賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

日曜日に関しては、わたしたちは何問正しく答えられるか

2019-11-13 11:37:12 | 聖書の言葉

一、一週間には何日ありますか。

   こう聞かれたら、皆さんはきっと口をそろえて、「もちろん七日あります。これはだれも知っていますよ。聞く必要がないのではありませんか」と答えます。


二、週の初めの日はいつですか。

   多くの人は考えもせずに、こう答えるでしょう。「もちろん月曜日です。なぜなら、土曜日、日曜日連続して休んだ後、さまざまな職業の人々は一週間の仕事を始め、月曜日ごとに、学生たちが授業に出始め、労働者たちが出勤し始めます……。これらの事実は、月曜日が週の初めの日だと証明するのではありませんか。月曜日は週の始まりではありませんか」と。


   だが、クリスチャンたちは「以上の答えは正しくありません。週の初めの日は日曜日です」と言います。

   だれが正しいかについては、わたしたちはしばらく結論を下しません。まず次の問題を見ましょう。


三、カレンダーの中の毎週の初めの日は本当に月曜日ですか。

   ある人たちは自分の見方を堅持し、「月曜日は週の初めの日です。これは間違いのないことです」と思うかもしれません。では、わたしたちはやはり事実によって問題を説明しましょう。




   カレンダーを見る時、多くの人はびっくりして言うでしょう。「なんと、一週間の七日はこのように配列されるのだ。なぜ月曜日を一番目とせず、日曜日を一番目とするのですか。これはどういうことですか。月曜日は週の初めの日ではないのですか」と。

   しかしクリスチャンたちはこう答えます。「カレンダーの配列にはいわれがあります。それは、わたしたちの想像、観念のとおりに配列されるのではなく、主イエスの働きとは関係があります! 聖書にこう書かれています。『さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った』『この方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ』(マタ28:1、6)。これで分かりますが、週の初めの日は主イエスの復活した日であり、カレンダーの中の日曜日でもあります。なぜなら、安息日は現在の土曜日であり、また週の第七日、すなわち最後の日です。こういうわけで、カレンダーの中の日曜日、すなわち週の初めの日は一番目とされました。それで、月曜日は週の第二日となります。その他はこのとおりに類推すればよろしい……」。


四、なぜ日曜日に全人類がみな休むのですか。

   ある人たちはこう言うでしょう。「日曜日は休日です。わたしたちは何日も連続して仕事をし、非常に忙しいです。だから、日曜日に休み、リッラクスし、或いは私用を片付けるべきです」。

   この問題に関しては、あるクリスチャンたちはこう言います。「わたしたちが知っているように、わたしたち罪人たちを救うためには、主イエスは十字架につけられました。三日後、彼は復活されました。主を信じる人はわたしたちに対する神の救いの恩恵を記念するために、日曜日に主日を守ります。日曜日に休むのは、物見遊山をするためではなく、主を礼拝するためです。実は、日曜日を週の初めの日とするのは、わたしたちが週の初めに神を礼拝するためであり、どんなことをしても心の中で神をあがめ、神に決めさせるためです。そうしてこそ、神の祝福を得られます。例えば、キリスト教を国教とする国々は世界ではかなり強大です。これらの国はさまざまな面で神に祝福されたため、神を礼拝しない国よりさらに多くのものを得ました。そうなるのは、彼らが神をあがめることができるためです。これは、日曜日に全人類がみな休む原因です!」

 

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