私はごく普通の農家に生まれました。私の家族は裕福ではなかったものの、私の父と母はお互いを愛し合い、私のことも大切にしてくれました。私達の家庭生活はとても豊かで、恵まれていました。私は、大きくなってから、「私も優しくしてくれる旦那を見つけて最高に満足で、幸せな家族を築かなきゃいけないわ」と自分に言い聞かせました。これが一番大切なことでなのです。私は富がなくても、旦那との愛情豊かな関係と平穏な家庭生活さえあればそれでいいのです。
私の旦那とは共通の知り合いを通じて出会いました。私は、彼はとても背が低かったので好きではなかったのですが、私の父と母は彼のことをとても好意的に見ていました。二人は私に、「彼は誠実な人だから、お前のことを大事にしてくれるよ」と言いました。私は旦那がとても誠実に人と接している所を見て、彼が自分の家族を大切にする人のように見えたので、「背が少し低くてもいいか。私のことを大事にしてくれさえすれば、それでいいわ」と思いました。こうして、私は結婚に合意して、1989年に私達は結婚しました。結婚後、私の旦那は私にとても優しく、私のことをとても大切にしてくれました。私の結婚生活はとても満足で、豊かなものでした。私は、旦那が私を大切にしてくれたことを心の中で覚えています。私もまた、彼の事を一心に気遣い、全ての事において彼の事を思いました。私達が2人の娘達を授かった後、旦那に職場で安心してもらおうと思った私は家で家族の世話をしました。当時、私の幼い娘は頻繁に病気をしており、ある時の夜中、彼女は突然熱を出したのです。私の旦那はその時夜勤を働いていたので家にはいませんでした。パニックになった私は自分で娘を病院に連れて行くことにしました。これを知った旦那は家に帰ろうとしてくれました。彼は私にあまり大変な思いをして欲しくなかったのです。私は自分の旦那がこんなに優しくてとても幸せでした。後に、二人の子供は村を出て学校に通うことになりました。子供達が学校に通う間、そばで面倒を見てあげられるように私は泊まる場所を賃借しました。ある程度のことを自分で対応できている限り、私は旦那に面倒を掛けないようにしていました。困難なことがあったり、私が少し疲れている時でも、私達の旦那と妻としての関係はお互いの愛情と支え合いで満ちていました。私はとても恵まれた生活をしていると感じていたのです。
当時、私の旦那の給料は日常の経費を何とかやりくりできる程度しかありませんでした。私達の生活は少し大変でしたが、私は決して旦那に文句を言いませんでした。私は旦那と妻は人生の喜びと悲しみを分かち合うべきだと感じていたのです。その後、旦那の職場の経済状況が悪化して、旦那は毎月それまでのわずか半分しかもらえなくなってしまったのです。近い将来、私達は子供達の学費を払えなくなっていたでしょう。私は、旦那にかかるプレッシャーを軽減しようと、親戚から頻繁にお金を借りていました。私は、「この困難は一時的なもので、状況はそのうち良くなる」、と思っていました。お金を長い間借り続けていたため、私達の借金はどんどん増えていきました。旦那と私は共に大きなプレッシャーを感じていました。2013年に、私の旦那は海外に出稼ぎに行くことを考え始めました。それ聞いた私は、最初は気乗りしなかったのですが、「彼が2,3年の間海外に出稼ぎに行けば、私達の借金をいくらか返済できるし、家庭環境も改善できるわ」と考えました。しかも、私達は子供達が育ち盛りであったため、良い生活環境を与えてあげたかったのです。家族のためにと思い、私は旦那が海外に出稼ぎに行くことに賛成しました。
私の旦那はカンボジアに3年間働きに行きました。この3年の間、私は家で子供達と年配の両親の世話をしました。最初は、旦那もよく電話をくれて、家族を大事にしていることを示してくれていました。彼は仕送りもしてくれていました。後に、旦那はどんどん電話をしなくなり、仕送りもとても少なくなっていったのです。ついに、旦那は全く仕送りをしてくれなくなり、家にも滅多に電話をしてくれなくなるほど状況は悪化してしまいました。私は、旦那に何か起こったのではないかと心配になり、娘達を連れて彼の元へ向かったのです。私達はカンボジアに着いて、旦那の無事を確認することができたので、私はとても安心しました。私達はカンボジアが初めてだったので、私は娘達と一緒にしばらくそこに滞在して、帰国するまで旦那と一緒にいる準備をしていました。しかし、家の外で旦那と一緒にいると、旦那を知る人達が私を変な目で見るのです。私達は地元の言語を話せなかったので、彼らが何を言っているのかは解りませんでした。その一週間後、私の旦那が突然、見知らぬ子供を腕に抱え私の前に連れてきたのです。旦那はこの子にこう言ったのです、「早く叔母に挨拶するんだ。」何が起こっているのか分からなかった私はただ呆然と見詰めてしまいました。旦那に聞いてみると、この子供は彼がカンボジアで出会った女性との間に生まれた子供であったことが分かったのです。私は言い表せないくらいに腹が立ち、どうしていいのか分からなくなりました。私が旦那を非難した時、彼は素っ気なくこう言ったのです。「こんなのよくあることだよ。ここでは沢山の人がやってることだよ!」旦那がこう言ったのを聞いて、私は体中が震えるほどに腹が立ちました。長年に渡ってお互いを愛し合ってきた後に、彼がこんなに冷たく無情なことを口にして、こんな恥知らずのことをしてしまうなんて考えてもいませんでした。私は怒りに任せて旦那を2回引っ叩きました。私は旦那の裏切り行為を受けて麻痺してしまいました。旦那に裏切られた事実は予告なしに私をめがけて落ちて来た雷のようでした。彼はこんなことを仕出かすような兆候を見せたことは今まで一度もなかったのです。私はこんなことをした彼を許せませんでした。私は床に座り込んで、血涙を流しました。私は何度も自分にこう問いかけました。「どうして旦那が私にこんなことするの?私の知る旦那はどこに行ってしまったの?彼の永遠の愛の誓い、優しさや気遣いはすべて嘘だったっていうの?私は全てをこの家族に注いでいたのに。旦那にお金や物を欲しいと言ったことすらないのに。」しかし、こうなった今、旦那の裏切りは私にとってとても大きな屈辱で、私にはこのまま生き続ける尊厳がないと感じました。
その後、私は毎日のように泣きじゃくりました。私はあの女性と子供を嫌いました。私は離婚して娘達を連れて帰り、このいわゆる家族から出て行く決意をしたと旦那に伝えました。私は旦那が離婚に合意しないとも、あの女性と別れたがらないとも思いませんでした。後に、私は、自分の家族の中に私の旦那が他の女性を見つけて、その女性と子供を持っていたことを知っていた人が何人かいたことを知りました。彼らはそのことを私に隠していたのです。私は尊厳を以て生きれていないともっと強く感じるようになってしまいました。私はこの家族のために苦労しながら犠牲を払ってきました。まさかそのお返しに裏切られ、騙されることになるとは全く思っていませんでした。私は心から悲しみました…この裏切り行為はそれだけでとても痛ましいものであったのに、それよりも許し難かったのは、私が旦那とあの女性を知る人達から変な目で見られたり、非難されたりまでしたことでした。元々は、私を裏切ったのは旦那で、私の家庭を台無しにしたのはあの女性でしたが、今となっては、他の人達の目に私が第三者として映っているのです。当時感じた苦しみを言葉で表現することはできません。惨めな思いをしていると時間が経つのは早いもので、私の体重はあっという間に10キロ以上も減ってしまったのです。
私が完全に落胆していた当時、私は終わりの日における全能の神の御救いと巡り合いました。私の隣人であるリン・チンがこの事態を知った時、彼女は私の家に来て私に福音を説いてくれたのです。彼女は、「神を信じなさい。神はあなたをお助け下さるわ」と言ったのです。しかし、無神論を信じてきた私がそんな簡単に神を信じれるはずがありませんでした。私は彼女に何の返答もしませんでした。その後、リン・チンは再度私にこう言ったのです、「神の御言葉を読みなさい。神はあなたを御救い、あなたがこの苦しみから抜け出せるようにしてくださるわ。」彼女はとても切に話してくれたので、私は感動しました。又しても彼女をはねつけることを恥ずかしく思った私は、代わりに「言葉は肉に現れる」という本のコピーを受け取りました。私はこの本を開き、この節を読んだのです。「全能者のいのちの供給から離れた人類は、自分がなぜ存在するのか分からず、しかも死を恐れている。支えもなく援助もないが、人類は依然、彼らの目を閉じようとせず、仕方なく、霊の目覚めもなき肉体で、この世における下劣な存在のままいい加減に生きようとする。あなたは、このように生きている――何の希望もなく。彼も、このように生きている――何の目的もなく。伝説上のその聖なる者だけが、苦しみにうめき、彼の到来を待ち焦がれる人たちを救うために来ることができる。…あなたが疲れているとき、この世の荒廃を感じはじめるとき、途方に暮れてはならない、泣いてはならない全能神という、見張る者はいつでも、あなたが来るのを抱擁して迎えるだろう。」(『言葉は肉において現れる』の「全能者のため息」より)この神の心のこもった御言葉を読んで、私は涙でいっぱいになり、この神は本当に人類を理解されていると感じました。旦那の裏切りに直面した時、私は死にたかったのですが、それを実行する勇気がなければ、そんな形で死ぬ覚悟もできていませんでした。私は人生の方向性と目的を見失い、自分自身を諦めたくもなりました。しかし神の御言葉を読んだ時、私は人生の希望を持てるようになり、私の心も平安を見つけたのです。旦那には裏切られましたが、私は神に頼ることができたのです。私は独りではなかったのです。全能の神はこう仰いました、「この世の荒廃を感じはじめるとき、途方に暮れてはならない、泣いてはならない。全能神という、見張る者はいつでも、あなたが来るのを抱擁して迎えるだろう。」私は傷ついていたし、自分を気遣ってくれる人が一人もいなかったので、神に頼る気になれたのです。私は神の抱擁を必要としていたのです。私は、毎日が苦しく、しんどくて、そのまま生きて行きたくありませんでした。人類をとてもよく理解されておられる神は私がこの苦しみから離れられるようにお導き下さったのです。結果、私はリン・チンと一緒に神の御言葉を読み始めました。私達は神の御意図について話し合い、神を崇拝する讃美歌を学びました。私は、「大変な時は、神に祈りを捧げて、神の御言葉を読むの。そうしたら神はあなたの傷ついた心を慰めて下さるわ」、というリン・チンの言葉を受け、彼女の言った通りにしました。私は、全能の神の教会にいる兄弟姉妹達が撮ったミュージックビデオと讃美歌の動画を見て心の中で幸せを感じ始めたのです。私は神の家族のみが本物の愛情を持っており、本物の喜びは自分の兄弟姉妹達と一緒にいてのみ得られるものだと感じました。「カナンの地の幸福」という動画を見た時は特にそう感じました。歌ったり踊ったりしている兄弟姉妹達と一緒になって私の心も踊っていました。苦しみ落ち込んでいた私の心は直ぐに元気を取り戻し、ついには笑顔までが私の顔に戻り始めたのです。私はすかさずこれが私の求める家族なのだと感じました。その結果、私は兄弟姉妹達と過ごす教会での生活を楽しんだのです。
後に、私は更にこの神の御言葉を読みました。「サタンが社会動向を利用して人間を腐敗させる問題についても、説明が必要であろう。この社会動向には、様々なものがある。一部の人々は、「それは、人間の衣服のことであるか。それは最新のファッションや化粧、ヘアスタイルやグルメに関することであるか。」などと言う。社会動向とは、そうした物事に関することであるか、というと、それらも社会動向の一部であるが、ここでそうした物事については取り上げない。ここでは、社会動向が人間にもたらす考えや、世社会動向が世間において人間の行動にどう影響するか、そして社会動向により人間にもたらされる人生の目標や人生観についてのみ、議論する意向である。社会動向は、人間の精神状態を支配し、影響を与えることがあるので、極めて重要である。こうした社会動向には、それぞれに人間を継続的に退化させ、人間の倫理や性質をますます低下させる邪悪な影響があり、現在においては、大部分の人々に誠実さや慈悲、良心はなく、理性など尚更欠如している状態にまで達している。…大部分の人々は、無意識のうちに、そうした社会動向に継続的に汚染され、捕らわれ、魅惑され、やがてそれを無意識のうちに受け入れるようになり、そうした社会動向に呑み込まれて支配される。こうした社会動向は、心身の健全さが欠如し、真理とは何かを知らず、肯定的なものと否定的なものの判断が出来ない人間に、そうしたサタンに由来する社会動向や人生観、人生哲学、価値観を、次々と進んで受け入れさせる。この種の人々は、どのような人生を送るべきかに関してサタンが述べた言葉や、サタンにより「授けられた」生活の道を受け入れる。この種の人々には強さ、能力、またことさらに拒否する意識が欠乏している。」(『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身6」より)私は神の御言葉のこの部分を読んで、「こんなによくあることだよ。ここでは沢山の人がやってることだよ!」という旦那の言葉を思い出しました。私の旦那の考え方は、サタンの影響を受けた社会の悪質なトレンドが人々を堕落させ、同化させてしまうという神が明らかにされた真理の中で説明されていることではないでしょうか?旦那は、国を出る前は、自分の家族の面倒を見て、私と子供達を大切にしてくれていました。しかし、出稼ぎのために家を出てからわずか3年の間に、彼は社会の悪質なトレンドを完全に従うようになってしまい、自分の家族を裏切ってしまったのです。そこで私は、「現代社会では人の愛人になることは恥ずかしいことではないわ。実際にはよくあることじゃない」と思いました。多くの男性は、「家庭の赤旗は落ちず、色付きの旗は外でそよ風にはためく」、といった悪質な思考に痛手を受けているのです。こうして彼らは恥じることなく不倫してしまうのです。彼らは不名誉なことをしてでも、栄光を手にすることに動機付けられているのです。私の旦那は私と離婚したくないと同時に、あの女性と別れたくもないのです。彼はこのような思考と観念によってコントロールされてしまっているのではないでしょうか?神の御言葉を読んで、私は、「事実上は、皆が犠牲者であり、サタンの邪悪な思考によって騙され、それ故に、私達は道徳と羞恥心を失ってしまうほどに堕落させられている「、ということが理解できました。人々は自分の利己的な欲望を満たして一体何を得ることができているのでしょうか?実際に幸せになっているのでしょうか?私の旦那とあの女性について言うと、あの二人は私よりも幸せだとは思いません。更に言うと、私達の子供達は罪のない犠牲者なのです。私の家族が直面した不幸はサタンによる堕落と害によるものではないでしょうか?私自身について考えても、もし神の御救いに巡り合っていなければ、私も社会の悪質なトレンドにむしばまれていたと思います。私は、旦那が他の女性を見つけたんだから、自分も同様に他の男性を見つけられると思いました。私は間違ってももらい手のない女性ではないのです。私はサタンに飲み込まれそうになっていた時に私を御救い下さった神に感謝しています。神は私が神の前に行って、神の御加護を受けられるようにして下さったのです。そうでなければ、私はこの社会の悪質な潮によって没落させられていたことでしょう。
私は読み続けていると、この神の御言葉を目にしました、「サタンが人間を腐敗させるとき、あるいは留まることを知らない危害を加えるとき、神は何もせず傍観することも、神の選民を無視したり、見て見ぬふりをしたりすることも無い。…神は、人間の心が蘇ることを求めている。つまり、神がこのようにして人間に対して業を行うのは、継続的に人間の心を目覚めさせ、魂を目覚めさせ、人間がどこから生まれたか、人間を導き、支え、また人間に与え、人間の存在を現在まで維持しているのは誰かを認識させるためであり、創造主は誰であるか、誰を礼拝すべきか、人間はどのような道を歩むべきか、人間はどのようにして神の前に来るべきかを人間に認識させるためである。こうした方法が用いられるのは、人間が神の心を知り、理解し、神による人間救いの業の根拠となる大いなる慈しみと思いを理解するように、人間の心を次第に蘇らせるためである。人間の心が蘇ると、人間は堕落し、腐敗した性質の生活を送ることを望まなくなり、その代わりに神が満足する真理を求めることを望むようになる。人間の心が目覚めると、人間はサタンと完全に訣別できるようになり、サタンによる危害を受けなくなり、サタンにより支配されることも騙されることも無くなる。その代わりに、人間は神の業と言葉に積極的に協力して神の心を満足させ、神に対する畏れと邪悪の忌避を得る。これが神の業の元来の目的である。」(『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身6」より)私は神の御言葉を読んで、サタンがありとあらゆる社会のトレンドを利用して人を堕落させていても、神はその間ずっと人類を救う働きをなされているのだと理解することができました。私達が深く堕落し過ぎていても、神は決して私達を救うことを諦めてはおられなかったのです。終わりの日において、神は人類の魂を呼び覚まし、人類がサタンの邪悪な卑劣さを見抜けるようにするために、また肉となられ、神の御言葉を発して下さったのです。神は、私達が真理を追い求め、堕落したサタンのような性情から抜け出し、サタンから完全に離れ神の元に戻れるようにするために私達を目覚めさせてくださったのです。神の御言葉から、私は、神のみが純粋で聖なる本質を持っておられ、神は悪と邪悪さを御嫌いであり、私達人類全員が神の前に行き、神の御言葉の御導きを受け入れて、光による御啓蒙を手にすることを願っておられるということも理解できました。サタンの悪質な思考は人類の心を堕落させ、人類がそれから抜け出す力を失わせて、人類が少しずつ堕落して行き、飲み込まれていくように仕向けていたのです。神のみが私達を救うことを御出来になるのです。神の御示しになる真理によってのみ、私達は人類を堕落させようとするサタンの悪質な計略と策略を見抜く事ができるようになり、サタンによる害から抜け出す力を持って本当の人間のいのちを得ることが出来るようになるのです。私は全能の神に感謝いたします!全能の神が私を苦しみの底から救って下さったのです!私は神の御言葉を読み、真理を追い求め、最終的には神の御救いを受けられるようになりたいと思っています。
最近、私は神の御言葉を読み続けている内に、真理を少しは理解できるようになり、多くの状況の中を見抜くことが出来るようにもなりました。私はもう自分の旦那も、あの女性も嫌ってはいません。彼らは自分達の生きたい生活を自由に選ぶことが出来るのです。私の親戚と友人はどうかと言うと、彼らとも落ち着いて接することが出来ています。私はもう自分の親戚を責めることは止めました。なぜなら、私達全員がサタンによって堕落させられた犠牲者だからです。現在、私は頻繁に自分の兄弟姉妹達と一緒に集会に参加しています。私達は神の御言葉を読み、自分達それぞれの体験について話し、共有し合っています。私達は毎日、神の御言葉の恩恵を受けています。私達の心の中には平安と喜びがあり、私達の生活は明るい希望で満ちています。全能の神様、私を人生の正しい道に導いて下さり、そして私に真の家族をお与え下さり、どうも有難うございます。私はここで、本当の幸福を手にすることが出来たのです!私は永遠に神に付いて行きます!