよぅ でも
お いいなぁ と思いましたよ
皆さんよかったら見に行ってあげて下さい(笑)
http://blog.goo.ne.jp/guru_guru2828/e/c28fbd0e1ebfa16dab50b9394ac034bc
音楽の「歌のテスト」大嫌い。
私は、登校拒否の最先端を走ってたかも?
「歌のテスト」の日には、
必ず、本当に
熱が出るか?
お腹がピーピーになって、
学校をお休みしてました。
「歌のテスト」は後日、一人だけで受けてました。
そんな、ズッコイ事をしてたからか?
今だに、ド音痴です。
勉強も嫌いやったし、
運動も嫌いやったけど、
学校が好きでした。
友達と遊ぶのが楽しかったよ
競争がある中でその子のいいとこを認めてやってほしいなぁ すべての競技で一番にならなくてもいいもんな
そういえば中学時代 勉強も運動も下の方だったけど 美術が抜群ってのがいた 堂々としてたよ(笑)
オードリーがどうやって乗り越えたかって言うと すべて平均以上だったんじゃないの?
だから何にも覚えてないんだよ
多分子供たちも。。
太郎ちゃんこの先多難やよね
ああそっちが地元だっけ
今は・・僕は印象的な出来事後に残る何かが少ないような気がしてしょうがないよ
そのたくさんのことがあった子供時代はその一つ一つの中身まで濃い だからショックなことはそのショックがきつい 偏見かな??
小さな体と心でそれを受け止めなければならないんで大変だったと思うよ
それを受け止めるために大きな盾はやっぱり必要だと思う
そして今の子供たちには多分僕らの子供時代にはなかった多くのストレスもあるんじゃないだろうか
koumamaにはもうトラウマ的なものはない?
そうならもう完全脱却だね
そして子供たちの気持ちも分かるんだろうな
息子クンは大丈夫そだから近くにいる子供たちの力になってやってください
ご苦労様でした
大きくなるとそんなに関係ないけど、小さい頃はほんの数か月の差でも大きいですよね。
「早生まれ」なので、出来ないことが、ほかの子より多かったです。
駆けっこ遅いわ、給食は好き嫌いが多くてほとんど食べられないものばかりで、昼休みまで居残りだし…学校は毎日苦行のように感じてましたよ、子ども心にも。
ある時、先生に「絵がうまいね~」って、ほめてもらったことがあって、そしたら急に人生が輝き始めた
何の気なしのひとことだったと思いますが、「絵がうまいんだ
けっこう単純なもんです。
…絵は、今の生活には、まったく影響与えてません
太郎ちゃん問題ありますから、
毎度毎度、大変。ミスばっかりで
運動会のかけっこも、
差をつけるのが、かわいそうだからと、
その協議はなくなるとか。
もしくは、タイムを計って、
同じようなタイムで、競わせる。
えぇっ
絵やお習字も、全員、張り出されるのよね?
上手な子だけでよくないですか?
下の子なんて、へたくそなのにはりだされてましたよ・・・(笑)
そこまで、気を使われなくても・・・
出来ない、苦手な事があっても、当然なんだけどね。確かに、子供の頃は逃げ道ないかも。
私は、どうやって、乗り越えてたのかしら?
家の子ども達も・・・?
~ひとつ自信を持てることを手にして
それを盾にして生きてゆく~それがほんとに大切。
それに付け加えればそれを誰か一人でもいいから見つけてくれて
認めてくれる人がいること。
それは、先輩でも先生でも友達でもいいんだよね。
人から認めてもらう。
水泳ができなくてもその男の子もしかしたら、インドアで絵とかマンガがうまかったかもしれないし・・ね。でも、それを誰かが認めてくれないと・・ダメなのよね。
人間ってやっぱり存在価値を探してる。
一度不登校経験した時、誰もいなかったなぁ・・
あっかっつん、最後に書いてあったね。ごめん。
~本人が出来なければ そばにいる誰かが見つけてあげたいね~そうです。その言葉 最高です。