ぽせいどんの今日の一枚 +

写真とかCGとかを気ままに + DIY

小笠原渡航記 1992年2月  その3

2022-01-15 12:18:50 | 写真 海

  平成4年 (1992)  2月20日   

 「寒い」未明に目が覚めた。
 寝るときにはTシャツ一枚で何の問題も無かった。
 しかし明け方になって急激に気温が下がり震えるほどとなった。
 一年前のフィリピン・ボラカイ島を思いだした。
 日中は暑くても夜は急激に気温が下がり温度差は半端ではない。
 二月に本土から来たので衣服は充分にあるので対処はできたが・・・それにしても・・・。

 ・・・・・・

 朝が来た。さてどうするかだが・・・
 妹と四品川はダイビングサービスに行き翌日のファンダイブの申し込みをするつもりである。
 ダイビングサービスは湾の奥にあり徒歩で30分ほど掛かりそうだ。
 どちらにしろ移動手段が必要だ。自分一人ならばレンタルバイクと言う手もあるがなにしろ独身の女性三名が連れである。
 宿の女将に「レンタカー屋はありますか?」と尋ねた。
 軽四輪で良ければ宿の車を貸してくれると言う。しっかり料金は取られましたが。


 
 A:宿
 B:ダイビングサービス
 C:小笠原海洋センター
 D:堺浦海岸
 E:扇裏海岸
 F
 G:中央山展望台
 H:夜明け山
 J
 K:ウェーザーステーション展望台

*****************************

 軽四ワンボックスに乗り込み出発。
 まずはダイビングサービス。
 娘二人が手続きをしている間に店内を見渡す。
 奥の方でマン・ツー・マン(ウーマン・ツー・ウーマン?)で学科講習をしていた。
 講師のオネーチャン
 「何々なのよネー。それでネー。・・・なのよネー」こんな口調。
 『教わりたくない』と思いましたね。

 手続きが済んで小笠原海洋センターへ。
 ここはアオウミガメの保護と増殖を目的として1982年に開設された施設。
 昼時故なのか無人である。

  ↑ google Earth ストリートビュー

 当時は入場料が¥500だった気がいたします。現在は無料のようです。四品川は断りもなく入場するのを憚った。
 入場。いくつかの水槽に子亀が泳いでいた。
 
 ※これよりだいぶ前にアメリカの西海岸であったか大規模な同様のプロジェクトがスタートした。
  ウミガメの卵を採取し人口孵化。されど、ウミガメの数は一向に増える様子が無かった。
  さらに研究が進められて孵化する温度が30度を超えると雌に、それ以下だと雄になることが解った。
  親亀はその辺を考慮?して産卵していたようである。
  人間が中途半端に介入すべきではないことを物語った一例である。

  ※我が町の浜でも私が幼少の頃はウミガメの産卵は結構ありました。
   最近ではめったに見られませんが。
   あるときウミガメの産卵を見た爺が卵を掘り起こし安全な場所に移動したと得々と語っていた。???。
   現在は産卵場所に杭を立ててロープを張り立ち入り禁止にしているようです。

 峠の途中から視た二見湾 ヘリポートが視えました。

  

 海洋センターから車を走らせること数分、小さな岬の上から座礁船が見えた。

 さらに進むと坪浦海岸に出た。座礁船(見出し画像)は波打ち際から150mほどに朽ち果てた姿をさらしていた。

  https://www.mod.go.jp/msdf/cjbf/hinkoumaru.html

   当時のダイビング雑誌などにはシュノーケルポイントなどと紹介されていた記憶があります。


  ↑ google Earth ストリートビュー

 さらに海岸線を進むと小さな湾に出た。扇浦。海水浴場に適していそうだ。
 現在は建物の数がそこそこにあるが当時は疎らだったような気がいたします。

  ↑ google Earth ストリートビュー

 ちなみに小笠原の海開きは元旦です。海閉じと言う話は聞いたことが無いので・・・いつでもOKと言うことでしょう。
 しかし、さすがに二月の半ば。泳いでいる者は一人もいませんでした。
 

    

  30年経っているので小笠原の何処で撮影したかは不明ですが。雰囲気的にはこんな感じでした。

 つ づ く

 

  後のために  ダイビング編目次 へLINKを貼ることにいたします。

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。