賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

最も困難な時期に神の御手は家族を助けてくださった

2019-08-10 21:16:10 | 霊的戦い

   2015年、私の友人が全能神の御国の福音を私に説いてくれました。彼女はこう言って交流しました:「最初に人間が神に創造された時、人間は罪を犯したことがありませんでした。後に、人類はサタンに誘惑されて善悪の知識の木から実を食べてしまうと、サタンの毒を受けてサタンの支配下で生きるようになってしまったのです。次第に、彼らはサタンによって増々深く堕落させられていき、普通の人間らしさを完全に失ってしまいました。例えば、人々は利益と地位を手にするためにお互いを陥れようと画策し、妬み衝突し、名利を奪い合い、苦しみの中を生きています。サタンの邪悪な支配から私たちを救うため、神は私たちが神の御導きの下で暮らし、神の御加護と祝福を受けられるようにと、自ら肉となり、人類の中に来て真理をお話しくださりました。これが神の私たちへの愛と救いなのです。」友人の交流を聞いた私は神の働き、そして神の人間に対する愛と救いについて少しだけ知ることができました。私はとても感動し、神のことがもっと知りたくなりました。従って、この友人と何度か交流した後、私は正式に教会生活に参加するようになりました。教会で、私は兄弟姉妹たちが愛情で満ち溢れていることを知りました。誰が弱気になっていても、過ちを犯しても、彼らは全員が心優しくお互いを助け合い、支え合っていました。教会では、兄弟姉妹たちが何らかの出来事に遭遇することがあれば、彼らは神の御言葉通りに真理を求め、内省し、それぞれの欠陥を知り、それぞれの問題を解決するために真理を探究することができていたのです。全能神教会にいると、私は平安と、安全と、解放感、さらには自由を強く感じることができ、まるで別世界にいるような気分がしました。しかし、その数日後、不測の事態が降りかかってきたのです。

   ある日、私の2歳を超える娘が突然熱を出したのです。娘は数日に渡って薬を飲みましたが、全く効果がありませんでした。ついに、娘は高熱が続いたため入院を余儀なくされてしまいました。この時、私の娘は一度くしゃみをするだけで鼻血を出していました。私は医者に娘の容態について尋ねましたが、彼は病気の原因は未だに不明だと言っていました。医者の返事を聞いた私はとても不安で心配になりましたが、治療の結果を待つ以外は何もできませんでした。するとさらに不幸が続き、娘が入院した4日後に、私の夫までが病気で入院してしまったのです。医者は私の夫の容態はとても深刻だと言いました。夫は複数の血液検査以外に、骨髄検査を受ける必要もあったのです。この言葉を聞いた時、私は胸が張り裂けそうになり、とても悲しくて辛くなってこう考えました:「私は神を信仰しているのに、どうしてこんな事態に遭遇するの?どうして神は私を守ってくださらないの?どうして私の家族が相次いで入院するはめになるの?私たちには世話をしなくてはいけない子供が2人もいて、夫は家族を支えるために仕事に行く必要があるというのに。でも、夫までが重病になるなんて。もし彼が倒れてしまったら、私の家族はどうやって生きていけばいいの?」この大きな打撃は私の心を裂き、私は激しく動揺し、絶望しました。私は苦痛、困惑、そして暗闇の中を生き、方向性を失ったその時、突然神のこの御言葉を思い出したのです:「世界で起こるすべてのことの中で、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にない存在などあるだろうか。わたしの言うことはすべてその通りに進み、……」神の光のような御言葉は私の道に明かりを灯してくださり、重く沈む私の心に大きな安心感を与えてくださりました。そうだわ、この世界と万物は全て神の御手の中にあるのよ。私は神を頼りにして、神を仰ぎ見るべきだわ!



   その後、教会の兄弟姉妹たちは私が生活に苦しんでいることを知りました。ある姉妹は私の息子の面倒を見るのを手伝ってくれ、またある姉妹は神の御言葉を読み、神の御心を交流して私を支え、慰めてくれました。神の御言葉にはこう記された節があります、「万物の長である全能神は、玉座から王としての権力を振るう。神は宇宙と万物を支配し、全地で私たちを導いている。私たちは頻繁に神に近づき、静まって神の前に出る。私たちは一瞬の時をも決して逃してはならない。そして、いかなる時にも学ぶべき事がある。私たちの周りの環境、人々、事柄、事物のすべては神の玉座によって許可されている。心に不平不満を持ってはならない。さもなければ、神はあなたに恵みを授けない。病を患うとき、それは神の愛によるもので、神の善意が必ずその背後にあるのだ。たとえあなたの体が苦しみに耐えている時でも、サタンによる思いを受け入れてはならない。病気の只中で神を賛美し、あなたの賛美の只中で神を楽しみなさい。病気に直面しても心を失ってはならない。求め続けなさい。決してあきらめてはならない。そうすれば、神はあなたの上に光を輝かせるだろう。ヨブはどれほど忠実だっただろうか。全能神は全能の医者である。病の中に留まれば、病気になる。しかし霊の中に留まれば、健やかになるのだ。あなたに最後の息があるかぎり、神はあなたを死なせはしない。」

   この神の御言葉より、私は、「神は全能で、英明な御方だわ。神は万物を創造され、それを支配されてもいる。皆の将来、運命、出生、老化、病、そして死は全て神の御手の中にあるのよ。今日、私がこういった出来事に遭遇するのは、神が私の神への信仰を試しておられ、私が神の証を立てられるかどうかを見ておられるんだわ」、と悟りました。神の御心を知った後、私は自分の抱える困難を全て神の御手に託し、結果がどうなろうと、神に対して文句を言ったり、神を誤解したりせず、むしろ神に祈りを捧げ、神を頼りにし、そして神の主権と采配に従う意思を持ちました。それ以降、私は頻繁に神の前に行って祈りを捧げました:「神よ、あなたは私が霊的に未熟で無知で、あなたへの真の信仰を持てていないことを知っておられます。私があなたに従いたいと思えるよう、どうか私に信念と力をお与えください。」こう祈りを捧げた後、私はとても安心し、気持が穏やかになりました。

   一度集会で、ある姉妹が神の御言葉のこの節を読んでくれました:「神は業を行い、人間を慈しみ、見守るが、サタンは常に神の働きの邪魔をする。神が大事にする人間を、サタンも見ていてつけ回す。神がその人間を求めると、サタンは持てる力の全てでどんなことでもして神の行うことを阻もうとし、隠された目的を達成するため、あらゆる邪悪な方法で神の業を試し、邪魔し、挫折させようとする。サタンの目的は何であろうか。サタンは神が人間を得られなくなることを求めている。サタンは神が求める人間を求め、その者を自分のものとして支配し、掌握してサタンを崇拝させ、サタンと共に邪悪なことを行わせることを求めている。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないか。あなたがたは、常日頃からサタンが極めて邪悪であると言うが、その邪悪さを見たことがあるであろうか。あなたがたが見ることができるのは、人間が如何に邪悪であるかのみであって、サタンが実際どの程度邪悪であるかを見たことがない。しかし、あなたがたは、このヨブに関する問題でその邪悪さを見たであろうか。(見た。)この問題では、サタンの醜悪な姿と本質が極めて明瞭となっている。サタンは神と戦い、また神をつけ回している。サタンの目的は神が行おうとする業をすべて粉砕し、神が求める人間を自分のものとして支配し、完全に消滅させることである。こうした人間が消滅しなかった場合、その人間はサタンのものとなってサタンに用いられる。これがサタンの目的である。」

   姉妹はこのように交流しました、「悪魔サタンは吠えながら歩き回るライオンのようで、ありとあらゆる誘惑を使って私たちを貪ろうとします。実際、私たちが遭遇する出来事は全てサタンが生み出す妨害であり、それは霊的世界で戦いが行われているということです。神は私たちを救うために働きをなされますが、私たちが神に立ち返るためにサタンを見捨て、サタンに反抗しようとすると、サタンは負けじまいと抵抗します。サタンは可能な手段全てを使って私たちを傷つけ、妨害し、騙そうとします。それは悪質な手段を使って私たちの家族に怪我まで負わせ、病気になるようにし、神を誤解して非難するような誘惑に私たちを陥れます。その目的は、私たちが神を拒否し、神に背き、そして神の救いを逃すように仕向け、結果的に私たちをその支配下に取り戻すことなのです。消極的になって神への信仰を失ってしまうと、私たちは確実にサタンの策略に陥ってしまいます。ふり返ってみると、ヨブが誘惑を受けた時、サタンは最も悪質な手段を使ってヨブを拷問し、苦しめました。サタンは彼の所有物の全てと子供達を彼から奪い取っただけでなく、彼の体中に腫物を引き起こし、彼を辛い苦しみに陥れました。しかし、ヨブは悲嘆しながらも神の証言をすることができました。それは彼が神を心から信仰していたがために成し得たことです。従い、このような状況が起る理由として、その1つはサタンの誘惑が降りかかってくる故であるということ、そしてもう1つは私たちが神を心から信仰できているかどうか、そして私たちが神の前に行って、神に近づき、神を頼りにできるかどうかを試すことを神が望んでおられるからであるということを私たちは覚えておくべきです。実は、私たちが自分たちの持つ観念に反する出来事に遭遇すると消極的になり、弱気になり、さらに神への信仰を失ってしまう理由は、私たちの信仰に不純な心があり、それがサタンに私たちを傷つける機会を与えているからなのです。神はこう仰りました、「ほとんどの人々が、平穏やその他の利益のために、神を信じている。あなたは、自分の利益にならなければ、神を信じず、神の恵みを受けられないのであれば不機嫌になる。これがどうしてあなたのほんとうの背丈でありえようか。家族の中で避けられない出来事(子どもが病気になる、夫が入院する、農作物が不作に見舞われる、家族の者たちからの迫害等)については、あなたは、日常生活で度々起こるこうした出来事を乗り越えることすら出来ない。このような事が起きると、あなたは当惑してどうして良いか分からなくなる── そして殆どの場合、神について不満の言葉をこぼす。神の言葉に騙された。神の業が自分を混乱させたのだと、不平を言う。あなたがたは、そのような思いを抱いたことはないだろうか。このようなことが自分に起こるのは希であると思っているだろうか。あなたがたは、こうした出来事のただ中で生活し日々過ごしている。あなたがたは、神への信仰を成功させることや、神の旨を満たす方法については、少しも考えることが無い。あなたがたの真の背丈は小さすぎる。それは、ひよこよりも小さい。……あなたの腹は不満ではち切れそうだ。また、そのために時折集会へ行かなかったり、神の言葉を食すことも飲むこともなく、長期間にわたって否定的になるのが目に見えている。」

   神の御言葉を読んだ後、姉妹はこう言いました:「神の御言葉は、私たちが神を信仰する中で、祝福を求めることについて誤った考えを持っていることを指摘しています。私たちはいつも、「神を信仰してさえいれば、神は私たちを祝福して、全てが平安で順調であることを保証してくださるはずだ」、と思っています。私たちは厄介なことに遭遇すると、すかさず神の助けと御加護を請い、神が困難や問題を解決してくれないと、神への信仰を失い、心の中で神を誤解して非難してしまいます。サタンは ‘祝福を得るためだけに主を信仰する’ という私たちの致命的な弱みを利用して私たちを攻撃し、妨害し、私たちと神との間に不和の種をまきます。サタンの策略を完全に見抜くことができなければ、私たちはサタンに捕まり滅ぼされてしまうのです。」

   姉妹の交流を聞いた後、私はすぐに心が明るくなったような気がして、私の家族に降りかかったことにはサタンの策略が盛り込まれていたこと、そしてサタンが私を妨害し、傷つけていたことを知りました。そして同時に、神は私の信仰における不純な心を清め、それを変えるために、この機会を使って神を信仰することに関する私の誤った観点を明らかにしてくださったのです。こうして、私は神に従順な心で静かに祈りを捧げました:「私の幼い娘と夫の病が治るにしろ、治らないにしろ、私は不平を言わず、神の働きを体験し、神の御計画と御采配に従うことだけを望みます。」

   私が神への信仰に対する誤った観点を捨て、神に従う意思を持った時、意外なことが起りました。その数日後、夫と娘の容態が次第に改善していき、夫は骨髄検査を受けなくてもよくなったのです。一週間入院した後、二人は回復し、退院することができました。神の素晴らしい御加護に感謝します。

   この事態を体験した後、私は私たちを苦しめ堕落させるサタンの邪悪な本質について多少の知識を得ました。同時に、私は神の私への愛と救いも知りました。神は私の神への信仰に対する誤った観点を変えるためにこのような環境をお使いになり、私が改心し、神の御計画と御采配に従う意思を持った時、私はもう一度神の素晴らしい御業を目の当たりにすることができたのです。神に感謝します!今後は、自分の観念に反するいかなる出来事に遭遇しようとも、私は神を頼りにし、真理を求め神に従い、そして神を讃え、神を尊ぶために、神の証を立てることに努力したいと思います。


クリスチャンの証言:私が体験した霊的戦いの曲折

2019-08-09 10:49:23 | 霊的戦い

   苦しみの中、私は真の神と出会いました

   2007年、私は家計の都合により韓国に出稼ぎに行きました。当時、生活が厳しかった上に、私の夫は頻繁に女友達と呑みに出かけていたので、私たちは毎日のように口論をしました。私は当時、肉体的に疲れ果て、人生は耐え難いほどに辛いと感じていました。2014年9月のある日、ある姉妹が私に終わりの日の全能神の働きを証言してくれました。そして神の御言葉を読み、兄弟姉妹たちと交流した末に、私は全能神が主イエス様の再臨であることを確認できました。

   その後、私は夫に自分が学んだことを話すと、彼はとても驚いてこう言いました。「へえ、お前はすごく特別な教会に通っているんだなあ。まだ数回しか行ってないのに、もう俺よりたくさん理解してる。俺なんかもう何年も主を信仰しているのに。」その後すぐ、私は全能神教会の姉妹に、私の自宅に来て夫のために終わりの日の全能神の働きを証言して欲しいと頼みました。彼女は全能神の名について言及しましたが、その時夫は黙っていました。しかし、彼女が帰ったとたん、彼の態度がとても否定的になりました。それ以降、霊的戦いが始まったのです。

1つ目の戦い:私は事実をもってインターネット上の噂に立ち向いました

   私の夫は私たちのコンピュータを指さしてこう言いました。「この全能神教会に関するネガティブなニュースを見てみろ。こんなものは信仰するべきじゃない。」

   私は言い返しました。「中国国内のインターネットニュースなんか信じたら駄目よ。事実がたくさん歪曲されてるのよ。こんなインターネットのレポートなんか信じられないわ。」

   私の夫は腹を立ててこう言いました。「宗教界も全能神教会なんか認めてないじゃないか。それを信仰することなんか止めろって言っているんだよ!」

 

   これにより、私の心は少し揺れ動き、私はこう考えました。「インターネットに書かれていることが真実だとしたら、私は調査を続けるべきかしら?でも、主が本当に再臨されて私のことを見ておられるとしたら、私はどうしたらいいのかしら?主の再臨は何百億年に一度のチャンスなのに!そうよ、私は自分で行って、全能神教会のことを調べなきゃいけないわ。」

   その後のある日、私は友人2人を連れて全能神教会に行きました。教会に着くと、私は兄弟姉妹たち全員の謙虚で立派な様子に気が付き、集会の最中、彼ら神に立ち返った体験、そして神の御言葉に関する知識と理解をお互いに話し合っていました。その内容は全てがとても現実的で、私はとても感動しました。その後、兄弟姉妹たちは全能神教会が製作した動画を見せてくれました。その中で、私たちは神の証言を行う彼らの働きを見て、神を褒め称えるために神の知識を求める方法、性質の変化を遂げる方法、そして真の人間らしさをもって生きる方法を学びました。私たちが目にしたのは肯定的なことばかりで、インターネット上で噂されるようなことは何1つ見られませんでした。インターネット上の噂が真実だとしたら、全能神教会が世界中の国々に福音を広げ、その調査を試みる信者を数多く惹きつけることなどできるはずがありません。全能神教会を訪れた後、私はそれまでの懸念を捨て去ることができ、終わりの日の全能神の働きを受け入れる決意をしました。しかし、私の夫は、この信仰に断固たる姿勢を取る私を見て、私たちが通う教会の牧師に私が全能神教会を訪れたことを話してしまったのです。こうして、この後すぐにもう1つの霊的戦いが始まりました。

2つ目の戦い:牧師と説教師の嫌がらせを受ける中で、神は私が堅く立てるようにしてくださりました

   ある日、私の前の教会から牧師と姉妹が私の家を訪れてきました。牧師は大きな紙を取り出して私に見せました。それには全能神教会を含む、家庭教会の長い一覧が書かれていました。

   牧師は言いました。「姉妹、あなたはこれらの家庭教会が全て中国共産党に厳しく迫害されていることを知っておくべきです。これらは全て異端扱いされており、特に全能神教会は中国政府が特に激しく非難している教会です。それに、他のいずれのキリスト教宗派も全能神教会を認めてはいません。あなたは聖書をあまり読んでいないし、霊的背丈もまだ低い、どうして全能神教会と連絡を取っていたことを言わなかったのですか?」

   私はこう答えました。「中国共産党は常に神に抵抗してきました。彼らは神の存在を認めないし、カトリック教とキリスト教の両方を非難しています。他の教会の善し悪しを判断するにあたり、中国共産党の考えを受け入れることなどできるはずがありません。それに、私たちは、様々なキリスト教宗派がどのように受けいれているかに従って、全能神が主イエス様の再臨であるかどうかを評価することもできません。様々な牧師と長老たちは聖書に精通してはいますが、だからと言って彼らが神を知っているという訳ではありません。これは、主イエス様が働きをしに来られた時、律法学者、祭司長、そしてパリサイ人たちによって十字架に磔にされた時と同じ状況です。」

   牧師は、その日は私の言い分に反論しませんでしたが、その後、私の家にやって来たり、ほぼ数日毎に電話で嫌がらせをしてきました。こんなことや牧師のしつこい働きかけを受けて、私の決意はやむを得ずくじかれてしまい、私は彼の面目を潰しているとも感じたので一週間は全能神教会に行きませんでした。しかし、その時、聖書に記されたこの節が私の頭に浮かんだのです。「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。 しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。 」(ルカによる福音書17:24-25) 全能神の顕現と働きは中国共産党と宗教界から非難されていますが、それは聖書に記されたこの節の内容を成就しています。「彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」中国共産党と宗教界による非難は全能神の働きを否定しているわけですが、それは間違っています。私はむやみに牧師の言うことを聞くわけにはいきません。従って、私はまた全能神教会に通い始めました。

   私の夫は私がまた全能神教会に行っていたのを知った時、私が行くのを止めるようにと働きかけるために他の説教師を私たちの自宅に連れてきました。

   説教師はこう言いました。「私はあなたが全能神を信じていると聞きました。あなたは聖書を良く理解していないし、霊的背丈も高くありません。私たちは、あなたのためを思って、考え直すよう説得するためにわざわざ来ているのです。全能神の働きは聖書の内容に即していませんし、聖書の内容から離れすぎるものはいずれも異端です。あなたはまず聖書をもっと読むべきです。」

   私はこう言い返しました。「主イエス様が最初に働きを開始された時、それは旧約聖書の内容とは合致していませんでした。あなたの考えによると、主イエス様の働きは非難されるべきであるということになってしまいます。」

   説教師はこう言いました。「ならば、どうしてあなたは全能神が主イエス様の再臨であると確信できるのですか?」

   私はこう言いました。「聖書にはこう記されています。『したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。』(ローマ人への手紙10:17)ユダヤの民はどうして最終的に主イエス様を信じるようになったのでしょう?それは、彼らは、主イエス様の教えの中に神の御声を認識したからで、だからこそ主に従い始めたのです。私は全能神の御言葉をたくさん読み、全能神の御言葉は全て、私を罪から引き離し、そして私が救いを受けるための探求方法を教えてくださる真理であるということも知りました。だからこそ、私は全能神が主イエス様の再臨であると確信しているのです。あなた方は全能神の御言葉を読んでいないし、全能神の働きを調べてもいないのに、そんなに軽々しく否定する権利があるのですか?」

   説教師は狼狽した声で言いました。「全能神を数日間信仰しただけで私と言い争うようになるなんて思ってもみませんでしたよ。分かりました。何を言っても全能神を信仰する気でいるみたいですから、私はもう言いません。しかし、羊を奪うために教会に戻ることは許しませんからね。」

   私はこう言い返しました。「羊は皆、神に属しており、神の羊は神の御声が仰ることに耳を傾けるのです。神に選ばれる者は他の人間の妨害を受けることはありません!」説教師は何も言い返せず、憎しみに満ちた表情で去って行きました。

   私は説教師がここまで腹を立てたのを見て少しびっくりしました。私が全能神を信仰することになったからと言って、あれほど怒る必要があったのでしょうか?私は牧師と説教師が本当に私のことを気にかけてくれていたのかと疑わずにはいられませんでした。彼らが本当に兄弟姉妹たちの霊的いのちの責任を背負って信者たちを導いているのであれば、主が再臨されたという知らせを耳にしたとたんに兄弟姉妹たちを率先してその調査をするべきなのです。しかし、その知らせを聞いて以降、彼らの態度には敵意が見られるようになっています。そして、彼らは中国共産党がインターネット上で広める噂を全てうのみにして、私たちの教会で兄弟姉妹たちが真の道を調べるのを妨げるようと故意に神の働きを非難しています。彼らの心の中には神への恐れがないのでしょうか?これには、主イエス様が最初に働きを開始された時のこと、そして律法学者、祭司長、そしてパリサイ人がそれぞれの生活を守るために無数の策略を作り出し、信者たちが主イエス様に従うのを妨げようとしたことを思い出させられました。これに関して、主イエス様はこう仰りました。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。 」(マタイによる福音書23:13) 牧師と説教師は主が来られることを聞いていたにもかかわらず、それを調査することには何の関心もなく、私が兄弟姉妹たちに福音を伝導するのを妨げようとさえしました。彼らのやり方はパリサイ人のと全く同じではないでしょうか?私がこの全てに気が付いた時、それは私が牧師と説教師の本当の動機をある程度見破ったことを意味し、それは私にとって終わりの日の全能神の働きを受け入れる更なる励みとなりました。

   その後、私を説得できないと分かった説教師は、私の夫に私を止めるべきだと言って、私と夫の間に首を突っ込み始めたのです。牧師は頻繁に私たちの自宅にもやってきて、私に嫌がらせをしました。当時、私の夫はいつも牧師と説教師の言うことに耳を傾けていたので、結果的に、私たちは毎日口論をしていました。私の生活は彼らによって滅茶苦茶にされてしまい、私は途方もない圧力をかけられてイライラしていました。霊的戦いは次の段階に突入しようとしていました。

第3の戦い:私は夫に離婚すると脅され弱気になりました

   ある日、私の夫は怒ってこう言いました。「お前はこの家族と全能神とどっちが大切なんだ?全能神を信仰し続けるならもう俺たちは離婚だ!」

   私はこう思いました。「私たちの子供はまだ幼いから、私にはお金を稼ぐことができないわ。夫に離婚されたら、この先どうやってやりくりして行けばいいの?全能神を信仰することは本当にこんなに大変である必要があるの?私の信仰が原因で夫と喧嘩し続けていたら、私たちの将来はなくなってしまうわ。」こう考えた時、私は思わず以前ほど確固とした決意を持てていないことに気が付きました。

   すると私の夫は、「お前が全能神の信仰を止めてくれたら、俺はたばこと酒を止めて、お前の言うことも聞くよ。何でもやって欲しいことするから。」と言って固く約束してくれました。

   私はこう思いました。「以前、夫は私が何を言ってもたばこと酒を止めてくれなかったけど、私が彼の言う通りにして、彼が止めてくれたら、それはそれで私たちにとってとても都合がいいことだわ。そうしたら、牧師はもう私に嫌がらせをしにやって来ないだろうし、私たちも毎日つまらないことで喧嘩しなくて済むわ。でも、これを理由に全能神への信仰を捨ててしまったら、私は良心の呵責を感じながら生きることになってしまうわ。」こう葛藤した後、私はとりあえずは全能神教会に行くのを止めて、状況がどのように展開するかを見守るという形で妥協することにしました。

   私が全能神教会に行くのを止めたことを知った夫は、私を同じ宗派内の他の諸教会に連れて行き始めました。しかし、私はそのいずれに行っても、牧師が同じ陳腐なことばかり説いているのを聞く度に全能神教会の集会で過ごした時間、そして参加する度に何らかの啓蒙を得て、心がとても穏やかになれたことを懐かしく思いました。

   私が弱く、熱意を欠いていた時、神の愛が導いてくださりました

   その後、私は教会に足を運ぶ度に酷い頭痛がするようになりました。心の中で、これは神が私にその教会を出て、すぐに神に立ち返るよう注意されているのだと分かりました。しかし、私は夫、牧師、そして説教師が絶えず私に嫌な思いをさせてくることを考えると、その決断をする自信が持てませんでした。私はただ、あともう少し待つだけだと言って自分を慰めました。

   その当時、全能神教会のある姉妹が、どうして戻ってこないのかと電話で数回聞いてきました。私は多忙過ぎると言い訳をしたり、集会場からとても離れた所に引っ越しをしたと言って姉妹に嘘までついてしまいました。少しずつ、私の心は神からどんどん離れていき、私は世間のトレンドに引き込まれ始めましたのです。私は食べて、呑んで、快楽と楽しみを求めて生きるようになり、言い表せないほどの挫折感と虚無感をしばしば感じるようになりました。私は全く幸せではありませんでした。私の夫は酒とたばこを止める約束を破って状況をさらに悪化させました。私は騙された気分になり、頭の中で全能神教会に戻る一縷の願いが芽生えました。しかし、依然として夫に離婚されてしまうことを心配した私はじっくり考えた後、教会には戻らず、自宅で夫にばれないようにしながら全能神の御言葉を読むことにしました。

   ある日、私の友人の1人の親戚から電話があり、私の友人が誰かと金銭的なことで言い合いとなり、その相手に殺害されたという連絡を受けました。その友人とは僅か数日前に会っていたばかりということもあり、私はこの知らせにショックを受けました。彼女の死はまさに突然のことで、当時私はこの事件の事を考える度に恐怖感に駆られました。この世界は間違った相手を少しでも怒らせると誰かが死ぬはめになるようなとても暗い場所のように思えました。後に、私は全能神のこの御言葉を目にしました。「地上には、あらゆる悪霊が果てしなく休みどころを求めてさまよい、いつも食べるための人間の死体を探している。わが民よ。あなたがたは、わたしの保護と世話の中にとどまりなさい。けっして自堕落なことをしてはいけない。けっして無謀なことをしてはいけない。そうではなく、わたしの家で忠誠をささげなさい。そして、忠誠によってのみ、あなたがたは悪魔の狡猾さに対抗できるのだ。……」神の御加護と御気遣いがなければ、私はいつ、どこにいても、サタンに飲み込まれてしまうということを神の御言葉は思い出させてくださりました。神のみが本当に頼りになる御方なのです!私は、肉の快楽のためだけに生き、心が神からどんどん離れていった時のこと、そして神は私を救うことを諦めず、あの姉妹に幾度となく私に電話をさせ、私の友人の死を使って私の目を覚まし、神の御側に立ち返らせてくださった時のことをふり返りました。この全てを考えた時、私は神が自分を救うために注いでくださった惜しみない努力を感じ、良心の呵責と罪悪感を感じました。従って、私は全能神教会に戻って、夫の制約から脱出する決意をしました。

真理を理解した後、私は信仰を立て直しました

   私が教会に戻ると、兄弟姉妹たちは私を温かく迎え入れて、離れていた間はどうしていたのかと聞いてきました。私はこれにとても感動しその当時私に起こっていたこと全てを率直に話しました。そして彼らは神の御言葉のこの節を読んでくれました。

   「神は働き、人を慈しみ、見守りますが、サタンは神をどの段階でもつけ回します。神が大事にする人が誰であれ、サタンも見ていてつけ回します。神がその人を求めると、サタンは持てる限りの力でどんなことでもして神を阻もうとし、隠された目的を達成するため、様々な邪悪な方法で神の業を試し、邪魔し、挫折させようとします。サタンの目的は何ですか。サタンは神に人間を誰も得て欲しくないのです。サタンは神が求めるすべての人を求め、占有して支配し、掌握してサタンを崇拝させ、サタンと共に邪悪なことを行わせたいのです。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないですか。」


   そしてある姉妹がこう話しました。「神は私たちをサタンの支配から救ってくれますが、サタンはまだ裏から全力で私たちを妨害し、邪魔しようとしてきます。表面的にはあなたの夫や牧師、または他の誰かがあなたが全能神を信仰するのを邪魔しているように見えるかもしれませんが、見えない所では霊的戦いが繰り広げられているのです。サタンは私たちが神の働きを受け入れたばかりで、真理をたくさん理解していなければ、神に関する真の認識も、神への真の信仰も持てていないことを知っているので、回りにいる人々を使って私たちを妨害してきます。サタンは私たちを踏みつけて、私たちに神の救いを受ける機会を全て失わせるために、私たちが神から遠く離れてサタンの支配下に戻ることを欲します。これこそが、サタンの邪悪な意図であり、狡猾な策略なのです。私たちはこれを見抜かなければ、いとも簡単にサタンの罠に陥ってしまうのです。」

   姉妹は神の御言葉の他の節も読んでくれました。「人間が試練を受けている時に弱くなったり、自分に否定的になったり、神の意志や自分の実践の道に明瞭性を欠くのは、普通のことである。しかしいずれにせよ、あなたは、ヨブのように、神の業を信じ、神を否定しないようにする必要がある。ヨブは弱く、自分が生まれた日を呪ったにもかかわらず、人生においては万事がヤーウェにより与えられること、そしてその全てを奪うのもまたヤーウェであることを否定しなかった。いかにして試されようとも、ヨブはこの信念を堅持した。あなたが自らの経験の中で、神の言葉からどのような精錬を受けるかを問わず、神は人間の信仰を要求する。このように、完全にされるのは、人々の信仰と志である。……ヨブがこのような状態に達した時、神がヨブの前に現れ、ヨブに対して語った。つまり、あなたの信仰の中からのみ、神を見ることが可能となり、あなたに信仰が有る時、神はあなたを完全にするのである。信仰が無ければ、神はそれを行うことが出来ない。」

   姉妹は続けて交流しました。「私たちが直面する誘惑は全て神がお認めになられているもので、神はそれで私たちを試しておられます。神はこのような状況を使って私たちの信仰を完全にしてくださります。ヨブがサタンから試練を受けた時と同じです。彼は非常に苦しい体験をしましたが、神への信仰と忠誠心があったおかげで神の証言をし、サタンを辱めることができました。そして、最終的に、彼は神からより大きな祝福を得たのです。神は私たちがヨブのようになり、サタンの前で頑固たる姿勢で神の証言することを願っておられます。私たちはサタンの試練を乗り越える時、神の御知恵と全能さを知り、神に対しより厚い信仰を持つのです。」

   全能神の御言葉と姉妹の交流を聞いた後、私は神が人々を救うためにどれだけ懸命な働きをされるかがはっきりと分かった気がしました。私は、依然として自分の霊的背丈には欠陥があり、神への真の信仰はほんの僅かも持てていなかったことも知りました。私は神の全能さと主権を認識しておらず、サタンが私たちを試すことを神がお許しになるということの意味は確実に理解できていませんでした。こうして、私はサタンがどのようにして回りの人々、出来事、そして物を使って嫌がらせをしてこようとも、断固たる姿勢で神への忠誠と信仰を貫き、神の証言をすると、その場ですぐに堅く誓いを立てました。

   私は神の証言をして、神の御業を目の当たりにしました

   私の夫は私がまた全能神教会に通い始めたことを知った時、又してもこう言って脅かしてきました。「もう一回聞くぞ。この家族と全能神への信仰、どっちが大切なんだ?全能神を信仰し続けるのなら、俺たちは離婚だぞ!」夫の脅しを聞いて私の決意は又しても弱くなり、私は慌てて神に祈りました:「ああ、神様!私はあなたに従いたいです。夫に妥協したくありません。どうかこの困難を乗り切れるよう私をお導きください。」その後、私は神の御言葉のこの節を読みました。「信仰とは一本の丸太橋のようものである。卑屈になって命にしがみつく者がそれを渡るのは困難だが、自らを進んで犠牲にする者には不安なく渡ることができる。臆病と恐怖を抱いている者はサタンに騙されているのだ。サタンは私たちが信仰の橋を渡って神の中に入ることを恐れている。」そうです!サタンは又しても私の夫の脅しを利用して、私の神への信仰を攻撃してきたのです。しかし、私はその時すでに、自分は神の創造物の1つであり、神を崇拝するべき人であることを知っていたので、以前のように信仰を欠いていた自分に逆戻りするつもりはありませんでした。私は何かを言われたからといって神に背く選択などすべきではないのです。そして、もちろん全てが神の御手の中にあるため、私の夫が私と離婚するかどうかもまた神がお決めになることなのです。とにかく、夫に離婚されたとしても、私は神を信仰し続け、最後まで神について行くつもりにしていました。

   そして、私は真剣な口調でこう言いました。「私たちが以前よく喧嘩していた時、私はいつもそれがあなたのせいだと思って、本当に離婚しようと思っていました。でも、終わりの日の全能神の働きを受け入れて以来、神の御言葉は私が自分自身の欠陥にたくさん気付けるようになったのです。私は神の御言葉を受け入れて実践しようと一生懸命に努力しています、そのおかげで私はあなたとたくさん喧嘩したり、子供に腹を立てたりしなくなったんです。私は、神の御言葉は全て私を変えることができる真理であると分かったんです、だから神に背くことはできません。離婚するなんて本気で言っているなら、離婚しましょう!」

   私の夫はしどろもどろに言いました。「これは……そうだな、お前は本当に変わったな。それはよく分かる。本当のことを言うと、離婚なんかしたくないんだ。お前を怖がらせようとしてただけなんだよ。でもお前がそう言うなら、もう何も言わない。とにかく、お前の信仰についてはもう邪魔しないから。」夫がこう言ったのを聞いた私は安堵の長い溜息をつきました。神に感謝します!神の御言葉がサタンの試練に対して勝利を得られるよう私をお導きくださったのです。

   その後、私の夫は私の全能神への信仰を邪魔するのを止め、私が教会の集会から帰ってくると、たまに食事を用意しておいてくれるようにもなりました。牧師と説教師も私の嫌がらせをしに我が家にやってくることはなくなりました。私は定期的に集会に行き始め、兄弟姉妹たちと一緒に自分の本分を尽くしました。そして、真理をもっと理解していくにつれて、私は心の中で解放感と自由を感じるようになりました。神に感謝します。全ての栄光、神にあれ!


神に頼って家族が阻む日々を乗り越えてきた(II)

2019-08-08 21:21:01 | 霊的戦い

   そして、姉妹は神の御言葉から次の二節を私に読んでくれました。「ノアの箱舟の時代を振り返って見よう。人類はひどく堕落し、神の祝福から迷い出てしまっていた。もはや神の配慮は得られず、神の約束を失ってしまっていた。闇の中を、神の光のないまま生きていた。そうして彼らの性質は放縦となり、おぞましい堕落に身を任せた。……ノアだけが神を礼拝し、悪を避けたので、神の声を聞くことができ、神の指示を聞くことができた。ノアは神の言葉の指示に従って箱舟を建て、あらゆる種類の生物を集めた。こうして一旦全ての準備が整うと、神は世界に破滅をもたらした。ノアとその家族7人だけが破滅を逃れて生き残ったが、それはノアがヤーウェを礼拝し、悪を避けたからであった。」「それでは現代に目を向けてみよう。ノアのように神を礼拝し、悪を避けることのできる正しい人はいなくなってしまった。それでもなお、神はこうした人類に対して恵み深く、この終末の時代においても人類の罪を赦す。神は神の現われを切望する人々を探し求める。神は神の言葉を聞くことができる人々、神の任務を忘れず、心と体を神に捧げる人々を探し求める。神は神の前で赤子のように従順で、神を反抗しない人々を探し求める。あなたが何ものにも妨げられずに神に献身するならば、神はあなたを好意の眼差しで見、祝福を授けるだろう。」



   姉妹はこう言いました。「おばさん、誰もが知っての通り、ノアの生きた時代は人間の悪と堕落で満ちていたため、神は洪水を使って人類を滅ぼすることにされました。しかし、人類を滅ぼす前に、神はノアに箱舟を造り、同時に人々に福音を宣べ伝えるよう命じられました。しかし、当時の人々はノアの言葉を信じず、神が洪水で世界を滅ぼされるなどなおさら信じませんでした。彼らは皆、ノアのことを気違いで愚かな者だと思いました。結果として、洪水が本当に起きた時、ノアの8人家族だけが箱舟の中に入って助かり、それ以外の者たちは全員が洪水によって滅びたのです。ノアのストーリーは現代の人々にどういった警告を促しているのでしょう?現在の人々の悪と堕落の度合いはノアが生きた時代よりも遥かに酷い状態にあります。しかし、異なる点として、終わりの日である今、神は深刻に堕落した人類を救い、人々に神の御声を聞かせ、人々が神の救いを得られるようにするために自ら受肉され、真理を表してくださっています。しかし、中国共産党による非難宣伝のせいで、多くの人々が真の道を求め、それを調べることを拒み、結果的に神の救いを受ける機会を逃してしまっています。おばさん、人間はあまりにも愚か過ぎると思いませんか?終わりの日の神の働きは、サタンの妨害とかく乱を通してありとあらゆる種の人々を暴露されました。心から神を信じ、真理を愛する人々は、全能神がすべてを支配して司る御方であると確信しています。それ故に、彼らはどのような誘惑やかく乱にさらされても、神への信仰を保ち、神から離れずにいることができます。そのような人々のみ、神が人間にお与えになる永遠の救いを授かることができるのです。にもかかわらず、真理を愛していない人々は、神への真の信仰を持っていない、もしくは臆する心を持っているが故にサタンに誘惑される中で神から離れ、神に背き、終わりの日の神の救いを失っています。最終的に、彼らはサタンの運命同様、神によって滅ぼされてしまうのです。」

   神の御言葉と姉妹の交流を聞いた後、私はこの理解に至りました。「今日私がこの状況に直面した時、表面的には自分の家族が私の神への信仰を反対しているように見えました。しかし、見えない所ではサタンが神と賭けをしていたのです。サタンは私が消極的で弱気な心の中を生き、神に背き、神から離れるようにするために、私の家族からの妨害を利用しようとしたのです。しかし、神はこの状況を使って私の神への信仰を完全にしてくださり、私が神を頼り、神の御言葉通りに実践し、サタンの使う様々な罠を見抜き、ついには神の証しをできるようにしてくださります。これにより、私は神の働きの御知恵と神の義なる性質を知ったのです。神に感謝します。神の御心を理解した後、私は内にこみ上げてくる力を感じた気がして、心の中で神に祈りを捧げました。「神様、あなたのお導きに感謝します。あなたは姉妹の交流を介して私があなたの御心を理解できるようにしてくださりました。神様、私は60歳を超えているのに、まだあなたにお選びいただき、あなたの御前に来れるなんて、本当に光栄です。これはあなたの御恵みで、あなたは私を高めて下さっています。あなたは、私のあなたへの信仰を完全にするために、この状況を使うことを望んでおられるのですね。神様、私はあなたを失望させたくありません。私はサタンを辱めるために、信仰によってあなたを頼りにし、あなたの証しを立てたいと思います。」

   私は神の証しを立てる決意をしました。しかし、サタンはまだ私のことを手放さず、私の家族を介して妨害を続けてきました。ある時、私の下の息子がたくさんの中傷的な宣伝情報を私に渡してきてこう言いました。「まずこの情報を読んでみてよ。長い間神を信仰したら家族のことがどうでもよくなって、家を出てしまうようになるって書いてあるよ。」私はそれを読まずに言い返しました。「兄弟姉妹たちがどういう状況で家を後にするか、あなたは知ってるの?何の問題もないのに、誰が家を出たがるっていうの?兄弟姉妹たちが家に帰ってこれないのは、中国共産党の迫害を受けているからじゃないかしら?」彼はさらに言いたい事があったようですが、私はもう話したくありませんでした。私は彼に言いました。「いい加減にしなさい、もう何も言わないで。私は疲れてるから、休みたいの。自分の部屋に戻りなさい。」私がドアを閉じても、息子はまだ諦めませんでした。彼は中傷的な宣伝情報を一枚ずつドアの下から通して中に入れてきたのです。噂がたくさん書かれた用紙を見ていると、私は「神への信仰」という映画を思い出しました。中国本土では、中国共産党があちこちで兄弟姉妹たちを探し回っています。結果として、彼らは地元から逃げ出すことを余儀なくされ、あちこちに散在しています。彼らが安心できる場所はありません。中国共産党による迫害のせいで、無数のクリスチャンたちが逮捕され、刑務所に入れられ、中には迫害されて命を落とした人たちまでいるのです。中国共産党はその独裁体制を守り、永久的な権力を持つという野心を実現するために、真理を表して人間を救うために受肉された全能神を激しく嫌い、気が狂ったように全能神教会を迫害し、抑圧しているのです。それはまた、真理を知らない人々を騙すために様々な虚偽を捏造するので、無数のクリスチャンたちが信仰心のない親族たちの迫害を受けることになり、最終的には家族が崩壊するという結果に至っています。にもかかわらず、中国共産党は家庭が崩壊するのは神への信仰が原因だと恥じも知らずに主張しながらこの事実を曲げるのです。彼らはこれを利用して無理やり私たちに信仰を捨てさせようとしてきます。サタンは本当に欺瞞的で、悪意に満ち、卑劣なのです。こう考えると、私は心の中でかなり確信を持てるようになり、サタンの策略に関する識別力を少し得ることができました。私は家族からどのような妨害を受けても全能神について行くと、心の中で決意をしました。

   ある夜、私の夫と息子が私の部屋に来て、神を信仰するなとまた言ってきました。私は彼らを無視しました。これを見た夫はすかさず激しい口調で怒鳴りつけてきたのです。「神の信仰を続けるなら、お前とはもう離婚だ!」この瞬間、私は神のこの御言葉を思い出しました。「宇宙で起こるすべてのことの中で、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にない存在などあるだろうか。」神の御言葉は少しずつ私の不安な心を落ち着かせてくれました。そして、私は心の中で静かに神に祈りました。「神様、私の結婚生活はあなたの御手の中にあります。私と夫が離婚するかどうかは、人間ではなく、あなたがお決めになることです。私はこのすべてをあなたに委ねます。」こう祈りを捧げた後、私は落ち着いてこう言いました。「私たちが離婚するかどうかは神次第です。離婚することになっても、私は神への信仰を続けます。」私が怯えていないことを悟った夫は、獰猛な表情をむき出しにてドアの方を指さしながらこう言いました。「神への信仰を捨てないなら、お前をこの家から追い出してやる。」夫がこう言ったのを聞いて、私は思わず少し不安になりました。「本当に追い出されたら、これからどこで住めばいいの」、と思いました。その時、私は又してもサタンの策略にかかっていることに気が付きました。これ故に、私は慌てて心の中で神に助けを請いました。「神様、私が今日家から追い出されてしまうかどうかはあなたの御手にあります。何が起こっても、私はあなたを信じ、あなたに従い、サタンには絶対に譲歩いたしません。」こう祈りを捧げた後、私は突然、この家の所有権を夫と共有していることを思い出しました。なので、彼は随意に私を追い出すことができる権利など法的には持っていないのです。そして直ぐに私は言い返しました。「私だってこの家の所有権を持っているのよ。この家庭の中で、私は家事をすべてこなし、自分の仕事をしてきたわ。時間がある時に神を信仰するのは私の自由よ。それに、香港では誰にだって信仰の自由は認められているわ。どうして私の邪魔をするのよ?以前、私は家にいてすることが無い時はとても虚しい気分がして、麻雀をしたり、近所の人たちと噂話して意味の無いことばかりしていたわ。でも私は今、全能神の御言葉を読んで、真理を理解して、人生の正しい道を発見して、心の豊かさを感じているの。なのに、あなたたちはいつも私の邪魔をしてくるわ。私の決断を尊重して、私の神への信仰を邪魔するのはもう止めてください。」私が神への信仰に固執するのを見た夫は言葉を失い、向きを変えて外に出掛けようとしていました。彼は行く前に、「神を信仰することは諦めてもらうからな」、と言いました。そして、彼は腹を立てながら出て行きました。私は思いました。「あなたにどんな風に邪魔されても、私は確固たる姿勢で神について行くわ。」外面的には、夫が怒りをあらわにして出て行っただけのように見えましたが、霊的世界ではサタンが恥じをかいていたことを私は知っていました。神に感謝します。私が神の側でしっかりと立っていられるように、神は私に信仰と知恵をお与えくださったのです。私は心から神に賛美と感謝を捧げました。

   ある日、夫は憤慨した態度を一変して、落ち着いた口調でこう言ってきました。「お前はまだ神を信仰するつもりなのか?もう止めてくれないか?お前には麻雀したり、賭け事をしてもらっていた方がいいんだ。神への信仰を捨ててくれさえすれば、今すぐに1億円あげるよ。休暇を取って、お前と一緒に世界中を旅行してもいいし、俺のお金を全部あげてもいい。」彼の言葉を聞いて、私は以前集会で読んだ神のこの御言葉を思い出しました。「被造物として、あなたはもちろん神を崇拝し、意味のある生活を追求するべきである。あなたが神を崇拝せず、汚れた肉体で暮らすならば、あなたは人間の衣装を身に着けたただの獣ではないだろうか。」私はこう思いました。「そうだわ、私は創造物として神を礼拝するべきなのよ。以前、神を知らなかった時、私は肉のために生きていたわ。物質的には必要な物を全て持っていたけれど、心は虚しく、意味の無い生活を送っていたわ。でも今日、神は私を神の前にお導きくださって、私が神の御声を聞き、全能神の表す真理を読み、そして自分の人生における方向性を見つけることができるようにして下さったのよ。これはお金で購入できるものじゃないわ。それに、お金ではいのちはおろか、真理を購入することも絶対にできない。お金と肉の快楽のために神への信仰と神に従うことを諦めてしまったら、私はあり得ないほどの愚か者になってしまうわ。主イエス様もこう言っておられるわ。「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」(マタイによる福音書16:26)このように考えて、私は自分の選択を貫くことを心の中でさらに強く決意しました。私は夫にきっぱりとこう言いました。「もう私のことを説得しないでください。私は神を固く信じていますから。お金は自分のためにとっておいてください。私には必要ありません。」私がこう言ったのを聞いた夫はもう何も言いませんでした。

   神に感謝します。私は神に従う決意を心から固めた時、神の素晴らしい御業を目の当たりにしました。私が集会に行くのを家族が邪魔しなくなっただけでなく、ゆくゆくは家庭も落ち着きを取り戻したのです。今、私は規則正しく教会生活を送り、創造物としての本分を尽くしています。私がサタンの攻撃を打ち破り、神への証しを立てることができたのは、完全に神の御言葉による御導きがあったおかげです。全ての栄光、神にあれ!終わり。


神に頼って家族が阻む日々を乗り越えてきた(I)

2019-08-07 22:32:26 | 霊的戦い

   著者は60代にして運よく神の御国の福音を受け入れることができました。意外なことに、彼女は信仰心のない家族からありとあらゆる形で邪魔をされてしまったのです。彼女は否定的な状況の中でどうやってサタンの妨害を突破して、神に頼りながらサタンに打ち勝ったという証しをしたのでしょうか?

マンマン(香港)

   私は60歳、以前は円満な家庭を持っていました。私の息子たちは私に対して素直で親孝行で、私の夫は熱心で責任感が強く、私は家族のまとめ役でした。それは全く申し分のない人生のように思えました。しかし、私はなぜ頻繁に虚しさを感じるのか、そして人間は何のために生きているのかが分かりませんでした。

   2017年3月、同じ村に住む村人が全能神の御国の福音を私に宣教してくれました。それ以降、私は神の御言葉を毎日読み、兄弟姉妹と頻繁に真理について交わり、神を礼拝しました。私の心は幸福感で満たされていました。三ヶ月の集会の中で、私は神の御言葉をたくさん読み、神は全人類の運命を支配されておられること、そして人々が虚しさの中を生きるのは彼らの心の中に神が宿る場所がないことが理由であるということを学びました。それと同時に、私は人生の意義と価値も発見し、人間は創造物として神を信じ、神を礼拝するべきであるということも理解しました。私は神に、私をお選びくださったこと、私が人生の真の道を見つけられるようにしてくださったこと、そしてそれまで生きた虚しい生活に別れを告げる手助けをしてくださったことを感謝しました。



   まるでかけがえのない宝物を見つけたかのように、私は自分の家族にも神の前に行って神の救いを受け入れて欲しいと思いました。なので、私は兄弟姉妹たちと一緒に私の長男に福音を説きました。その日、兄弟姉妹たちが彼に神の人類に対する愛と教えについて話すと、彼は深い関心をもって聞き入っていました。彼はまた自分が学んだことを私たちに話し、神の働きを調べ続ける意欲を見せてくれました。私は神の働きを調べることに意欲的な息子を見て、心の中で非常に嬉しくなりました。

   意外なことに、その翌日、息子は全能神教会に対する非難宣伝をインターネットから印刷してきて、激しい口調で私にこう言ったのです。「お母さんの行ってる教会に対してこんな非難宣伝が出てるじゃないか。よく見てみなよ!」息子はこう言った後、自分の部屋に行ってしまいました。息子の態度が急変したのを見て、私は彼がインターネット上の噂を信じてしまっていることを悟りました。しかし、私はこの否定的な情報は無神論を信じる中国共産党が全能神教会を中傷し、非難するもので、その全ては嘘であると心の中ではっきりと分かっていました。さらに、数か月間に渡って集会に参加し、兄弟姉妹たちと全能神の表す真理について交流をしていた私はかなり前から全能神は全てを支配して、私たちに全てを備えてくださる唯一の真の神であると確信していました。私は家族に何を言われても、しっかり神に従って行こうと思いました。

   ある日、私の長男は、私が集会に参加するのを邪魔するために、以前私に福音を説いてくれたあの姉妹に電話をし、彼女に向って暴言を吐いたのです。私はいつも分別のある息子がこのように急変した様子を見て途方に暮れてしまいました。それに、あの姉妹は恥ずかしい思いをしたに違いありません。私は強い罪悪感に駆られ、心の中で少し弱気になってしまいました。私は神に祈りました。「神様!私は心の弱さを感じます。あの素直だった長男が、どうしてあんな風に急変してしまったのか分かりません。息子はまるで一晩で別人になってしまったかのようです。神様!私はどうしてよいのか分かりません。どうか、私をお導きください。」こう祈りを捧げた後、私は神のこの御言葉を思い出しました。「あなたの周りの環境にあるすべてのものは、わたしの許しによってそこにあり、わたしがそのすべてを定めることを、あなたは知るべきである。わたしがあなたに与えた環境の中で、明確に見極め、わたしの心を満足させなさい。恐れてはならない。万軍の全能神が必ずあなたと共にいるのだ。神はあなたのしんがりとなり、神はあなたの盾である。」「ためらったり、落胆したり、弱気になったりしてはならない。霊において直接もっとわたしと交わり、辛抱強く待ちなさい。そうすれば、わたしはわたしの時に応じて必ず啓示を与えよう。……あなたの状況やあなたが直面する出来事に関わらず、このようにあなたが常にわたしに近づくなら、あなたが誰に、あるいは何に遭遇しようと、あなたは混乱することがなく、進むべき道が開けるだろう。」 神の御言葉は私に信仰と力を与えてくださりました。私は神の御心を分かってはいなかったものの、自分が置かれているこの環境は神がお許しになったものであることは分かりました。さらに、神はいつも私と共にいてくださり、神は私のしんがり、私の拠り所なのです。神を頼りにして前進している限り、神は間違いなく私を導いてくださると、私は信じています。

   その後、私は家族が仕事に行っている間に、姉妹数人と一緒に集会に行きました。彼女たちと顔を合わせると、私は心に温もりを感じ、最近直面した状況について話しました。彼女たちはそれを聞くと、神の御言葉の中から次の二節を私に読んでくれました。「神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなた方に対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある——その背後にはすべて戦いがある。……神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたは神に満足してもらうためにどうすべきか、どのように固く証しに立つべきだろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである。」「あなたがたは常に目を覚まし、待っていなければならない。わたしの前にて、さらに祈らなければならない。いくつも存在するサタンの企てやずる賢い策略を見極め、霊を知り、人々を知り、どのような人や物事をも見分けることができなくてはならない。……教会がその建設段階に入ると、サタンに対する聖徒の戦いが起こる。サタンのさまざまな忌まわしさがあなたがたの前に明らかになる。あなたは進むのを止めて後ずさりするのか、それとも、わたしにより頼んで立ち上がり、歩き続けるのか。サタンの堕落した醜い素性を全て露わにしなさい。情に流されたり、憐れみをかけたりすることが一切あってはならない。死ぬまでサタンと戦いなさい!わたしがあなたの後ろ盾であるから、男子の精神を持たなければならない。」

   姉妹はこう言って交流しました。「おばさん、今日、私たちはこのような状況に直面しているのです。表面的には、あなたの息子さんは非難宣伝の影響を受けて、あなたが神を信仰することを他の家族の方と一緒に反対しているように見えます。しかし、この裏では、霊的戦いが繰り広げられていて、それはサタンの策略なのです。誰もが知っての通り、神の働きは人間を救うことですが、サタンは人間を堕落させようとします。サタンは私たちを神から離し、私たちに苦しみながら生活させるために様々な手段で私たちを誘惑し、私たちを傷つけて滅ぼすという目的を果たそうとするのです。神が人類を経営し始めて以来、サタンはいつも神の後をついて回り、神が救うことを意図される人々を全力で奪い取ろうとしてきました。なので、サタンは私たちが神を頼りにするのを見ると、負けまいと抵抗してきます。サタンは私たちの家族を通じて私たちの邪魔をし、心を乱し、攻撃しようとしてきます。サタンは私たちの家族を利用して私たちを妨害し、私たちに神を信仰することを強引に諦めさせ、その結果私たちがまたサタンの支配下に戻り、今まで通りそれに傷つけられ、踏みにじられ、神の救いを失ってしまうようにすることを目的としています。これがサタンの悪逆非道な動機です。しかし、神の御知恵はサタンの策略に応じて行使されます。神はこういった状況が私たちに起こることを許しておられ、それには神の善良な目的が込められているのです。神は私たちの信仰を完全にするために、サタンの誘惑を使って神を頼り敬う方法を私たちに教えてくださるのです。これは、ヨブがサタンに誘惑されて所有物すべてを失い、体中に腫物を被った時に、彼の妻が出て来てヨブを攻撃するサタンの役を担い、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」(ヨブ記2:9)と彼に言った時の状況に反映されています。意外にも、ヨブは彼女にこう言ったのです、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」(ヨブ記2:10)。ヨブのこの言葉は、彼の神への信仰、および神を畏れる心は真なものであり、その状況の試練に耐えていたことを示しています。ヨブは、その心の中で、どのような状況、試練、苦しみに直面しても、決して神を裏切らなかったのです。ヨブはこのようにして実際に貫き通したことで、最終的にはサタンを辱め、世界中の人々ならびにサタンの前でも神に対する素晴らしい、顕著な証しをすることができたのです。元々、サタンは誘惑を使ってヨブの心を打ち砕き、神を信仰するのを止めさせようとしていました。しかし、ヨブはサタンの策略に引っかかり、神から離れることはありませんでした。それどころか、この機会を通じ、ヨブの神への信仰ならびに神を恐れる心は強さを増し、彼は神から認められる人となったのです。同様に、神は今、このような状況を通じて私たちを完全にすることを望んでおられます。だからこそ、私たちはこの霊的戦いに直面する時は、サタンの策略を見抜く必要があるのです。サタンから攻撃を受ければ受けるほど、私たちはサタンを辱めて神の御心を満たすために、神への信仰をより強く維持して、神の証しをもっと立てるべきなのです。」


人生の虚しさを解放する道はここにある

2019-08-06 18:10:12 | 人生の奧義

   【編集者メモ】人生の虚しさを埋めるため、彼はよく友だちと飲み食いや遊びに出かけます。しかし彼の霊はいまだに満足していないだけでなく、そのような人生は虚しさに苦痛をも加えます。神様を信じるようになったあと、彼は自分の虚しさの根源を理解するとともに、それを解決する道を見つけます。

寄稿家:思明(韓国)

   朝早く、私は窓際の小さな机の前に座って『カナンの良き地の幸せ』というダンスと音楽のビデオを静かに見ていました。私の心はメロディーに合わせて舞い上がり、思わず笑みを浮かべました。神様の御前に出ることの平和と確かさを心から感じていたのです。

罪に陥り虚しさと苦痛の中で生きる

   私はより多くの収入を得ようと数年前に韓国へ来ました。しばらくのあいだ必死に働いたあと、徐々により豊かな生活を送るようになりましたが、心の中で虚しさや無聊を感じることがよくありました。友人からしばしば食事や飲み会に誘われ、歌って踊るためにカラオケバーなどの場所へ誘われることもありましたし、帰宅が深夜になることも珍しくはありませんでした。当時、私たちのあいだではこんな言葉がはやっていました。「喜びの日をつかめ。人生は短いからである。」「今日は飲んで心配は明日にしよう」「若さの特権を生かして飲み食いし、浮かれ騒いで人生を楽しもう。歳をとれば何も楽しめなくなるのだから」私はこうした言葉に共感を覚え、自分たちはこのように生きるべきだと考えました。その後、友人たちが集まって出かけるたび、一緒に行かないかといつも私を誘ってきました。仕事が終われば何もすることはないしどうせ退屈なので、私は必ず一緒に出かけました。どこかへ食事に出かければ兄弟のように飲み食いし、話して笑い、とても幸せに感じました。飲み食いしたあとはカラオケバーや他の場所に行って歌ったり踊ったりします。宴とお祭り騒ぎが終わったあと、こんなに大勢の友人と一緒に話したり笑ったりして、これほど大いに楽しむのは本当に素晴らしいことだと感じました。ときどき友人たちが出かけたくないことがあっても、私は出かけたいと思いました。そうしたとき、仕事で感じていた退屈さ、人生に対するあらゆる失望、そして不満に思う一切のことが一瞬で消え去りました。私は徐々に、飲み食いして人生を楽しまないのは馬鹿げているとか、そのような人生だけが喜びをもたらし、自分をつまらない仕事から引き上げるのだとか考えるようになりました。仕事が終わると毎日のように際限なく酒を飲みましたが、その後時間が空いたとき、心は虚しさと孤独を感じたままでした。私はこう思わずにはいられませんでした。人はなぜ生きるのか。どうすれば霊の空白を埋められるのか。

   私は様々な思いを抱いていたものの、生活と仕事は続けなければなりません。雨が降ると同僚も私も仕事を中断せざるを得ないので、みんなは自由時間に雀荘へ行き、麻雀をして時間を潰していました。私も誘われたのですが、そのときこう考えました。「ちょっとだけやってみよう。どうせ自由時間なんだ。麻雀しながら時間を過ごして、退屈な日が続いても暇を潰せるようにしよう」こうして私は雀卓の前に一日中いるようになったのですが、いつも大きく負けるばかりで勝つことはあまりありませんでした。一日で二、三百万ウォン負けることもあったほどです。麻雀をしているあいだは本当に幸せで、心ゆくまで楽しんでいました。しかし家に帰れば以前と同じままで、負けたお金のことを思い出して恐怖を感じました。もう麻雀はやめるよう自分に言い聞かせても、次の日には例のごとく雀荘へ舞い戻ってしまいます。結局さらに負けてしまい、友人にお金を借りるまでになりました。私は自制できないことに対して自分に憎しみを覚えました。はじめは単に暇つぶしのため、楽しむためにすこしだけ麻雀をするつもりでしたが、虚しさにこれほどの苦痛が加わるなど想像もしていませんでした。その後仕事のプロジェクトが終了し、私は借りていたお金をなんとかすべて返済したため、別の現場へ向かうことになりました。

   そこに着いたあとも、私は引き続き友人たちと集まり、稼いだ金で飲み食いや遊びに出かけました。そのどれもがつかの間の幸福をもたらすものの、私の生活は虚しいままで、偽りの世界で暮らしているように感じられるほどでした。一緒に飲み食いしたり遊んだりして人生を楽しむなど、表面上はみんなが友人でした。しかし実際には、誰もが自分のことしか心配していなかったのです。特に自分の個人的な利益に関係することがあると、背後で互いに攻撃したり非難したりします。私は暇なときによくこう考えました。「俺はこのように人生を送るべきなのか。周りの無数の人間はみんな他人の足跡に従っている。それ以外に生きる道はないということなのだろうか」


人の人生における虚しさの根源は何か

   ある日の仕事中、私は恩浩に出会いました。私たちは互いを知り、あらゆることを話し合い、親友になりました。あるとき会話の中で、私は心の中で感じていた苦悶を残らず彼に打ち明けました。すると恩浩はこう言いました。「君をある場所へ連れて行こう。そうすれば君の問題はすべて解決する」そうして結局、彼と一緒に教会へ行くことになったのです。私は兄弟姉妹に自分の経験を話し、率先してこう尋ねました。「人の人生はなぜこんなに虚しいのでしょう。いったいどうすれば人生の虚しさと苦痛を自分から取り除けますか」

   すると一人の姉妹が私に言いました。「兄弟、あなたがなさった質問は多くの人を困惑させています。いま人々の生活水準はますますよくなりつつあり、私たちはより多くの物質的な喜びを享受していますが、それでも霊の中の虚しさは日を追うごとに大きくなる一方です。それがなぜかを理解する人はいませんが、神様の御言葉が人類の苦痛と虚しさの根源を明らかにしてくださいます。神様の御言葉の一節を読みましょう。『人の心の中に神の居場所が無い世界とは、暗く、何の希望も無く、空虚である。…何故なら、神の導きなしには、支配者たちや社会学者たちが人類の文明を維持するためにどんなに頭を悩ませても何の役にも立たないからである。誰も人の心の中の空洞を埋めることはできない。誰も人のいのちとなることはできず、どんな社会学的理論も、心をむしばむ虚しさから人を解放することはできないからである。科学、知識、自由、民主主義、余暇、快適な暮しは、つかの間の慰めに過ぎない。これ らのものがあっても、人は必然的に罪を犯し、社会の不公正を嘆く。これらのものは、人の探求への欲求や願望を抑えることはできない。人は神によって造られたからであり、人の無意味な犠牲や探索はさらなる苦悩につながるだけである。人は常に恐怖に怯えて存在し、人類の將來にどのように向き合うべきか、目の前にある進路にどのように対峙すべきか分からない。人は科学や知識に脅かされるほどになり、自分の中にある空虚感をそれらのもの以上に恐れるようになる。…人間は結局、人間に過ぎない。神の地位といのちに取って代われる人間はいない。人類は、誰もが食べる物に満ちたり、平等かつ自由である公平な社会だけではなく、神の救いと神によるいのちの満たしが必要なのである。神の救いといのちの満たしを受けて初めて、人間の欲求、探究心、そして霊的空虚感が解決されるのである。』

   神様の御言葉を読んでくれたあと、その姉妹は交わりを続けてこう言いました。「神様の御言葉は私たちの虚しさと苦痛の根源を完全に説明してくださいました。私たちはサタンによって堕落させられたあと、神様を避け始め、神様の御言葉のお導きと供給を失い、サタンの影響の下で生きました。人類がこのような虚しく苦痛に満ちた人生を送っているのはそれが理由なのです。私たちはみな人生においてお金や名声や富や肉体的な快楽のために争ったり走り回ったりしています。そしてこのような物事を追い求めれば追い求めるほど、私たちはより満足を覚えず貪欲になっていきます。それらの物事を手に入れると、物質的な生活水準は向上し、肉体は喜びを得ますが、それらを享受したあと心は再び虚しさを感じます。それらの物事を得られないとき、私たちはより大きな苦痛と無力感を覚えます。したがって、お金や地位を持たない人は虚しさを感じて人生に何の意欲も持ちませんが、それはまさにお金も地位もあって人生を大いに楽しんでいる人が感じることでもあるのです。彼らも虚しさを感じ、何の意欲も持っていません。霊の虚しさを埋めようとダンスクラブに行ったり、たばこを吸ったりお酒を飲んだり、旅行に出かけたりするなど様々な方法を試した人もいますし、中には麻薬を試した人さえいます。しかし私たちが何をしようと、どれも無駄なことです。お金や名声や富、あるいは肉体的な快楽が人類の虚しさを解決することはできず、私たちを幸せにも喜びに満ちた状態にもできないことを、それは示しています。私たち人類は神様によって作られたのであって、神様の御前に出て神様の救いを受け入れ、神様の御言葉によって生きることでのみ、私たちの心は安らぎと平和を感じ、この虚しさを自分から取り除くことができるのです」

   姉妹の話を聞いたあと、私は再び神様の御言葉について考え、それが私の心に直接語られたように感じました。当時、食べ物や着るものを買える余裕があるかについての心配はありませんでしたが、それでも人生に幸せを感じていませんでした。時間を潰して虚しさを取り除くため、よく友人と外出して飲み食いしたり遊んだりしていたものです。そうしたとき、私は肉体的に満足して表面上はとても幸せに見えました。しかし帰宅後、特に一人でいるときに信じられないほどの虚しさと無力感を覚え、自分には人生の目標がまったくなく、人生そのものが無意味だと思えるほどでした。気前よく散財したり、遊びにふけったり、際限なく飲酒したりする暮らしはつかの間の幸福をもたらしただけで、私が真の幸福を感じたことは一度もありませんでした。おそらく神様への信仰だけが、自分の霊的な虚しさを解決できる唯一の道だったのです。

自分から虚しさを取り除く希望を持つ

   それから姉妹は『神に救われていなければ』という賛美歌のビデオを再生しました。それを聴いた私は自分自身がその言葉を経験したかのように感じ、歌うあいだ自分の生活の一幕一幕が映画のように私の心に映し出されました。以前の生活では際限なく酒を飲んでばかりいて、人類がどこから来たのかも自分たちがどう生きるべきなのかも知らず、人生に何の目標も期待すべきこともなく、その代わりに「もがき罪に苦しんで虚しく、望みもなく」という賛美歌の歌詞どおり、何の目的もなく一日中ぼんやりしていただけでした。さらに、ビデオに登場する兄弟姉妹は神様を信じ始めたあと、自由で解放された人生を送っていることに気づきました。私はそのことに深く心を動かされ、神様は本当に私たちを虚しく苦痛に満ちた生活からお救いになれるのだと感じ、これからも神様の働きを勉強し続けたいと思いました。

   その後、神様の御言葉を読むことや、兄弟姉妹と集まって交わることを通じ、私は人類の堕落の源、サタンはいかに人間を堕落させるか、神様はどのように人間をお救いになるか、本当の人間らしさをどう生きるべきかといった真理の側面を理解するようになりました。全能神によって表現される御言葉はおそらくどんな人間にも語れなかったことを私は知り、また全能神の御言葉は私に人生で進むべき方向を示し、有意義な人生を生きるために何を追い求めるべきかを教えました。それらは私にとって大いに助けとなるものでした。私はその後教会に加わり、しばしば集会に参加して兄弟姉妹と神様の御言葉を分かち合いました。このように生きることで自分がとても豊かになったように感じ、私の霊はそれまで感じたことのない平和と喜びを体験しました。

誘惑に打ち勝てないことの根源

   ある日仕事が終わったあと、同僚がこれから出かけないかと私を誘いました。しばらく飲み食いに出かけておらず、生活が少し面白みに欠けるものになっていたことを思い出し、一緒に出かけて少しのあいだ気晴らしを求めるのもいいだろうと考えました。それで結局、私は彼らと一緒に出かけました。その夜帰宅したあと、私は心を静めて考えました。「俺はいま神様を信じているけれど、不信心者のようにこんな贅沢な生活を送ることは神様を喜ばせるだろうか。クリスチャンはこんな風に振る舞うべきじゃない」そこで私は神様の御前に出て祈りました。「神様よ。私はもう堕落に陥りたくありませんが、自分から誘惑を取り除くことができません。これらの肉体的な欲望と誘惑に打ち勝つ手助けをしてください」その後、私は神様の御言葉を読みました。「ひどく汚れた地に生まれ合わせて、人は社会に駄目にされ、封建的倫理の影響を受け、「高等教育機関」で教えを受けてきた。時代遅れの考え方、墮落した倫理観、さもしい人生観、卑劣な哲學、全く価値のない存在、下劣な生活様式と習慣、これらはすべて人の心をひどく侵害し、その良心をひどくむしばみ、攻撃してきた。その結果、人はますます神から離れ、ますます反対するようになった。人の性質は日ごとに悪質になり、神のために進んで何かを投げ出そうという者は一人としておらず、進んで神に従う者は一人としておらず、さらには神の出現を進んで探し求める者も一人としていない。それどころか、サタンの支配下で快楽を追求しているだけで、泥の地で肉体の墮落にふけっている。真理を耳にしたときでさえ、暗闇に生きる人々はそれを実行に移そうとは考えず、たとえ神の出現を見たとしても、神を探し求める気持ちにはならない。こんなにも墮落した人類にどうして救いの可能性があり得ようか。どうしてこんなにも退廃した人類が光の中に生きることができようか。」

   神様の御言葉から、神様を信じることができながら同僚の誘いに耐えられないのはなぜか、彼らとこうした贅沢な生活を送ることで自分の心がいまだに喜ぶのはなぜかを理解するようになりました。それは社会の悪しき風潮によって生じた影響のせいだったのです。「喜びの日をつかめ。人生は短いからである。」や「酒に対いては当に歌うべし、人生幾何ぞ」などの誤った人生訓をはじめ、社会で流行しているありとあらゆる言葉が私の心に根を下ろしていました。人は人生の中で肉体的な快楽を追い求め、飲み食いしたり浮かれ騒いだりすることに集中すべきだと信じ、そうした生活だけが人に幸福をもたらし、この退屈な世界から引き上げることができる、そうすれば一生を無駄に過ごすことはないと考えていたのです。そうしたことがなければ人生がまったく無意味に感じられるので、しばらく飲み食いや遊びに出かけなかったりすると、私の心はそれを切望し始めるのでした。私は真理を持たず、何が正しく何が間違いかも知らなかったので、これらの悪しき風潮に捕らわれてしまい、罪深い快楽を楽しんだり、際限のない飲酒や堕落や放蕩から成る生活を送ったりしてしまったのです。肉体はつかの間の享楽を得るものの、霊は虚しく苦痛に満ちたままで、人生で追い求めるべき正しい目標を持たず、人生の意味にも気づいていませんでした。神様の御言葉の啓示を通じて、そのような人生訓はサタンに属していること、それらの考えや見方によって生きるのは方向を見失わせることしかできないことを、私はようやく理解しました。そのように生きていれば、罪の快楽の追求を正しいことと見なし、肉体的な快楽をやみくもに追い求め、ますます堕落し、真理を追い求めたり人生の正しい道を歩んだりする心を持たず、最終的にはサタンによって傷つけられ、食い物にされるでしょう。その事実の真相を見るようにしてくださったことに対し、神様に感謝いたします。

人生の方向を見つける

   私は神様の御言葉を読みました。「人々が追求する人生の様々な目標や生活様式を繰り返し調査し、注意深く分析すると、創造主が人類を創った時の創造主の本来の意図と一致するものがひとつも無いことが分かります。それらは全て人間を創造主による統治と慈しみから引き離し、人間を墮落させて地獄へと導く罠です。このことを確認した後の作業は、以前の人生観を捨て、様々な罠から離れ、自分の人生を神に託して神による採配に委ね、神の指揮と導きのみに従うよう心がけ、それ以外の選択肢をもたない神を崇拝する者となることです。」神様の御言葉は人生で進むべき方向を私に示しました。肉体的な快楽を追い求めるのは堕落の道だとすでに認識していたので、それを捨てて神様に従い、真理を追い求めて神様を崇拝する道を歩くほうを選ぶべきであることは知っていました。そうして丹念に真理を追い求め、社会の悪しき風潮を避け、以前のような贅沢な生活を絶対に繰り返さない決意をしました。

   時が過ぎて中秋節が目前に迫るころ、友人と親戚が私を呼び出して一緒に出かけようと誘ってきました。以前であれば、そうした休日に友人や親戚と一緒に出かけ、飲み食いしたり遊んだりするチャンスに飛びついていたでしょうし、大いに楽しめるはずだと信じながら外出して自分を甘やかしたでしょう。しかしいまは、真理を追い求めることでのみ平和と確かさを感じられると理解するようになっていました。一緒に出かけてもつかの間の肉体的な享楽しか得られず、私の心が神様を避けることになってしまい、その後はいまだに虚しさを感じたでしょう。それで私は丁寧に誘いを断わり、教会に行って神様の御言葉を読み、兄弟姉妹と真理について語り合いました。そしてそれまで感じたことのなかった幸福と確かさを感じたのです。

   私は自分が過去に誤った道を選んだこと、社会の悪しき風潮に捕らわれてしまったこと、罪の快楽をむやみに求めたこと、ますます堕落して人間らしさをすっかり失ったことを振り返りましたが、それはどれも自分の虚しさを埋めるためでした。私を神様の家に戻してくださったのは神様のご慈悲だったのです。神様によって表わされる真理を受け入れて初めて、私はこうした社会の悪しき風潮やサタンの人生訓についていくらか識別力を持ち、真の幸福とは何か、人生において追い求める価値が一番高いのは何かを知るようになり、人生における真の方向性を見つけました。心からの感謝を神様に捧げます。