想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

整えられた地に、記憶に刻まれた人。

2024-06-11 15:27:00 | 日記
今日は、オフと決めた。温泉に行く。温泉♨️は250円で入れる、私の娯楽。血圧も下がったし、サウナ入ろうかなと思ったが、今週の女湯はミストサウナだった。あー、残念。しかし、つい先日まで血圧異常値だったから、やめておけよ、という天の思し召しかも知れないと、気持ちを入れ替えた。内湯、露天風呂、打たせ湯、ミストサウナを少しだけ堪能した。お湯につかったのは久しぶりだ。体重測ったら4キロ減っていた。最近、ジーンズがすんなり入ると思っていたのだ。ゆるゆるなダイエットだけど、少しずつ成果は出ている! 1食オートミール、夜は19時以降は食べないルール。水をなるべく飲む。そして、日中はアクティブに動く。今後も続けていこう。

温泉施設で、野菜を安く買える。小松菜、新玉ねぎ、独活の葉、茄子を買った。小松菜はいつも安くて、美味しい野菜。助かるなぁ。


帰り道はウォーキング。4キロの道のりを歩いた。両サイド田んぼの道。風が気持ち良い。




そう言えば、子供の頃、お盆になるとやって来たこの里山。じいの故郷である小さな村に憧れた。




自然が美しすぎて、ここで暮らしたいなと思っていた。忘れていたけど、子供の頃の夢が叶っていた。いつ忘れてしまったんだろう。




八王子の小さなアパートで、限界を迎えていた私を、オジキが様子を見に来てくれた。壊れた娘と、死んだような目をした孫を、それでもじいは引き受けることを面倒くさそうにしていて、BBAに至っては、露骨に顔に出すから、家に居場所がないような気持ちでいた。この家に帰るたびに会えていた猫がいないことも哀しかった。でも、オジキ夫婦の次に、優しく接してくれた人がいた。




娘の保育園の園長さんだった。私の事情を知ってくれていて、娘と一緒に初めて保育園に相談に行った時、

娘に自分の分の給食を食べさせてくれて、「そらちゃん、すぐにおいで」と言ってくれた。当時、書類を読む、サインする、という簡単なことすら難しかった私に、サインを終えると、「お母さん、頑張りましたね。ちゃんと読めるし字も書ける、すごいよ、大丈夫よ」と、言ってくれた。それまで、色んなことができなくなることに対して、周りには「何故できない」「しっかりしなさい」「そんなことでどうするんだ」と言われるばかりで、自分自信、何故こんな簡単なことができなくなったのか理解出来ずにいた。私の精一杯を褒めてくれる存在が、とにかくありがたかった。やっと許してもらえたように感じて泣いてしまっても、大丈夫と繰り返して背中を撫でてくれた。保育園で必要なものはすぐに揃える必要はないから、あるもので間に合わせれば良いから、早く連れておいでと仰ってくれた。



いつも、無感情に通り過ぎていたあの保育園を、今日は立ち止まって見てみた。

保育園の行事がある時しか会えなかったけど、優しい声かけをしてくれた。あんなに優しく接してくれた人を、長い間忘れていた。卒園の日に、笑顔で握手してくれた人。

あの人は、お元気だろうか。娘は無事に成人になり、社会人として生きています。保育園時代作った、娘の作品は捨てられず取ってあります。ママ、大好きって書いてくれた手紙も。イラストも。色んなことありすぎて、少し物怖じするような、感情を表現することが控えめなように見える女の子ですが、とても優しい子です。それでもひとりで生きる強さはあるから、きっと彼女は大丈夫ですよね。

お会いできたら、…。いや、きっと忘れているだろう。それは構わない。私にとって大切なら、それでいい。忘れていたけど、また記憶が蘇ったら、こんなに心に温かいから。

私の周りの状況も、大分変わったな…。

「人生のステージが変わる時、必ず人間関係の断捨離が起こる」






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