昭和13年(1938)~16年(1936)の間に撮られた写真らしいです。
当時の御宿小学校です。
とりあえずこのレベルまで・・・。
私もこの校舎で勉学に勤しみました。・・・?。
追記 投稿後、この写真の提供者より「生徒が男ばっかりなのですよね」と。
レタッチに集中していて人物部分は殆ど視てませんでした。
「戦前だから男女別クラスだったのかも・・・」 と答えて帰宅。
※男女七歳にして席を同じゅうせず
日本の戦前の小学校では一年生のクラスは男女共学ではあった。
二年生以降から「男女七歳にして席を同じにせず」で男女で別教室であった。
六歳までは神の子であり、神の子には男女差がないとされていたためである。
七歳からは男女の差が見られ、初めて人間としての扱いを受けるようになっていた。
戦前の日本は「男女七歳にして席を同じゅうせず」をもって学校は男女別学が原則で、思春期は男女が接触しないことが良識であった。
戦前は同じ沿線に男子校と女子校が有る場合には、男子の乗る車両と女子の乗る車両で分けられていたことがあったらしい。
昭和22年(1947)教育基本法制定時に、旧来の男尊女卑とともに「男女七歳云々」は孤立主義として否定された。
これにより教育基本法第五条「男女は、互いに敬重し、協力し合わなければならない」を制定。(Wikipediaを参照いたしました)
男子生徒が36名写ってました。この画が一学年(体格にさほどの差がありませんので)の男児クラスとすると
女児もほぼ同数として計算すると36x2x6=432 当時の御宿小学校の生徒数は400人余りであったかと推測いたします。
※ 明治19年(1886) 小学交令 尋常小学校四年 高等小学校四年
明治40年(1907) 尋常小学校六年 高等小学校二年
昭和16年(1941) 国民学校令まで上記制度が存続。
写真は尋常小学校時代後期のものと断定して宜しいかと。
高等小学校が併設されていたかどうかは現段階では不明。
(追跡調査いたします)