ぽせいどんの今日の一枚 +

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 サイパン その2 1992 October

2021-08-31 12:07:10 | 写真 海

  グロット

 昼食を済ませて再びダイブショップへ。
 二本目はサイパンで最も有名なポイントの一つであるグロットである。
 ガイドにオクトパスの不備を訴えた。
 「そのくらいでしたら十気圧程度の差しかありませんから大丈夫ですよ」と、取り合わない。
 腹が立った。エア量に関してはガイドの言う通りであろう。
 が、初心者等はそれだけでパニックに陥ることもあるだろう。ことは生命に関わるのだ。

 メンバーが増えた。ガイドが二人体制となった。さらに今では珍しいニコノスIIIを持ったファンダイバーが一名。
 だが車はやはり一台。荷台にその二名が乗り込んだ。
 グロットへの道は舗装されていた。流石に有名ポイントである。
 車は公園のようなところへ滑り込んだ。他のショップの一団もいた。


 
 ※記憶では当時は空き地のようでした。園内の舗装は無し。建造物のようなものがあった記憶がない。
 車両もダイビングショップの車が数台であった。今は観光バスも!。

 ガイドに促されてポイントを断崖の上から覗き込んだ。
 地の底に塩湖が水を湛えている。
 チンダル現象と言ったら味気ないだろうか?。幾筋かの光芒がその水面に神秘的な色彩を加味している。
 中ほどに小島があった。殆ど垂直かと思われるような急な階段がそれに続いている。
 「何段ですか?」
 「百二段です」
 「本当に?。降りて行く間に三十段ほど増えたりしませんか?」
 「・・・・・・?」
 「ラウラウビーチも二十分と言われましたけれど、実際には小一時間かかりましたからね」

 セットアップ。

 階段。予想以上に険しい。ところどころ赤土が剥き出しになっている。
 必要以上に注意をはらって一歩一歩下った。地の底に到着。小島(岩)に渡る。
 ガイドが手を差し伸べた。握手以外に男の手を握り締める趣味は持ち合わせていない。
 「大丈夫です」と。丁重にお断りした。

 全員が揃った。関西のオバサンは既に息が荒い。
 改めて周囲を見廻す。塩湖の直径は50mほどか?。想ったよりも狭い。


 ※当時の記憶と比較すると階段は整備されたようだ。現在は海水浴場にもなっているようだ。
  検索すると、シュノーケリングツアーもあった。観光バスはそれ用?

 小島の上から水面までの距離は2m以上。ここからジャイアントストライドでエントリーすると言うのだが。
 ニコノスはポイントの状態を訊いてホテルへ置いてきた。
 不安はフィンにあった。私のそれはA社の物でブレードが平均的な物より長い。
 水中ではそれが推進力を得るのには有効なのだがジャイアントストライドで飛び込むには着水した時の抵抗が大きすぎる気がした。
 BCにエアを供給。大きく一歩を踏み出した。飛沫。
 次の瞬間、私の身体はグロットの碧に染まっていた。
 不安が的中した。私のフィンは両足ともスッポ抜けていた。ストラップで辛うじて足首に留まっている。

 水面移動。キックが使えない。両手だけで泳ぐのは抵抗が大きすぎて楽ではない。
 どうにか水面に浮かんでいるブイに辿り着いた。フィンを装着しなおした。
 BCのエアを抜いた。潜行。眼下にホールの全貌が広がった。
 光芒が水中まで差し込んでいた。その中にダイバーのシルエット。
 レギュレターから放出された排気泡が無数の宝石の如く耀き煌めく。
 正面に大きな洞穴が三つ。そこからも外海からの光がこぼれていた。
 荘厳。もし水棲人なるものが居ったならば宗教的な聖地となりえただろう。


 ※カメラを持って行かなったので他で撮影した画ですが。

 ガイドの後をついて右側の洞穴を目指した。洞穴は水深15mから外海に向かって斜めに懸け上がっていた。
 洞穴の中央で行列が止まった。何事か?。
 勢い狭い水路では水の流れが速くなる。先頭の一団が流れに逆らえず匍匐前進を始めた結果だった。
 洞穴を見上げた。私が通過する余裕は充分にあった。水底を離れた。フィンキック。いっきに牛蒡抜き。外海に出た。
 水深20mに五十畳ほどのテラスが広がっていた。魚影はホールの中よりもだいぶ濃い。
 お馴染みのチョウチョウウオが。そしてまだ名前を知らない魚が乱舞していた。
 ニコノスVを置いてきたことを少々後悔した。閃光!。ニコノスIIIだ。



 テラスの外側に出た。十数メートル下に同じようなテラスが広がっていた。
 そこまで潜行したいと思った。その誘惑に駆られたのはたぶん私だけでは無いはずだ。
 バディの残圧をチェックした。私とさほどの差は無い。
 流石に二本目で感覚を取り戻したのだろう。ラウラウビーチでは潜行時にバランスがうまく取れなくてエアを大量に消費したようだ。
 オクトパスの所為だけでは無かったようだ。

 ガイドが集合をかけた。残圧チェック。水深があるだけに午前と比べると消費量は激しい。
 移動。一列になって再び洞穴に向かった。水路が狭まった。流れがきつくなった。
 関西のオバサン、苦労をしている。
 洞穴への入り口はホール側から視て左側。一方通行が取り決められているようだ。
 洞穴をくぐり抜けて再びホールに戻って来た。水中の大岩に掴まって減圧停止。
 !・大ナマコ。バディに伝えた。いきなり鷲掴みにしようとした。
 その手を掴んだ。毒は無いはずだが水中の生物にやたらに触れるべきではない。
 手掴みは止めたが、今度はフィンの先でつついて遊んでいる。

 浮上。小島の脇に水面とほぼ同じ高さに一帖ほどのスペースがあった。
 この位置からならばカメラを持ってのジャイアントストライドに不安は無いのだが。
 ガイドが先に上陸した。次は私の番だ。棚に両手をついた。波の力を借りて俯せのまま這いあがった。
 その姿勢のままガイドがフィンを脱がせてくれた。立ち上がった。小島の上に移動。他を待った。暫くして全員が揃った。

 恐怖の百二段が待ち受けていた。まず女性二人が昇り始めた。バディと関西オバサンがそれに続いた。
 やや間を置いて私。・・・最後尾はガイドの二人だった。
 二十段をいっきに昇った。オバサンが立ち往生している。
 「お先にどうぞ。私はもうだめ」と弱音を吐いている。彼女の世話は後ろにいるガイドの仕事だ。
 バディに追いついた。呼吸が荒い。私も大きく型で呼吸をした。体力の衰えを感じた。階段はまだ半分残っていた。

 漸く頂上。微風。タンクを降ろしウェットスーツを脱ぎ棄てた。
 ダイビング後のこの一時はいつも解放感に満たされる。
 階段の方を視た。オバサンがガイド二人に抱えられるようにして昇って来た。
 ガイドの一人は肩の上にもう一本タンクを担いでいた。若いだけに体力には自信があるらしい。
 「私はグロットは諦めていたのよ。もうこれで思い残すことは無いわ」オバサンの偽らざる感想であった。
 オバサンのホームポイントは串本。話を聴くと行ってみたい気にもなったが関東からは中途半端な位置である。
 御宿からは沖縄の方が便が良さそうだ。

 ガイドの話によると以前は器材を運んでくれる強力(ごうりき・歩荷や登山案内を生業とする日本古来の運送業者)のような者が居たこともあったらしい。
 
 
 翌日は雨だった。
 その翌日の早朝。帰国。

  ※掲載順位がランダムなのでダイビング記事の目次を作りました。
  年代順となってます。

  ダイビング編目次
 


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