想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

こころの びょういん。

2015-09-29 14:57:03 | 日記

もう 10年以上通ってて 

正確には 判らない …

確か 精神的にもうボロボロのクソみたいになったのは

青梅に居た頃

娘が 2歳くらいだったかな

だから13年…?

かかりつけの病院が 呼吸器専門で 喘息で通ってたんだけど

転がりこんだのが その先生のとこで

いい医師で 真剣に診てくれた

あの時

そう あの時 診察するのに 椅子に座れない程 ボロボロで

床に座り込んだまま 診察してもらった

診察が終わったら 死のうと考えてた

恐ろしいもので そらのことも 頭になく

とにかく 自分は もう必要のない人

なにもなくなってしまったと 絶望していた

それで 先生は 総合病院に電話してくれて

すぐ 車で精神科に向かった

その後の記憶が しばらくない

何度も 手首切って 首を切って 安定剤とアルコールを

浴びるほど飲んで 

よく 生還したと 今になって 想う …

一時 回復に向かったけど 結果離婚することになって

気を張りすぎたのだろう

働くのが もう 限界まできて また 動けなくなった

トイレ歩行しかできず

あの頃 そらはどうやって食べていたんだろう 記憶がない 恐ろしい

でも 死にたい私は 中々 死ねないのだった

重い病を患っても ひとは 中々強い 本当に強いと思う

生きたいと云う想いが きっと どこかに あるのでしょうね

今は 希死念慮も 大人しくなってくれた

私は よく笑う そらによく笑わされる

こんな かわいらしい生き物を 私が扱っていいのかなとも思う

心から 命に 感謝してる

だから 大切なひとの 大切なひとにも 生きて欲しいと思う

でも かえってそれが 本当に幸せなのか

疑問だらけの 難病もある



じいは ALSのじいは ついに 飲みこみに支障が出てきた様子だ

来月 誤飲の検査がある

誤飲が決定的になれば もう この家に戻ることも ないかもしれない

私の監視下で 窒息されてはたまらない

父とは このまま終わるのかな

心が遠く離れたまま 親子らしいことも ないままに?

振りあげた拳を 下ろせないまま

まだ 突き落としてやろうかと 想う気持ちが 恐ろしいよ

父は私をどう思ってるのだろう

外面はいいのに 家族には冷酷で 否定的で 認めない

それは かつての時代 私が飄々と生きていて 

努力家の父が そんな私である人間を認めたくなくて…

そこに 根源があるのだろうかと 考える

今の私は 何をやってもダメだから

あの日 云えなかった 云いたかったことが 云いたくて仕方ないのではあるまいか

「だから お前は ダメなんだよ!!」って

ザマーミロ!! って 

努力なしに 人は のし上がれないんだよ!! って

私はもう 器用じゃないよ 父が認めるほどの人間じゃないよ

調子に乗って 騒ぐような人間じゃない

だから 

ただの 家族に戻ろう?

… そんなことも 云えないでいる …


今日は バス待ちの時間が長くて ずっと そんなことを考えていた

まだ 金木犀が香っていた

一緒に冬を越すスミレを買った

オレンジと えんじ色

お足元に ビタミンを

色彩も いつか なにかの足しになるかも知れない。


















コメント
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