巻頭写真 : 『Musée Jaquemart-André』
『ジャックマール・アンドレ美術館で年明けから予定されていた
後期印象派の最終到達点『点描派』の巨匠『ポール・シニャック』特別展が
コロナによる美術館の休館措置解除でやっと開催された
展示会のテーマ「彩色されたハーモニー」
1863年11月パリで生を受ける
1879年16歳で「第四回インプレッショニスト(印象派)展』を訪れ
カイユボット ドゥガ ピサロ モネ
などの存在に触れた
1880年
彼は「クロード・モネ」のプライヴェート展示会に招かれ
高校を中退して画家になる決心をする
伝統芸術としての絵画の要素は
「主題」「構図」「構成」
だったヨーロッパ官製芸術のアカデミスムに対して
「光」と「色彩」
に注目したのが「モネ」が始めた「印象主義」であった
光は常に移ろい同じであることは決してない
その光の与える効果が色彩だ
ということに気づいた印象主義者たちは
移ろう光とその効果である色彩をこの一瞬で画面に捉えることを行い
構図の要素である平面の処理が後回しになっていった
揺れる光線の効果で平面が分解されて
ブロックになって行き
それが大きなブロックに集約されてゆくと「キュービスム」を生み
小さなブロックに分かれてゆくと「点描」になった
『Saint-Briac, Le Bechet サン・ブリアック ル・ベッシェ海岸』1885年 カンバス 油彩
1884年
彼は「Societé des Artistes Indépendants 独立芸術家協会」の結成に
参画する
審査員もいない受賞もない作品展を年に一回行うことを目的とした
翌年1885年から翌86年の冬ブルターニュに制作旅行に旅立ち
少し前から「カミーユ・ピサロ」が始めていた
混ぜ合わせない純粋な色彩を画面上に細かいタッチで載せて行き
鑑賞者の目を通して
描かれた風景の現実の色彩の「トーン」を感じ取ってもらうという手法を
「サン・ブリアック」などの描写で試してみた
「サン・ブリアック」などの描写で試してみた
極めて最前面の構成と
色彩の生き生きとしたトーンと極めて幾何学的形状の構図と
画面の三分の二をしめる海の
「点」に昇華した波頭の単純で厚みのあるな繰り返しという単調さを
手前の大きな岩で壊して奥行きの感覚を与えている
『Fécamp, le Soreil フェカン 太陽』1886年 カンバス 油彩
こちらは「ノルマンディー」の海際の町の
空と地面で
同じ技法を採っている
この頃
彼に英ky等を与えた人物に『Georges Seurat ジョルジュ・スーラ』がいる
Maximilien Luce『Portrait de Georges Seurat スーラの肖像』1980 紙 コンテ
『ジョルジュ・スーラ』はパリの「エコル・デ・ボザール(美大)」出のエリートで
絵コンテによるデッサンで才能を非常に高く評価されていた
Georges Seurat 『Mère de l'Artiste assise 母親坐像』1882年 紙 コンテ
このデッサンに表されているスーラの母親像は
輪郭を取り囲む線によってではなく
光と影のゾーンの対比によって際立たされている
しかし高い評価にもかかわらず
この絵コンテは1884年の官製展覧会『ル・サロン』に落選
それをきっかけにスーラは「Sakon des Indépandants 独立芸術家協会」に
参加するようになり
1885年856年にかけての冬
色調の「分割」の技法を生み出すことになった
1886年の「印象派展」に出品した作品が『Post-Impressionisme』を
産むことになる
しかし1891年の最初の「独立協会展」の年に急逝した
『シニャックの芸術は自ら生まれて 彼の天才を体現した』
『Avant du Tub, Opus 176 タブの前 作品番号176』1888年 カンバス 油彩
シニャックは「スーラ」の影響で
1886年1月から色調の分割の新たな手法を始める
タッチがより「手法的」になり
風景をより「幾何学的」に扱うようになっていった
『saint-Briac, Les balises Opus 210 サン・ブリアック、標識 作品番号210番』
1890年 カンバス 油彩
1885年の滞在で目覚ましい制作を行った後
彼は90年に再度「サン・ブリアック」を訪れた
前回の「印象主義的」作法と異なり
今回はこの地で突如「新印象主義」に目覚める
この作品では
風景を厳密さで再現しながら
視点を人工的に単純化し
要素を「砂」と「水」と「空」とに単純に分割し
標識の縦の線と水平線の横の線の単純さで
光線に「抽象音楽」のようなリズムを与えた
『La salle à Manger ou Le Petit Déjeuner (Etude)』1886〜87年 カンバス 油彩
「食堂 または 朝食』(習作)
『Concarneau, Carme du Soir (Etude)』1891年 カンバス 油彩
「コンカルノー」(習作)
これらの習作で
「色の分割」には異常に冷静で厳密なアプローチが必要であることを学び
絵の具の混合を避けて純粋さをを保つために
色ごとに塗る時間を変えたり乾燥させるタイミングを変えたり
様々な努力を繰り返した
『Soreil couchant sur la ville ou Saint-tropez La Ville』1892年 カンバス 油彩
「町の夕陽 または サントロペ、町」(習作)
『Concarneau (Etude)』1891年 カンバス 油彩
「コンカルノー (習作)」
既に彼は絵を描き始めた当時から
点描に通じるピサロの色彩の使い方を学んではいた
『Les Andelys, Le Soleil couchant』1886年 カンバス 油彩
「レ・ザンドリス 夕陽」
しかし上掲の習作の過程で
彼は色彩の分割のための色の実態をより確実に把握していった
『St-Tropez, Fontaine de Lice』1895年 カンバス 油彩
「サン・トロペ 空掘通りの泉」
この作品でシニャックの新たな頁がめくられた
この作品においては
色彩が彼の関心事の中心的役割を果たしてはいるが
それだけではなく
全く違う副次的な色の使い方をしている
中心となる色彩だけではなく「7原色」を全て使って
それぞれが全体の色調に平衡てき効果を与える役割を見出だしているのだ
『Saint-Tropez, Après l'Orage』1895年 カンバス 油彩
「サン・トロペ 夕立の後」
この年の一連のサントロペを描いた作品の中で
彼は「点」をよりゆとりのある「タッチ」(点より大きい)に重きを置いて
習作に見られた自由さを獲得し
彼の地中海の海を描いた作品に」よく見られる「太陽の光」ではなく
空気の効果を構成する
銀鼠ブルーで表現された中にかすかに見られる「赤」が
その効果を膨らませている
『Samois Etude No.11』1899年 布貼り厚紙 油彩
「サモワ 習作No.11
『Samois Etude No.6』1899年 布貼り厚紙 油彩
「サモワ 習作No.6」
『Mont Saint-Michel, Brume et Soleil』1897年 カンバス 油彩
「モン・サン・ミッシェル、霞と太陽」
ここで『カミーユ・ピサロ』にも
触れておかねばならない
Camille Pissaro『La Briqueterie Delafolie à Eragny』1886年〜88年頃 カンバス 油彩
カミーユ・ピサロ「エラニィのドゥラフォリーレンガ工場」
「Seurat スーラ」に続いて
シニャックと並んで「Camille Pissaro カミーユ・ピサロ」は
1886年から分割したタッチの色彩効果を
使い始めた
現色を「交差使用」することの継続的な模索によって
ピサロは『新印象主義者』達の仲間入りをすることになる
上の作品は
かつて印象主義で描いたテーマだが
仕切られない空間を表現することで印象主義より表現方法をさらに現代化し
さらに次の作品で
同『Le Troupeau de mouton à Éragny』1888年 カンバス 油彩
「エラニィの羊の群れ」
急進的アプローチによる光と影を用いて厳格な幾何学性を築いくことで
新印象主義の傾向から徐々に離れて行くことになった
さらに
スーラとシニャックの影響を引きついだ画家を挙げておこう
『Archille Laugé アーシィユ・ロジェ』
1861 〜 1944
『Archille Laugé『L'Arbre en fleur』1893年 カンバス 油彩
アーシィユ・ロージェ「花咲く樹」
出身地トゥールーズの美大で学び
さらにパリの美大に入ったが伝統的アカデミスムの教育に失望し
「独立画家集団協会」に参入
スーラとシニャックの色彩の表現に影響を受けた
ただし実際には二人に出会ってはいないらしい
故郷に帰ってから開花し
三原色を微小な点で重ね合わせてゆく氷河んで
フランスの「分割主義者(点描派)」の中の独特の地位を占める
その他にも
『Louis Hayet ルイ・アイエ』
1864 〜 1940
Louis Hayet 『Au Café』1887 〜 88年 薄布 各種顔料の混合
「カフェ にて」
『Maximillien Luce マキシミリアン・リュス』
1858 〜 1941
Maximillien Luce『Le Café』1892年 カンバス 油彩
「カフェ」
同『Aciérie』1899年 カンバス 油彩
「製鉄工」
同『Le Port de Saint-Tropez』1893年 カンバス 油彩
「サン・トロペの港」
同『Saint-Tropez, Route du Cimetière』1892年 カンバス 油彩
『Georges Lacombe ジョユジュ・ラコンブ』
1868 〜 1916
Georges Lacombe『Baie de Saint-Juede-Luz』1902 〜 04年 カンバス 油彩
「サン・ジャン・ド・リュズ湾」
『Georges Lemmen ジョルジュ・レマン』
1865 〜 1916
Georges Lemmen『Promenade au bord de la mer』1891年 カンバス 油彩
「海辺の散歩道」
『Théo Van Rysselberghe テオ・ヴァン・リッセルベルグ』
1862 〜 1926
Théo Van Rysselberghe『Le Moulin du Kalf à Knokke』1894年 カンバス 油彩
「(フランドル地方)クノッケのカーフ風車」
同『Canal en Flandre』1894年 カンバス 油彩
「フランドルの運河」
『Henri-Edmond Cross アンリ=エドモン・クロス』
1856 〜 1910
Henri-Edmond Cross 『Paysage avec le Cap Nègre』1906年 カンバス 油彩
「(南仏地中海岸の)ネーグル岬の光景」
同『La Mer clapotante』1902 〜 05年 カンバス 油彩
「波が打ち寄せる海」
「クロス」はスーラとシニャックと並んで
官製美術展『ル・サロン』の伝統的閉鎖性に対抗して立ち上げた
「Société des Artistes Independants 独立芸術家集団」
の共同設立者の一人で
フランス点描派の第一人者の一人である
この項後編に続く
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