想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

新たなる壁。

2012-09-25 17:51:02 | 日記

すっかり、秋になりました。


今、娘はPCでお絵かきをしようと頑張っている。
私もできたら娘から教わって、
ここで思う存分下手な絵を披露したいと目論んでいるのだが、
いかんせん私は生粋のアナログ派であった。

知人から、
ペンタブレットなるものと、
一緒に三枚のソフトを戴いたので、
早速インストロールするも、
PCとタブレットが連動しない。
線一本描けないのだ!
それで、以前こっそり買っておいた別の本に付録でついていたソフトを入れるも、
これも線すら描けない。
ペンの細さと色を選んでねって、
どこで選ぶの?
本の通りにいかないよ?
娘も私も、次第にイラッとして、
昨夜は、とうとう娘は不貞寝を決め込んでしまったほどだ。
「フテネか、おい、もう諦めるのか軟弱モノめ!」
と、私がニャンコ先生の声真似で云っても、
娘は「…もういいっす」と不貞寝をやめない。毛布を頭からかぶってしまった。
「今頑張らずに、いつ頑張るのだ! 軟弱モノめ!」
スルーされる。
「もういい、私は風呂に入ってくるぞ! そこで諦めて転がっておれ!」

その日はそれで終ってしまった。

お蔭で、未だに心が重い…。
せっかく身体の方は元に戻ったのに、
こんなに気が重いなんて解せないな…
仕事もしてきたのに、
なんでなんの達成感もないよ…







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その毒が消えるまで。

2012-09-24 17:17:10 | 日記

昨夜、吐き気と共に眼を覚ますたび、
窓の外を見て、「夜空がいやに明るいな」と思った。
そして、バカバカと自分をののしった。
まだ、娘が成人するまで8年残ってる。
責任を持って、毎日をかみしめるように生きるんだ。
それを、また、なんておろかなひとだろうと、呪った。

それで、じっとりと暑かった離婚届けを出しに役場へ向かったときのことを、
鮮明に思い出した。
あんな重たい紙切れと、娘の小さな手を握って、
足がガクガクと恐怖に震えていたのに、
K君は、派手な車に乗って去っていった。

あの時、私も娘も捨てられたのだ。
役場のあとに、
小さな団地の公園で娘を遊ばせながら、
不安で泣き叫びたかった。
頭をかかえて、声は出さず、泪だけ流して泣いた。
声を出したら、娘に気づかれる。
娘が嬉しそうに手を振ってきて、
私は顔だけ笑って、手を振り替えした。
もうすでに、その時の私は、心の病気を患っていた。
次第に膨らむ彼のウソ。なにもかも辻褄が合わなくなり、
待っていても彼が帰ってこない夜。
いつかこんな日がくるかも知れないと心配しながら、
一年前から情緒不安定だった。
そして、現実になってしまった。
あの日。
あの日の私。
あの日の、何も知らない娘。


思い出したら、
なんて懐かしい想いだろうと驚きを感じる。
なんてささやかで、懸命に生きた私たちだろう、と。

私は、終の住みかと決めた場所を離れたくなかった。
沢山の友達に囲まれていた幸せな時間を、
壊したくなかった。なくしたくなかった。
ずっと、信じていたかった。
私だって、
三人で、生きたかったよ。
でも、変わってしまった。
私は、この先、どうにか娘を育て上げる自信を取り戻すことができた。
父が残してくれる、この家がある。
花や、生き物がいっぱいいる、こんな素晴しい世界に、
帰ってきたんだよ。
だから、もうバカなことをするんじゃないよ。
そういい聞かせたら、泣けて泣けてしかたなかった。

ここが私には大切すぎるんだ。
大切なひとたちに囲まれて、生きているんだ。
もう、ここを離れたくはないんだよ。

…幸せなんだから、ね。


朝、少しご飯を食べて、
まだ毒の気配があったが、
水をいっぱい飲んで、

仕事をした。
秋風が爽やかで、
持参したアイスティーがおいしかった。
友人が梅干と一緒に送ってくれた紅茶。
なんておいしい飲み物だろう、って心から想ったよ。

心配かけて、ごめんなさい。



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おろかなひと。

2012-09-23 16:28:08 | 日記

昨日、K君と喧嘩したのだった。
食材を買ってくれるのは非常にありがたいのだが、
高級志向の彼の価値観にズレを感じていた。
牛肉のステーキだの、まぐろのトロだの、
そりゃおいしいけれども、
私達には別にそれではなくても他に必要なものがある。
旬な食材をバランスよく、適度に食べてゆければそれでいい。
ぶっちゃけ、高級肉食うなら、青さかな、納豆、豆腐、米…
新鮮な野菜などを買って出費を抑え、
なおかつ、余命の短い父にお金を返してやってくれと、
どれだけ云いたかったか。
でも、昨日は耐え、また今日買い物に行くとなって、
私は彼にちゃんと伝えなければならないと思った。
将来一緒にいられなくても、
その可能性が限りなくゼロに近くても、
父への返済は最後までちゃんとやってくれるのか。
娘とも、今後もいい関係でいてくれるのか。
その上で、私とはきれいに縁を切ってくれるのか。
将来、もう一回やり直そうというあてにならない約束を、
私はとうに諦めて、心変わりをした。
もうひとりでやってゆきたいのだ。
ひとりになりたい。
それを知ったときのK君の反応が恐くて、
ずっと云えないでいた。
この人は危険だ。
突然、手のひらを返す悪癖を持っている。
借金に負われて、実家の両親に助けを求め、
断られると、今からコンビにを襲うだの、
やくざをけしかけるだの、玄関の水槽を割って大暴れして、
そうまでして、親から金を奪ってゆく。
その時の彼の形相が、あまりにも普段とかけ離れていて、
おかーさんは「まさか薬でもやってるんじゃ…」と勘ぐったほどだ。
興奮するともの凄く早口になり、
欲しいものがあるとこちらがうなずくまで喋り続ける。
もの凄い早口で。
それが、とてつもなく恐ろしく、
私は、絶対に娘の前では彼との口論を避けてきた。

もし、将来一緒にやり直す気もないのに、
それを黙っていたら、いざというとき彼はどうするんだろう。
それを考えると、一刻も早く、伝えるべきなのかも知れない。
そして、それを決心した。

今日は、云うぞ。

が、そう決心したとたん、恐ろしい動悸がはじまって、
慌てて頓服を飲んだ。
動悸を抑えても、今日は云わねばならない。
動悸は治まらず、またひと粒。…もうひと粒。
…おさまらない。
安定剤を飲む。
また悪い癖が出て、ばりばりラムネを食べるが如く、噛み砕く。
気づいたら、一体どれ程の量を飲んだか判らなくなった。
それでも、動悸は治まらず…

料理酒を飲んだ。

吐き気をこらえて、泣くのもこらえて、
動悸が去るのを待った。
その状態で「ケーキバイキングに連れてゆけ」と命令し、
行く道中、2回吐いた。
事情を知らない彼は「そんな状態でケーキを食べるのか?」と云い、
結局はいつものスーパーで、いくつかケーキを買ってくれたようなのだが、
残念なことに、
その先の記憶が無い。
家へ帰った記憶も、ケーキを食べた記憶も、
ない。
しかし、ちゃんと吐いたときのための洗面器はベッドの横にあり、
K君が「じゃあ帰るけど、大丈夫?」と云ったのは覚えている。
そして、大量の薬とアルコールを摂取したのを思い出し、
とりあえず、水を飲もうとし、キッチンへ行く。
が、水すら受けつけず吐く。
もう寝ているしかない。身体の自然浄化の力を信じるしかない。
しかし、本当に苦しいと、眠りに落ちることすら不可能だった。
苦しくて、右に左に転がって、
このまま死ぬのかな…と思った。
ここで死んだってみんな何が起こったかも判らず仕舞いだろう。

水を摂取するまで、どうにかこらえて、
水を沢山飲むと、自然に眠れた。
さすがに夕飯は食べられなかったが、
ダンナサマの夕飯は作ることができた。
寝る間際、娘と談笑するまで快復したが、
毒気はなかなかおさまらず、
吐き気に襲われるたび、うっすらと意識が戻り、
ずっと洗面器を抱いて寝た。

こんな状態で、
1日大変だったので、梅干を送ってくれた友人にお礼のメールも出せなかった。

別れを切り出すほうも、辛いのだ。

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運動会。

2012-09-22 20:23:27 | 日記

娘の、小学校最後の運動会。
予定より少し遅れてK君が到着し、
今年は運良く、木陰に席がとれた。
折りたたみ椅子があったので、
完全脱力状態で見物できた。
去年は、照り返しにやられた記憶があるが、
今年は大丈夫だった。

が。

後半から眠気に襲われ、
起きたり寝たり。

娘の徒競走。去年は小鹿のようであったが、
今年は、キツネのような走りだった。
一等賞は譲らないという意気込みだ。
6年間、一等で走りぬいた。

組み体操。
去年は練習中にミズタンが骨折したが、
今年は怪我人もなく、
ミオッチはピラミッドの上、すらりと立った。

写真撮っておくべきだったな。

運動会が終るころには、
何故だか歩くのもままならない状態だったが、
買い物して、
六時くらいに寝た。

K君が来ると、
精神的にかなり消耗する。


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オーバードウス。

2012-09-20 13:52:21 | 日記
朝はいつもとおり起きて食事を摂った。
今日は朝から両腕に何かが巻き付いている。
かなりの重量感。
娘と朝歩くのも出来なくて、
居間に転がっていた。
水曜日は妹がダンナサマを看てくれる、
唯一の休み。
しかしここ二週間連続別の予定を入れて帰ってくれなかった。
こうなると私は息継ぎなしで三週間介護をしなければならず、
精神的にかなり追い詰められる。

少し疲れを感じていた。
腕が重いだけで、
動きも鈍くなる。

気づいたらをしていた。
こんなに苦しいなら意識をなくしてたほうがいい。
電話の音に過剰に反応して、
電話を叩きつけて切る、とか、
不機嫌になるとか、
もう意識がメチャクチャだ。
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