![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/09/6fdd64cf1dd542d022f0a0c15357430a.jpg)
東日本大震災の被災地を訪れた人から、聞きました。
避難所の入り口に「マスコミお断り」という紙が、貼られているそうです。
一枚の紙を張り出すに至った被災地の方々の想いは、マスコミでは伝えられていません。
被災地の状況について、僕たちは、多くの情報をマスメディアから得ています。
テレビ画面に映し出される、津波の様子や壊滅した街の状況。
そして、住む家や家族を失った被災した方々の、絞り出すような生の声や表情。
画像は、強烈に僕たちに訴えかけ、僕たちの心を揺さぶります。
被災した方々の姿と声が、多くの人々の気持ちを突き動かしているのは事実です。
でも一方で、プライバシーのない避難所の方々は、マスメディアに晒され続けています。
「大変でしたね」「大丈夫ですか」という言葉とともに、マイクとカメラが向けられる。
それは、気遣いの言葉ではあっても、あくまでも報道が目的のものです。
被災地の方の気持ちに寄り添い、そのリカバリーを促すカウンセリングではありません。
多くの避難所の方々が、もう対応にうんざりしているということでしょう。
そして、その貼り紙の横に、もう一枚、新たな貼り紙が加わりました。
「心理カウンセラーお断り」という貼り紙が…。
阪神淡路大震災以降、被災者のPTSD、心のケアが強調されるようになりました。
今回も、多くの心理カウンセリングのボランティアが、現地入りしているようです。
文部科学省も子どもの心のケアのために、千数百人規模のカウンセラー派遣を決めました。
臨床心理士会などが、きちんとコーディネート機能を果たして、派遣する人材をコントロールできていれば、まだ良いのですが。
実際には、善意で現地入りしている人たちが、それぞれ活動しているのが実態です。
そして、残念ながら、その「心理カウンセラー」の質は、実にまちまちです。
勉強途上の学生や院生が、マニュアルだけ片手に、相談を請け負う例も多いようです。
使命感ももちろんあるでしょうが、自身の力量はきちんと見定めて欲しいと思います。
少なくとも、自分の専門職としての腕試しや勉強のために、被災地を使わないで欲しい。
見ず知らずの人に語るということだけで、カタルシスが得られるものではありません。
喪の作業に本当に寄り添うことができなければ、相手をパワーレスにするだけです。
いたずらに悲しみの感情を引き出して、その後のフォローもない支援などあり得ない。
「心理カウンセラー」を名乗るなら、少なくとも相手のためになるかかわりをして欲しい。
被災地の方々自身による、リカバリーが促進されるようなかかわりをして欲しい。
専門職の自己満足や、ましてや事例収集のために、被災地に足を踏み入れるべきではない。
「話せて良かった」「聞いてもらえて良かった」と、穏やかな笑顔を返してもらえるか。
「相談したけど、結局何にもならなかった」というため息で語られるようになるのか。
「心理カウンセラーお断り」という貼り紙は、避難所の方の精一杯の抗議と考えるべきだと思います。
それは、「心理カウンセラー」だけでなく、精神保健福祉士だって一緒です。
専門職づらをしないで、できることをコツコツと地道にやっていくしかありません。
「ソーシャルワーカーお断り」と言うような貼り紙を、貼られることのないように…。
被災地支援に取り組む心理職の方々に、失礼なことを書き連ねたかも知れません。
真摯に「心のケア」に取り組む方々に、不快の念を与えたとしたら、お詫び致します。
どうか他職種と連携しての、継続的な息の長い支援をよろしくお願い致します。
※画像は、差し替えさせて頂きました
※文言を、一部訂正させて頂きました
(→7月1日付「謝罪と訂正と教訓と感謝と」の記事をご覧ください)
なにもしない、余計な介入はしないというのも一つのやりかただと思います。
自身の心を治すのは自分以外に居ない,
心理関係の肩書を騙る人間の中にはとんでもない詐欺を行い苦しめ精神科ヘ行かせようと企む奴も居るので気をつけろ。
その手法は凡人には理解出来ない様なものだ。
プロのカウンセラーだったら、これをよんでも、あなたはそう思われるのですね。こういう考え方もあるんだ。こう感じてらっしゃるんだ。な感じで逆に勉強になります。
けど、それ以上でもそれ以下でもない。
目的は必要として下さる方に寄り添いたい。
連携も必要。スーパービジョンも受けるべきだと思います。
相手は人でマニュアル通りにはいかない。ベテランでも失敗します。
事実張り紙はあったようで、写真もネットで拡散してます。同職種として、こんなに情けないことはないです。。。
カウンセリングは主に必要とされる方が、こちら(心理士側に)に訪問してくださるスタンスで施行されます。
キツかったら、来ないようにするのはクライエントの自由なのです。また、来たいときに来るのも自由です。
被災地支援は、心理士が訪問するので、そういった自由はクライエントには作りにくい。
それを考えると、距離感や、話し方関わり方は非常に難しいものになります。ベテランでも失敗は起こすと思います。しかし、そういった失敗をしたときにどうフォローしていくか、態勢をととのえるべきでしたね。
情熱のある院生、大いに結構です。でも、そこにはスーパーヴァイザーが必要です。確かな支援をするなら、きちんとした準備や、マニュアルが必要です。私も災害時に病院同士でどう連携をとるか、ディーマップの作成に取り組んでいます。
これから、それを少しずつ作っていければ、よいと思います。
売り言葉に買い言葉。
人は何故些細なことで牙を向け合うのですかね?
占い師のようにタロットカードで診断する人、霊が見えると言って念仏を唱える人、勉強が大変で足が出ると愚痴を言う人、セッションの最中に何度も他の電話に出る人、クライエントの相談内容をブログに書く人、まとまらない心情を吐露しているのに『もう少しまとまった判り易い表現をしてください』とクレームする人、当初から盛んに年収を聞いてくる人、新聞を読まずニュースも全く知らず一般常識や世の中の動きに疎く『わたし、そんなの全然知らないのよ~』と言って話を内容を理解できない人、等々。。
『自分は世の中に役に立っている』という自己満足のために看板を掲げている人の中には、ちょっと重い内容になると途端に相談を拒否する人もいます。
個人で行なっているので、単価をあげざるを得ないといいますが、問題があってもどこにも持ち込めません。参入障壁があまりに低く、誰でも気軽に携わるのは、数少ないほんものを心理カウンセラーの評判や品位を落とすことにも成りかねないことを危惧しています。
日経ビジネスオンライン平成23年12月22日…「私だけ生き残って、ごめんなさい」被災者支援ボランティアが活躍する「心のケア」…の中で、貼り紙について触れられています。
産業カウンセラーの方の紹介と記事ですが、救援者として自覚すべきことを改めて教えられました。
人をけなすばかりの言葉ばかり。真面目に他人の気持ちを考えてるような人に思えない。
聞いてるだけで痛ましいです。
詳細なご説明ありがとうございます。
県も方針が安直だし、安易に話かけようとするカウンセラーも被災者の気持ちが理解出来なかったのでしょうか?
カウンセリングの教科書には"相手の立場と気持ちを想像しよう"と書かれているのでしょうか。
助けを求めてる人にはたぶん違いがわかりません。
「マスコミ」と「心理カウンセラー」の違いなら一般人にもわかるけど。
「マスコミお断り」の次は「心理カウンセラーお断り」の張り紙が貼られてしまうような現状だから、類似(に見られる)の仕事をする人間として、襟をただし自らを戒める必要があるーーー
っていうことを、書かれた記事で、それ以上でもそれ以下でもないと感じました。
でも傍目に見たら似たような仕事に見えても、すこーし違ったり微妙に対立関係にあったりすると、こういった記事も恐ろしい勢いで火種扱いされるものなのだと知り、怖かったです。
というか、
人の心を安定させたり、やさしくさせたり、穏やかな気持ちになれるよう感情を整理したりすることが上に挙げた人たちの共通の達成目標じゃないのでしょうか・・・
そんなにいらいら他人のブログの一文に目くじらたててキリキリしてたら、苦しんでる人を助けるなんてむりだと思いました。
冗談じゃなく、人の膿出しの前に自分のケアする必要がある人がいっぱいいるように感じました。
あたしは、この記事はとてもいい記事だと思います。今はTwitterとかですぐに拡散されてブログも炎上しちゃうかもしれないけど、へこたれずにがんばってください。
おもしろかったです。笑
こちらも推測の物言いですが、これは臨床心理「家」のみなさん自身が煙たがられている以上に「カウンセリングを口実とした、宗教勧誘」への忌避であると思います。
「カウンセリングを口実とした宗教勧誘」の存在そのものは事実です。日本においてはマイナーですが、アメリカとヨーロッパではいくつかの問題を指摘されている団体が「カウンセリング」と称して被災地に入り込んでいます。(トム○○○○のアレのこと。「宗教団体の名前+被災地」で検索されたし。山ほど出てくる。ただし、これが頻発しているかどうかは不明。)
それはともかく、問題は「宗教団体のやり方が悪い」というレベルではない。そもそも、臨床家さんたちの伝家の宝刀「ロジャース式」が、どうしてこう安易にも宗教勧誘や自己啓発セミナーの「道具」に堕落してしまうのか?という点にあるのでは?
コンテクストと「第三者」を排除した「一対一」のコミュニュケーション(現実の場面ではあまり見られない「不健全な」人間関係)を基本モデルとして展開するロジャース式のカウンセリングとは、そもそも人の心理に対して「非常に危険」なアプローチなのではないでしょうか?
50年以上前ですが、ウィトゲンシュタインは「心理学はまだ若い学問である」と言っています。それから50年が過ぎたとしても、幼児が小学生になった程度。まだまだ、基礎研究の時期でしょう。それを「臨床」に用いるのは「倫理的」に問題があると私は考えています。
ここで、見られる臨床心理士と精神保健福祉士の「内紛」も噴飯ものです。一般の方々は「心理学」「臨床心理学」「精神医学」の違いすら判らない、それがクライアントの「実態」あるし、一方「臨床心理士」の実態といえば「ロジャース式」の専らの伝道者であるらしく、ヴントもフロイトもユングもラカンもご存知なく、心理学や精神医学には無関心…おそらく彼らにとって、それらは異教徒なのでしょうか?ひたすらマニュアルどおりの対面対話で、笑顔のお客さん探しは見ていてもううんざりです。
ほとんどの「臨床さん」は、社会という「全体」の中で、あるいは歴史の中で「心理」がどのような位置にあり、あるいは生成してきたのか、という事実に目を向けようとせず、ひたすら微視的に「効果(はっきいりいえば「市場開拓」)」の拡大に汲々としてきた、それが阪神大震災以降の「臨床さん」たちの「偉業」ではないかと思いますよ。
まさに私も張り紙した被災者の気持ちが良くわかります。
被災地のもの、といっても、私の町は海側だけが破壊され、機能はしています。しかし、主人の職場のある町は、悲惨なものでした。
幸い、不明者も見つかり、安置所の解除されましたが、その後、です、、、
カウンセラーがかわるがわるくるそうです。県が派遣したらしいのですが、一週間交代で、若い方ばかり、、。私も主人も高校教員ですが、現場を混乱させるばかりです。
被災者や生徒が見ず知らずの人に、すぐに心のうちを見せるのでしょうか。
生徒と信頼関係を構築するのに時間のかかる教員にとって、本当に、安易な対策としか思えず、困惑しています。
協力しようにも、1週間でかえってしまう。
生徒の個人情報などは教えられるわけもありません。
そんなこんなしている間にも、自宅を流された生徒、父親と祖父を目の前で流された生徒は、精神状態が不安定となり、度を越えてしまい、通常の状態には戻らなくなってしまいました。奇声を発し、目の焦点が合わず、急に包丁をつかんだり、、。
県や国は、現場を見ているのでしょうか。
カウンセラーの方々も、ほいほいと派遣だから、と安易にくるのではなく、意見があるようでしたら、ぜひ、話してからいらしてほしいです。何を目的にきているのでしょうか。
張り紙は、心の疲れの表れです。
本当にくたくただと思います。
どこにも何にもすがれない、どうしていいかわからないときです。
新しい方の顔を見るたび、疲れてしまうのでしょう。
今は仮設住宅が完備されました、プライバシーもなく、不安もついて回っている被災者です。
知識のある方々の、誠意ある対応を望みます。
特に今回は震災利権を多くの団体が得ようとしていて、カルト教団がカウンセラーと名乗って乗り込んですらいます。
http://www.news-postseven.com/archives/20110513_20006.html
筆者は臨床心理士が未熟で心理カウンセラーお断りの貼り紙が出ているけれども、精神保健福祉士はご自身が学生を教えて送り出しているので、間違いがないと思っていらっしゃるのかも知れませんが、それは果たして正しいことでしょうか。
臨床心理士も誤ることがあるかも知れないけれども、精神保健福祉士は誤ることが決してないのか。
このブログで先生を擁護して、それ以外の意見にかなり攻撃的になっているコメントを見ると、ずかずかと被災者に説教する危ないPSWやその卵がいるのではないかということを危惧します。
うまくその辺りを先生が統制できなければ、このブログは今なお炎上中なわけですが、発展的な議論にはならないと思います。
自分も被災しましたが(といっても,停電と断水と,物損ぐらいです),近親者は津波被害を受け,知人が亡くなりました。友人達は,職場が避難所となり,不眠不休で避難した方々のために活動しておりました。実家は原発から70キロほどですが,親類の中には,あと少し原発の避難区域を広げられてしまったら,困る地域に住むものもいます。
同じ県内には,いまだに,断水したままや避難所生活をする人が多数いる地域がありますが,宮城でも岩手でも福島でもないため,ほとんど無視されております。
ここに投稿されていらっしゃる方々の多くは,おそらく被災地の方ではないと思いましたので,多少失礼なことも書くかもしれませんがご容赦ください。
まず,なぜ,ブログの本題とは全く関係のない論点で,非難がなされているのか,不思議でなりません。
被災地の人間としては,むしろ,「まさにおっしゃる通り」と思うところが多いのです。
所属するNPOが「難民支援でつちかったスキルを生かすチャンス(そもそも,それ自体,かなりあやしいですが)」ということで,「ボランティア・ツアー」を組織して早々に宮城と岩手に乗り込むというので,被災した側として,「それはやめてください」と何度も頼みましたが無視されておりました。
このNPOについては,女優さん(わたしは全く知らないですが)のブログで紹介されたり,テレビや新聞にとりあげられたりしておりました。
あきらかに,初めからメディアが来るところをねらって,東京に近い被災地は無視して行っているのも反対の理由ではありましたが,何より,被災した人間が,いきなり他人にやってこられても,何をどうすればいいのか,困惑するだけだということが,自分の身に起こったことから想像できたから反対したのです。
私は,家族や財産をなくしたわけではありませんが,それでもこれだけダメージがあるのに,親や子や配偶者を亡くした人達,家も仕事もなにもかも失った人達にとっては,どれほどか。
私でさえ,もし「気持ちはわかります。」などと言われたら,「ふざけるな。」と殴るかもしれません。
職種がどうというのは,問題ではないのです。被災した人間が本当に伝えたいのは,「あなた達は,いったい何がしたいのか?」と問い返したくなるような人が,被災地に入って来ていることです。
また,たとえ専門家でも,この状況にある人間の心理に寄り添うということが,果たして可能であるか,ということもあります。
私の所属するNPOでは「専門家にも要請して同行してもらう。」と言っておりましたが,それ以前に,企画を見た段階で,「ああ,もう,これはダメだ。」と感じてしまったのが実際のところです。
現地のものの苦しさが,全く理解できていないのですから。
理解は必要ないのかもしれませんが,だったら来ないでくれ,と言う人間も,いないとは言えません。
もし自分が避難所にいたら,勝手に張り紙をだすかもしれません。
職種を細分化して書くのは,ただでさえ身も心も疲れていますから,面倒でおっくうで,ただ「カウンセラー」とか「NPO」とか「メディア」とだけ書くかもしれません。
張り紙,それが事実あったことなのかどうか,が問題なのではなく,それをべったり入り口に貼りたくなる人間は,間違いなくいるということを,知っていただきたいと思います。
このの事実が理解できずに,心理がどうの,専門がどうの,とおっしゃるのは,筋が違うと思うのです。
お給料の話で、言っているわけですね。
確かに、pswだけではなく、福祉全体のお給料は
安過ぎです。
その割りには、資格取得し合格しなければ
相手にもされません。取得しても、相談員は、
高齢者向けの仕事でも少ないです。
基本、社会福祉法人は、公務員に準ずる給料体制といわれておりますが、基本級は公務員と同じでも、
お休みや昇給、病気になってからsの保障待遇を考えたら、医療福祉には、多くの課題がありますね。
患者の人権は、世間一般より守られていますが、
職員の人権を、しっかり守る習慣がないのは
残念なことです。
精神疾患の方や支援の必要な方のサポートを
しようと、就職した方々が、
自分の心と生活を守るために転職しなければいけない
のは、本当にまずいと思います。
そして今は、安くても安定している福祉業界に、
福祉の心がない方が入ってこられて、
福祉関係て、そんな人しかいないんだと
思われてしまうのも、残念です。
お給料が高ければ、私生活の時間が保たれれば、
辞めなかった人もいるでしょうね。
ただ、一時の建築、不動産関係の福祉参入のように、
お金目当ての業者や人も、
医療福祉から撤退しているのは、せめて
もの救いです。
多くの実習や、勉強にかかる金額と時間を考えたら、
本来、看護職と同じ位の待遇は必要であると私は
思います。
看護職でさえ、安月給で、休みが少ないと言われて
いると、それより安い福祉職って何なのでしょうと
考えてしまいます。
特定の病院等に、
少数しかいないPSWの資格しか、批判しないなど有り得ないですし、PSWしか資格を持っていない人々の方が、相談員では少数です。
書き込み中、怒りのPSWなどおりません。
………煽りでは。
もしそうならば、気をつけなくてはいけません。
公務員を、ステップアップと言わなきゃならないような環境だなんて、それこそ、お気の毒です。
何か、、、人権のない病院勤務でしょうか?
どこかの施設でしょうか?
資格の恩恵に預かり、仕事している者です。
公務員信者には夢を壊して申し訳ありませんが、実際、行政は、そんなによくないです。
福祉職ではない人については、
担当ケース(クライエント)を置き去りにして、他部署だった頃は、楽でよかったと平気でいいます。
社会的弱者の相手をするのがイヤ、クズの相手がイヤだと言う内容の遺書を残して、自殺した公務員、ずっと休職してお給料だけもらう公務員などもいます。
公務員は、学歴関係なく、試験重視で採用されています。そこは公平です。早稲田だからと、威張る人も一般企業ほどいないですしね。
電話でクレームを延々にいうパーソナル障害患者を、
(人格ちゃんからまた)と笑いのネタにしています。
そんな事務職採用を私は知っております。
福祉大や福祉系学部、福祉修士から福祉の人は、最初から一般企業的視点を、もっと持てばいいのに、、、、、。
と、私も憤りを感じてしまう方ですが、
内情知れば、どこも色々な方がいらっしゃいます。
Psw倫理綱領、ソーシャルワーカー倫理綱領、社会福祉士倫理綱領があり、
有資格者は、法的に、
ケースを笑い者にはできないようになっているだけ、
福祉の方がマシだと思います。
2011-05-02 20:13:18
R職人さんの以前の記事
本人曰く、公開したものを拡散してもありだという考えなので、拡散させてみました。
私が使っているRSSリーダーの便利な機能の一つとして気になるキーワードを登録しておくと、それに言及した最新記事が届くというのがあります。これ、登録してないブログでもオッケーだったりします。
どういうことかというと、例えば「ロテ職人」というキーワードを登録したとします(というか実際してるんですが)。そうすると、文中で「ロテ職人」という言葉を使ったエントリがどこかのブログでアップされるとすぐにそれが通知されるわけです。
で、私は今のところ「ロテ職人」というキーワード以外に、「臨床心理」「心理臨床」「カウンセリング」「カウンセラー」というキーワードを登録してあります。するとどんなことになるかと言いますと、もうザックザックと色んなブログがひっかかってくるわけです。カウンセリングを受けているクライエントの人とか、「臨床心理学概論」なんて講義のレポートを書かなきゃいけない大学生とか、あるいは「今日こんな人のカウンセリングをしました~」なんてカウンセラーのブログとか…。
クライエント・患者のブログはまあいいですよ。学生さんのブログも…ヤバいのはたまにありますが、まあなんとか…。問題はそれで金を取ってるプロの場合です。で、06/06/21のエントリ、ぼやきにつながるわけです。
今、そういうブログをここで取り上げるのがアリなのかナシなのか、ちょっと悩んでおります。
「お前、そんなことを偉そうに他人に言えるのか?」と言われる方もいるかもしれません。
自分では気をつけているつもりなんですがね。で、もし私の書いている内容でマズイ部分があったら、それは指摘して欲しいと思うのです。自分では気づかないこともあるかもしれませんし。
あと「コメント欄でやりゃあいいじゃねーか」「ここで晒す必要はないだろう」ってご意見もあるかもしれませんが、ブログサービスによってはコメント欄の使い勝手が非常に悪かったりもするのです(特にYah○o!とか最悪)。
その辺はまあいいとして、問題は当ブログのアクセス数がそれなりであるというところだったりします。今、うちのブログは1日の閲覧者が1000人弱というところです。本当に大手のブログになると1日1万アクセスなんてところもありますが、心理系に限定すればかなり多い方でしょう。
うちのブログで取り上げたことでアクセス数が妙に増加してしまって、最終的にブログ炎上ってことになりかねないかも…とか考えると…。
でも炎上してしまうのは自業自得って考えもあります。逆に私が書いていることの方がおかしいってことはあるかもしれません。
なんかうだうだ書いてしまいましたが、結局悩んでる振りをしているだけかもしれません。
でもちょっと皆さんのご意見もおうかがいしたいな、と思う次第でありますよ。
失礼いたしました。確かに、心理士さんたちだけが、荒したわけでは、ありません。
一部の心理士さんには、本当に申し訳ない表現でした。
荒しの定義も、あいまいです。
これは、いやがらせ目的の書き込みや荒らす目的でしょうという書き込み。ただし、無意識の人もいますし。決めつけるとなんですし、定義はあえて曖昧です。
個人的に、批判者=荒し
とは、私は、考えておりません。
ごもっともな批判や意見もありますでしょう。
質疑応答がしたい方は、荒らす目的ではないでしょう。
ただし、
確認もせずデマ呼ばわり、個人関係ないの話からなぜか文句をいう。
個人の人格や見てもいない筆者の仕事の妄想批判。
いやがらせ目的と思われる書き込み。
心理士お断りで単なる怒りをぶつけられた不満のゴミ捨て目的。
これでブログは荒れた、、と私個人は捕らえています。
普段、仕事の情報収集や勉強の為に拝見させて頂いているのに、これでは、、、、、、、、、、。
ただ、朝より午後からネットを見る人々も増えて行くのが自然です。
その上、土曜日日曜日の病院や学校、学校の休日に被ったのが、エキサイトした間接要因とも考えられます。
「炎上」したのはtwitterで事実関係を疑問視したツイ―トが出たすぐ直後の14日午後13時以降で、主にその後に批判的なコメントが多く書きこまれています。この日の午後に一番のピークがあります。他のツイ―トは記事に概ね好意的な紹介だったり、気をつけようという趣旨だったり、公式RTがほとんどですね
臨床心理士がいても、いなくてもいい
と親族は言っていました。(本当は酷い言いよう
でしたが・・)
人間、一人になりたいときもある。心理士に
一言。無理を言いますが・・科学的根拠に基づ
いて、カウンセリングしてくださいね。
◯
一つは、
このブログでいやな気持ちや、悔しい気持ちになった人のつもり、
心理カウンセラーさんになったつもりの気持ち。
「僕(または僕ら、しばしば複数形)は被災地に行くからには精一杯頑張るつもりでいるのに、
何故『あんな風に貼り紙される心理士とPSWは格が違うぞ!』」なんて言われなきゃならないんだ?
そんなの、龍さんの勝手な好き嫌いだろう!そんな書き方をするなんて、嫌になる!僕や仲間の思いを踏みにじられた気分だ!!」
そう思う。
もう一度、今度は龍龍さんになって書いたつもりの気持ちで。。。
「心のケアに関わる全部のスタッフ、半端をするなよ、
自戒も込めて言うが、
街の人に
「カウンセラーなる者らは震災の土地で好きに弱り切った人心を蹂躙する。
こと『精神保健福祉士』と名乗る輩は傷に塩をぬり神経を逆なでする最たる者共、来ても入れるな!」
と無責任にも気を抜けば、(幾ら自身が頑張ろうとも)言われかねない時なのだから
責任を持って、分を弁え、暖かな気持ちと確かな技を携えて行けよ、行く先で目的を間違ってくれるなよ。」
という気持ち。
思い出して欲しいのは、カウンセラーさん、っていうお仕事は、あいまいなものを手探りで扱うものだという事です。
値段や、サイズや、使用期限などを、シールで貼り付けたりもできません。
だから
私みたいな普段心理職と関わらない人、さらに
(´・_・`)被災者としてお世話になる側の人(*^_^*)
から見たら、
◯自分の傾聴の腕試しをしに来るナンチャッテカウンセラー(途中までしかケア出来ない、すぐ居なくなる身勝手な正義感だけの実験目的エゴイスト)
と
◯計画を立ててチームで来てくれる臨床心理士さんなど(最低限の流れを学び体得し相談する側の立場から、傾聴とか?・援助?・治療!をしてくれる。
つもり、じゃなくて結果を出せるプロ集団)
の違いは、よくわかりません。
それから、私たちは心理の人たちの職種も、資格の名前も、よく知りません。
十把一絡げに、心のケアをします!という人を「良かった、カウンセラーさんだ(;_;)」とすっかり信じてしまうのです。
そんな事では腕の良し悪しなどわかるはずもありませんから
短期間に何度も怖い気持ちや悲しい記憶を様々な心理的なケアをしたい人にほじくり返されて、きっと怒ってしまう
のです。
冷たい、一人ぼっちの暗闇を、照らしてくれる人を求めるのは当たり前ですよね。
ただ、そこから助け揚げてくださるつもりがあるのなら、
「お願いだから、何度も手抜きで下手を打ったり半端をしないでくれよ!」
と叫ぶ人はある程度いると思うので、
地図や避難所の状況も把握できない、さらには相手の顔色も分からない様な力のない援助者(私からみたら心理カウンセラーも)は、
迷惑。こないで。
そういう事だと読み取れました。
匿名すぎても良くなさそうでしたから、この文章に、何か、教えてくださる方は
まみ宛に下のアドレスまでお示しをいただければ幸せです。
From:うちだま U+A0U+A0み
love_pomtam@yahoo.co.jp
最後に、現地でみんなを助けてくださった方、これから助けに行ってくださる方
その場からでもみんなの笑顔のために力を尽くしていらっしゃる全ての方に......
ありがとうございます。
それを記事にしたからって、個人ブログに文句書く心理カウンセラーって恥ずかしいよね。
被災地だけではなく、押し売りカウンセラーはいます。
傾聴ボランティアやってあげるからあなたの施設に呼んでよ
と、60代の産業カウンセラーシニアに言われたことがあるんです。
博士レベルじゃないと産業カウンセラーシニアは取れない上、最近ではハローワークにいるあの人たちのことです。
アホな心理カウンセラーは、ここに殴り込んだ臨床心理士たちだけじゃないんですよね。
カウンセラー資格じたい取り止めたほうがいいよ。
貼紙があろうがなかろうが、そんなの関係ありません。
土足で踏み込んで一週間程度で帰ってしまう臨床心理士やカウンセラーなんて今の状況では邪魔なだけでしょ。
アプローチの仕方が雑すぎますからね。
今のやり方では自殺者も出してしまいます。
現地の世話役やカウンセラーで行動認知療法が出来る方と他職種と連携しての、継続的な息の長い支援を私も望みます。
ありがとうございます。弁明文があったのですね。Twitterからですと、ダイレクトにこの記事だけにとぶのであやういツールです。失礼しました。
「~という貼り紙が貼られている避難所があった」と事実だけを述べておられたら、なんの問題もありませんでした(少なくとも私は問題を感じない)。「貼られつつある」という表現が大問題です。これでは、あたかも各地の避難所でこういう問題が勃発していることになる。また、避難所全員一致の意見として声があがっていることになりかねず。支えられた人もいたかも知れないのに。書かれた方は、人格否定や飛躍した反応に弁明する必要などなく、書き方を間違えたとお認めになればいいだけなのに、おかしいですね。やはり引き続き訂正が必要な記事と思います。
■4.事実関係について
さて、「心理カウンセラーお断り」の貼り紙が、本当にあったのか?ということですが。
僕自身の遠慮もあり、婉曲的表現で曖昧な表現になっていたことが想像を膨らませてしまったのかも知れません。
しかし、その文言通りの貼り紙があったのは、紛れもない事実です。
ここにその場所を記すことで、現地の方に何かご迷惑がかかることを恐れます。
岩手県の沿岸部で、街全体が壊滅的打撃を受けたところです。
大規模な仮設住宅が建ち並びつつある場所です。
入れ替わり立ち替わり訪れる「心理カウンセラー」に、住民が怒ってしまったそうです。
支援体制に入るボランティアのコーディネートの重要さを、表していると思います。
それは、心理職に限らず、ワーカーだろうが医師・看護だろうが、同じだと思います。
僕は、基本的には、やはりユーザー側の反応や声を大事にするべきだと考えています。
専門職を名乗る側が、ユーザーの批判に謙虚であるべきだというのが、僕の主張です。
精神保健福祉士等のソーシャルワーカー側の自戒として、僕は記したつもりです。
貼り紙が本当にあったのか?という疑念が、まず表明されたのは、残念なことです。
善意のボランティアは感謝されているはずという前提は、危険だと思います。
むしろ、貼り紙に記された言葉の意味を考えるのが、専門職を名乗る側の義務と考えます。
■5.「心理カウンセラー」について
「心理カウンセラーお断り」との貼り紙なので、僕は「心理カウンセラー」と記しました。
「心理カウンセラー」イコール臨床心理士とは、考えていません。
本文中にも、そのような記述はないはずですし、心理の民間資格は数多あるのが現状です。
むしろ、臨床心理士会は今回の震災当初から、組織的対応を早期から組んでいます。
阪神淡路大震災の経験と教訓も踏まえて、臨床心理士の危機対応体制は明確です。
政府への対応、現地への派遣体制調整等、もっとも早かった職種といえます。
コメントを読んでいくと、いつの間にか「臨床心理士VS精神保健福祉士」のようになっていますが。
住民の怒りを買った方が、「心理カウンセラー」を名乗った、あるいは受け止められたということであり、資格は特定されていません。
一般の方にわかりやすい肩書きかも知れませんが、曖昧な名称であることは確かです。
被災地という特殊な状況下では、感情的反応も昂進し、精神的な深い傷跡を残します。
カウンセリング技術を駆使しての、心理的介入やケアの必要な方が、たくさんいます。
他職種と連携して、心理職の方々が果たす役割は、本当に大きいと僕は認識しています。
■6.心理職とワーカーとの関係について
「心理職とワーカーが元々仲が悪い」というコメントがあり、僕は少し意外でした。
確かにそういう職場はあるのでしょうが、僕はむしろとても近しい職種と感じていました。
少なくとも、僕が勤めていた病院では、常に一緒に仕事をしているチームの仲間でしたし。
今回の記事を投稿する際にも、その時の同僚の顔が浮かんで、考えました。
この記事内容は、彼ら彼女らを批判することになるだろうかと、僕なりに考えました。
でも、自らの専門職種としての襟を正すという趣旨で、職種が異なっても共有して考えてもらえる課題であると思いました。
自職場だけでなく、各地の臨床現場で奮闘している心理職も、多数知っています。
心理職の国家資格化についても、僕なりのスタンスで応援してきた経緯もあります。
異なる職種ゆえに、お互いの差異を認め合い、差異を共有する関係が築けるはずです。
心理職と精神保健福祉士は、現場では相補的な関係にあると、僕は考えています。
スクールカウンセラーとスクールSWも、タッグを組めると本当に力を発揮できると思います。
お互いの認識や方法に違いがあって当然だし、覇権争いのようなコンフリクトが生じるとしたら、やはりコミュニケーション不足があるのではと思います。
■7.「心理職を蔑視している」との批判について
コメント中で、僕が心理職の方を蔑視している、との批判がありました。
心理職と精神保健福祉士を比較して、PSWの優位性を誇示しようとしていると。
問題のあった事例を取り上げて、心理職全体をネガティブに批判していると。
記事本文で僕が記しているのは、残念ながらこういう方もいるという例示です。
少なくとも、心理職全体がそうであると批判するような意図は、毛頭ありません。
ましてや、PSWの優位性を示そうなどという考えはなく、優劣をつけられるはずもありません。
なお、仮に「精神保健福祉士お断り」との貼り紙があった場合には、記事で取り上げないのでは?という問いかけがありました。
これについては、僕はまったく逆に考えています。
むしろ、そのような貼り紙が掲示されていたら、もっと厳しく問題にするでしょう。
被災地の方からの無言の抗議を、いかに受け止めるべきかの自己検証を提起するでしょう。
PSWの被災地支援の入り方が、どのように問題とされているのか。
PSWとして何が問題であったのか、自身も反省的にやはり考えると思います。
■8.「専門職種の対立を煽っている」との批判について
僕自身の言葉足らずな記述が、心理職の方々に不快の念を与えたとしたら、それはお詫び致します。
ただ、僕の考えている心理職の方とSWの関係については、これまでに記した通りです。
専門職種同士の対立を煽るような意図は、まったくありません。
むしろ、本当に意外だったのは、寄せられた数々のコメントの展開でした。
僕の記事を契機に、なんでそこまで話しが展開するの?と思える記述が多々ありました。
記事の言葉に対して、一気に日頃の不満が投影されているような印象さえあります。
相互の職種に対する、異和感や不満が、そんなに各現場でくすぶっていたのでしょうか?
僕のように、自分の現場で相互に言いたいことが言えていた関係は、まれなのでしょうか?
だとしたら、本当に不幸なことで、チームで働く臨床現場では深刻な事態と言えます。
先に記したように、僕にとっては心理とワーカーは、車の両輪のような関係です。
対象者への視点や働きかけ・かかわりの深さや広さを、相互に刺戟し合える職種です。
デイケア等のリハビリ活動でも、退院・地域移行支援でも、常にそうでした。
現場によって、異なる専門職種間のコンフリクトが生じがちなのは、確かでしょうけど。
そんなに、心理職とPSW、対立していますか?各現場で?
これは、僕の率直な疑問です。
まだまだ、たくさんお答えしなければならないことがありますが。
とりあえず、今の時点での僕の率直な感想と意見を、記させて頂きました。
このコメントが、更に火に油を注ぐようなことにならないか、やや危惧もあります。
それでも、率直にディスカッションするのは、いいことだと思います。
この記事のコメント欄に、どうぞご自由に、ご意見ご批判をお寄せ下さい。
物議を醸した張本人の僕も、できるだけ、自分なりにお答えしていきたいと思います。
この記事については、予想外の反響があり、おおいに物議を醸しているようです。
この際、発信した者として、僕の率直な意見と感想をコメントしておきたいと思います。
まず最初に、臆せずコメントを寄せて頂いた方々に、お礼を申し上げます。
僕の記した内容へ賛否両論ありますが、いずれの方にも感謝したいと思います。
それだけ、この記事の内容に、関心を持って真剣に受け止めて頂いたと考えるからです。
本来であれば、寄せて頂いたコメントの方、お一人ずつに返コメしたいところですが。
さすがにこれだけの数のコメントを頂くと、なかなかそう言う訳にもいきません。
この記事をもって、返コメに替えさせていただくこと、お許し下さい。
今日までに頂いた68件のコメントは、かなり多種多様です。
記事内容の事実関係を問うものから、僕自身の立場や人格を批判するものまで。
すべてに答えるのは無理がありますが、いくつかに整理して返答させていただきます。
■1.ネットの影響力について
率直に言って、今回の反応には、いささか僕はビックリしました。
ある程度の反応は予想していましたが、ここまでとは思いませんでした。
こんな個人ブログの一記事が、ツイッターで拡散していくとは、想定していませんでした。
ただし、ネットの影響力について無自覚であったかと言うと、そうではありません。
ネットは豊かな可能性を秘めていますし、まだまだ潜在する力があると思っています。
個人ブログを始めたのも、自分なりの情報発信を通して何か伝えられたらと考えたからです。
今回の東日本大震災については、マスメディア中心に被災地の様子が伝えられています。
でも、僕たちが仕事の上でも危惧している領域については、情報は乏しいままです。
様々な団体・個人から発信されているネットの情報が、本当に貴重に思います。
SNSの伝達力についても、今回、僕は身をもって直接感じることができました。
ただ、残念なのは、この記事の取り上げ方には、ややネガティブな扇動があったことです。
ツイッターを拝見すると、同一人物が繰り返し、この記事を取り上げているようです。
■2.コミュニケーションについて
ネガティブでアグレッシブな批判は、僕はとても大事だと思っています。
どろどろぐちゃぐちゃの怒鳴り合いのコミュニケーションも、時には必要です。
そういった議論がし難くなっている最近の学会等は、大変紳士的すぎて物足りなく、何も生まないのではとも思います。
少なくとも、ここにコメントを寄せて頂いた多くの方々は、真剣に考えて下さっている。
やや言葉足らずな僕の記事に対して、向き合い受け止めて下さっている。
被災地への支援のあり方を論じるそのことには、本当に僕は感謝しています。
ただ、そうは言っても、文字を介してのネット上のやりとりは限界があります。
特に、ネットの強みでもある匿名性が前提となっている点で、歪な関係が固定しがちです。
記されただけの文字は、ネガティブな感情反応を惹起する傾向が、どうしてもあります。
願わくば、この意見対立を止揚していくような、相互の共通理解が築ければと思います。
2チャンネルのような、匿名ゆえのネガティブな毒の吐き合いで終わるのではなく。
仮にも、僕たちは、対人支援サービスにかかわる者同士なのですから…。
■3.僕の立場について
コメント中に、僕の所属と氏名を明らかにせよ、との要求がありました。
その意図は、実名をネット上に流して、社会的に批判を加えたいということだと思います。
一応これ、匿名ブログなので、回答は差し控えさせて頂きます。
ただ、このブログの読んで頂ければわかりますが、僕の所属と実名はバレバレです。
防衛的になる必要もないので、実名を挙げて批判して頂いても、構いません。
ただ、その際は、ご自身の所属と実名も明らかにして頂ければ、幸いです。
やはり、他者を実名をあげて指弾し批判するには、それ相応の覚悟が必要です。
リアルな社会的存在である、自身のアイデンティティも賭しての討論になります。
そうでなければ、前述のコミュニケーションも成立しないでしょうし。
近しい方からは、一旦ブログを停止した方が良いのでは?というご忠告も頂きました。
大学に迷惑をかけ、僕自身もなんらかの処分を受けるのでは?との心配する声もあります。
色々と親身になって、この間メッセージを寄せて頂いた皆さんには、本当に感謝します。
でも、個人ブログでも言いたいことが言えない、自己検閲が働くのは危険です。
また、関係がまずくなったからといって、回路を閉ざさないのがSWの姿勢だと思います。
むしろ、今回の記事を契機に、大学と臨床現場が率直に語り合えれば良いなと思います。
■4.事実関係について
さて、「心理カウンセラーお断り」の貼り紙が、本当にあったのか?ということですが。
でも、長文だから、事実関係の弁明だけ貼ります。
後の部分を読みたい人は、自分でネットで探してください。
■4.事実関係について
さて、「心理カウンセラーお断り」の貼り紙が、本当にあったのか?ということですが。
僕自身の遠慮もあり、婉曲的表現で曖昧な表現になっていたことが想像を膨らませてしまったのかも知れません。
しかし、その文言通りの貼り紙があったのは、紛れもない事実です。
ここにその場所を記すことで、現地の方に何かご迷惑がかかることを恐れます。
岩手県の沿岸部で、街全体が壊滅的打撃を受けたところです。
大規模な仮設住宅が建ち並びつつある場所です。
入れ替わり立ち替わり訪れる「心理カウンセラー」に、住民が怒ってしまったそうです。
支援体制に入るボランティアのコーディネートの重要さを、表していると思います。
それは、心理職に限らず、ワーカーだろうが医師・看護だろうが、同じだと思います。
僕は、基本的には、やはりユーザー側の反応や声を大事にするべきだと考えています。
専門職を名乗る側が、ユーザーの批判に謙虚であるべきだというのが、僕の主張です。
精神保健福祉士等のソーシャルワーカー側の自戒として、僕は記したつもりです。
貼り紙が本当にあったのか?という疑念が、まず表明されたのは、残念なことです。
善意のボランティアは感謝されているはずという前提は、危険だと思います。
むしろ、貼り紙に記された言葉の意味を考えるのが、専門職を名乗る側の義務と考えます。
■5.「心理カウンセラー」について
「心理カウンセラーお断り」との貼り紙なので、僕は「心理カウンセラー」と記しました。
その次の弁明を書いたblog記事を読んで下さい。
事実、張られたと書いてあります。
世の中には上記を
>そして心理カウンセラーが出向き、被災地の人々を怒らせてしまい、張り紙を、張られたとのこと。
と読んでしまう人もいるので、表現には気をつけましょう。下手すると訴えられますよ。
(要約)
岩手県の最も被害の大きな場所まで、最初はマスコミ。
そして心理カウンセラーが出向き、被災地の人々を怒らせてしまい、張り紙を、張られたとのこと。
次のページに事実と書いてあります。
事実なのですか?事実かそうでないかは大切なポイント。もちろん、事実がどうであれ心構えを見直すことは大切ですが、
張り紙も、事実として、心理カウンセラー (相談業務、社会福祉士、精神保健福祉士、その他)は、 怒り狂うより、被災地の苦情として真摯 に受け止めて考えるべきであろう。
くれぐれも、張り紙をした岩手県の被災地へは行かない援助はしないとならない方向でいてもらいたい。
この記事を読んで怒りを感じるのはどうかと思います。
専門職の立場を議論する記事ではないでしょう?
一般人の私から見たら、被災者を無視したコメントでしかありません。
何もかも失って今後どうしたら良いかわからない状況の中、代わる代わる見ず知らずの人が訪れてお話されても、疲れることだってあるはずですよ。
「心のケア」は大切だと思います。
専門職の方々も一生懸命だと思います。
でも、自分の経験と資格に驕りはないか、
偏った使命感で自己満足していないか、
一度立ち止まって考える機会なのではないでしょうか?
もし私が被災者になったとしたら、
この記事で、怒りをむき出しにして対立したコメントをされているような専門職の方には
私はお世話になりたくないと思いました。
ネット上で攻撃的になるような専門職の方たちが信用できますか?
こういうことがあるかも知れないからと
真摯に受け止めて頑張ろうという気持ちになぜなれないのか疑問です。
被災者の立場に立って議論できない方々で残念でなりません。
質の良い議論が見たかったです。
被災地は何も終わっていないんですよ?
長々とコメント失礼いたしました。
「心理カウンセラーお断り」と書かれてあっても「精神保健福祉士お断り」と書いてあっても一般の認識は違いなんてわかりません。
この記事に対しての怒りのコメントを読んでいてうんざりします。
なぜなら、被災者の気持ちは全く触れられていないからです。
今でも、被災地は復興していないのですよ?
心理カウンセラーだろうが何だろうが、専門職の争いなんて聞きたくありません。
それに、専門職として評価するのは専門職本人ではありません。
評価するのは被災地の被災者の方々です。
しかし、それは同時に、似たような領域で働く精神保健福祉士が言うべきことではないなとも思った。
結果的に自分は双方の資格職に対して不信感を抱くことになった。
精神保健福祉士や龍龍先生を擁護するコメントも自分の立場の正当性を主張するものにしか思えない。
今後一生心理カウンセラーや精神保健福祉士を信頼することはできないと思う。
その両方のコメントを読んでいて、それぞれの立場からの資格職の擁護にしか見えない。
果たして自分のことだけを守るのに汲々としていて、被災者や精神障害者を救うことができるのか。
自己中心的な言説を展開しているのに過ぎないのではないのか。
経験があるから何を言ってもいいというわけではない。
このブログやコメントを読んだ人間が何を率直に感じるかということが大切なのだと思う。
一国民からの視点が置き去りにされて経験や資格があるからと言って何を言ってもいいわけではないと思う。
それは専門職のおごりだ。
皆一様に興奮してアホみたいに文句言うけどね。
私は、PSWでもありCPでもあるし、両方の職種で10年くらい働いています。
それでも私も含め誰がこのブログの内容の善悪を判断できるのと思う。
何十年も現場で働いてきた龍龍先生の経験や考え方を語る場所を彼よりも経験のない人が減らすような真似をしないで欲しい。
この炎上で先生がブログを止めてしまったら精神障害者への援助にとっては間違いなく損失なんだよね。
心理カウンセラー・臨床心理士・精神保健福祉士などの専門職の資格で争い糾弾する内容ではないと思います。
掲示されているなら被災地に入る支援者について被災者の正直な気持ちが掲示されたんだと思います。支援者の中に怪しい人が紛れ込んでいて被災者の方が困られているのかもしれません。
多数のコメントをよみました。心理学などで人を精神的に支える資格のある方々のコメントとはとても思えませんでした。掲示した犯人を探しますか? 支援者の気持ちをくめない被災者を糾弾しますか?
物事には両面があるから支援者も気を付けて被災地に入らないといけないよってブログに書いてあるように思いました。誰が誰かを糾弾するようなコメントは控えませんか?
精神保健福祉士が世の中で何の役に立っているのか、心理カウンセラーにしてもそうだけど、わからないな。
専門職同士で利権争いをしていたら困っている人は置き去りにされるだけだろう。
けれども、この非常時にそうやってお互い大したことがない資格なのに、言い争っているようでは、全く被災者のためにならない。
緊急時に人の本音が出てくるというが、筆者の本音はやはりこうなのだろう。
自分としてはこんなところで低レベルなけなしあいをしているようでは、両資格ともこの世から不要だと思う。
相談できなければ心理カウンセラーから自立してやっていけるだろうし、福祉も障害者が自分で調べて、他の障害者から聞いて役所の窓口に足を運んでいけばいいだけの話だ。
この際、心理カウンセラーも精神保健福祉士も制度を廃止してみてはどうか。
「相手のためになること、っていったい何だろう?」、これは職種や状況に関わらず、「支援」と思ってすること全てに言えることなのだと思いました。
また、今回の記事についたコメントを読んで、誰かがそのときに感じたことや思いを表現することに対して、いろいろな捉え方、受け取り方、そしてその表現の仕方があることも知りました。
偶然かどこでもか、
相談員は、一番役に立たなかったです。そしてそれは相談員たちが一番思い知ったでしょう。
なぜ役に立たないかというと、
今被災者は、仕事をなくして、物、お金、居場所がないからです。
みんなで避難して来ているから、話し相手はいるけれど、物資とお金がないんです。
だから、心理カウンセラーだろうが精神保健福祉士だろうが、
傾聴しか出来ない場合は、役に立ちませんでした。
自分が知っている精神保健福祉士にはいい人もいれば、そうでない人もいる。
きっと心理カウンセラーもそうだろう。
お互いに職域がバッティングするところで、葛藤が生じて、時には怨恨に発展していき、もうその職種というだけでアレルギーのように嫌う人もいるかも知れない。
そういった人には被災者の支援チームに入って欲しくないな。
あくまで被災者の支援が目的なのだから、職種の間で内輪もめしかねないような和がないチームではきっと被災地に行っても役立たずだろう。
いけない発言をしてしまったのではないでしょうか。
あるいはそれは、龍龍先生が、長い精神保健福祉士生活の中で心理カウンセラーに対して抱いていた嫌悪感かも知れません。
そうであったならば、彼が精神障害者のために長年尽力をしてきた中で、その体験をはっきりと書くとよいと思うのです。
今回、「貼り紙があるという話を聞いた」ので世間はそう思っているし、自分も漠然とそう思う、という論調なのがまずいのではないでしょうか。
実際、被災地で心理カウンセラーに押しかけられて困っている被災者の人たちの様子が克明に書かれていたのならば、読んだ人も納得する内容となっていたのだと思います。
今回の震災で誰しも不安定になっています。
この記事がツイッターで拡散したことによって、今までは専門家だけがコメントをするブログなのが、かなり幅が広がった。
その中には心理カウンセラーにすがっている患者さんもいるかも知れません。
もしそうだとすると、龍龍先生は曖昧な情報で、そういった精神障害者の人の気持ちを傷つけたことになるわけです。
どこの被災者か分かったら、今度はそちらを攻撃しに行きそうで危険だ。
覇権争いをしているような状況じゃないでしょ。
個人ブログと言っても、大学の名前を背負って発言しているからこそ、もっと注意を払って欲しかったなあと思います。
上にありましたが、心理カウンセラーが要らないように、精神保健福祉士も要らないと思います。
誰も被災者の事なんて、本当は考えていないでしょ。
邪魔だから精神保健福祉士も心理カウンセラーも学生も
被災地に関わらなくてよい。
誰も被災者の事なんて、本当は考えていないでしょ。
邪魔だから精神保健福祉士も心理カウンセラーも学生も
被災地に関わらなくてよい。
そして、福祉職はうわさ好き、イジメ好きの側面もある事実も認めよう。仕方ないと思う給料安いし福祉職には人権が認められて
いない。
だから、もっと弱そうなターゲットのミスを見つけては、酒を呑みながら見下し嘲笑っているのではないかな。
よく、福祉関係者の集まりで、そういう集団を実際見かけた。
自分はそんなことしたことない
という人には失礼。
ただ、今回のものには、他人のミスを、酒を呑みながら嘲笑う福祉職の集団を思い出させるのに十分である。
痛く,身に染みる思いです。
わたしは,先生に教わったことを元に,被災地ではない現場にて,精神保健福祉士ではない立場ですが仕事をさせていただいてます。
この度の震災やその後の混乱でお困りになっている方々,震災前から変わらずお困りになっている方々のご支援で駆け回り,震災後の日々もあっと言う間に過ぎてしまい,とてももどかしいです。
…とはいっても,現職で関わらせていただいている目の前の方々のご支援を放り出して被災地には行けません。
先生と同じく,震災後,色々考えさせられ,苦しかったです。
避難所に駆けつけ,必死に支援をしていた同級生や仕事で関係のある専門職等の話を聞き,職場の自宅待機命令が大変もどかしかったです…
しかし,行動に移さなかったことも事実です。
この度の震災は,被災地の方々の被害,人的・経済的損失,ストレス,喪失感,大切な人を失ったり探し続けている方々の苦しみなど…
震災直後から続く苦しみやご苦労等は想像を絶するもので…
到底,わたしなんかには受け止めきれるものではないです。
ただ,今後の生き方や生涯の仕事に影響する大切な事柄であると認識しております。
まずは,現職にて目の前のお困りの方々に,今の自身の力量での最大限のご支援をしたいと考えます。
コメントでの議論を拝見させていただいて,個人的に学ばせていただいたのは,職種や資格,立場ではなく,サポートしようとする方々の使命感と危機感を共有し,力を合わせることの大切さでありました。
コメントを下さる方々は,この震災における支援に関してそれぞれの立場で,強い思いを持ち,それぞれの立場で実践している方々が集っているように感じられました。
読んでいて,辛かったですが…
これからの仕事や学びにに繋げて行きたいと強く強く感じました。
そして相手が善意でしてくれているからこそ、俺らは文句を言うことができない。
コレ多分全部同一人物だろ。自作自演にしか見えねーな。
このblogで何が言いたいのかって
中途半端な奴がボランティアなんぞ行っても足手まといだって事だろ?
カウンセリング受けた奴は相手がカウンセラーだと思う。
その自称カウンセラーが実は学生だったりペーペーだったりして、
実務として中途半端だからやめろって現地から言われるんだよ。
このblogに反応して顔真っ赤にしてる奴は上の条件にビンゴなんだろうなw
学生の分際で何の役にも立たん癖に自己弁護だけは達者な馬鹿だw
恥の上塗りだからやめとけよwww
はっきり言ってそいつらの時間より龍先生の時間の方が大事だと思います。
テンションあがってコメントしてますが、先生みたいに命削って本気で仕事してるなら、実名でコメントしたらいいじゃん。
尚更発言内容については、細心の注意を払うべきだったのではないですか。
何故、事実確認もせず書かれたのか。
ぜひご本人のお考えをお示しいただきたい。
実名についても精神保健福祉士の業界では、龍とかけば誰でも分かるような有名人です。
確かに、ちょっと誤解を招きかねない文章かもしれませんが、批判的なコメントを書く人たちのうちどれだけの人が彼の様に人生の大部分を精神障害を持つ人々のために捧げてきた人を批判するだけの価値がある人間なのでしょうか?
「先生と認めない」とう表現をしている人に対して言いたい。
「じゃあお前はいったい何様なの?」
もしかしたらこの記事は失言かもしれないけど、彼が今までしてきた功績も知らずに何を言ってるのか。
資格も、将来の保証もない時代から精神障害者のためにがんばって来た先生がたった一回の記事で無責任な馬鹿どもに問責される時代に違和感を覚えます。
先生のblogを心の支えにしている全国のpswがいます。負けずに更新してください。
でもこの様子だと無理かなあ
せめて仲良くこういった際にはきちんと仕事して欲しいな。
こういう記事が出るとぐずぐずになってもうどの専門家もこういった日本の緊急時には役立たずに感じます。
お互い覇権を争って権力闘争をするような専門家だったらどちらも要らないと思います。
かってに飯食って勝手に生きてね~
また、心理カウンセラーと言うのがいつの間にか臨床心理士となっていますね。少なくとも臨床心理士のことは言ってなくて心理カウンセラーってと言っています。また、「みんな気をつけようね」って言ってるだけでは。書いてあることの裏を読むのが専門家かもしれないですが、まずは素直に受け止めて欲しいと思います。きちんとしないとコメント欄に書いている人も結局デマを流しているのと同じでは。批判するならきちんと事実を批判するべき。また、なんか批判している人達も精神保健福祉士蔑視な感じがしますよ。お互い蔑視ならそれでいいんじゃないですか、無視すれば。少なくともそんな小さい専門家たちに何かしてもらおうとおもいませんが…
そういう時期に不確実な情報を流したり、他の専門家を下に見るような発言は控えられた方がいいのではないかと老婆心ながら思います。
支援をしなくてはいけないのはどの職種も同じです。
専門性を活かしてやっているわけで、精神保健福祉士だけが実習中の学生が被災地に行って素晴らしい活動ができると思うのはあなたの思い込みでしょう。
他の専門家を見下して精神保健福祉士を素晴らしいものだという教育をするのは、学生にとってもよくないことだと思うのですが、いかがでしょうか。
こういった形で他の専門家を攻撃しても、何もおとがめがない。
学生が不用意にこんな発言をしたら教授から怒鳴られます。
権力を笠に着て好き放題言えるのはうらやましいです。
臨床心理士が必死にガイドラインを守って仕事をしている中で、教育に疲れたとか、災害がショックだとか、そういうことを言っているよりも、きちんと災害対応をして欲しいです。
で、あなたは自分で要らぬ災害を一つ作りだしてしまったようですね。
きちんと緊急危機対応してください。
災害派遣に行ってきてぐったりして帰って来ました。
もちろん詳しい個人情報は教えてくれなかったのですが、被災地に数週間入る以上、インフラは被災者と同じのは当たり前で、カウンセリングのためでなく、医療措置が必要かどうかのアセスメントのために行ったらしいです。
必要なことは聞かなくちゃいけないけれども、悪化する?可能性があるので、それ以上聞いてはいけないラインがあるそうです。
支援者のカウンセリングもやっていて、彼自身ボロボロですが、ほとんど不眠不休で、休みなしに仕事をやっています。
この記事はそういった彼の献身的な努力を否定しているかのように感じられました。
まだ彼は災害関連の業務のために延々と毎日16時間働いています。
精神保健福祉士さんも大変でしょうけれども、頭ごなしに臨床心理士を否定するのはどうかと思います。
せっかく立派な地位があって職歴もきちんとしていて、(申し訳ないのですが、実名も所属もわかってしまいました)そういう方なのですから、他職種を貶めるのではなく、こういった震災派遣の際には、いかにうまく連携してやっていけるかという、建設的な提言をして欲しいと思いました。
で、それが事実であるという主張なんでしょうか。
やはりその辺りの説明が聞きたいですね。
多分両職種は水と油のように相容れないんだろうな。
お互いに理解を仕事にしているのに悲しいことだね。
精神保健福祉士と臨床心理士は似ていても深く対立しているんですね。近親憎悪というものでしょうか。
実は知人(友人ではない)に精神保健福祉士がいるのですか、「いつか施設を経営して大儲けしてやる」というのが口癖で、福祉に携わる人がなんかなあ、と屈折している人を見ているようです。
この記事も被災者中心じゃなくて、自分の資格と大学教員というステータスに溺れて言いたい放題という感じですね。
あまりいい印象を持っていない精神保健福祉士への印象がさらに悪くなりました。
そこでは特に専門的なことをするつもりもありませんでしたし、行ってみたらそんなことは二の次三の次くらいだなと思いました。
現地の人たちが必要としていたのは安心できる衣食住とそれを実現できる「金、人、物」だなと痛感しました。
友人の実家の近所の方のおうちの片づけを手伝いました。50代のご夫婦が二人で何から手をつけてよいのか分からず、もう何日も荒れ果てた我が家の中で過ごしているだけでした。「何もする気が起きないのよ」という一言が耳に残りました。
今必要なのは専門家が「連携」とか「傾聴」とか一般の人の耳に全くかかわりのない専門用語の行動なんですかね??各職種のチームワーク云々なんですかね?
現地の人たちの生活の中で共に動く人がどれだけいるんですかね?
専門性以外に役立てることがあるんじゃないですかね?
このブログの管理者の方のことは否定的なコメントをしている方達よりはよく知っています。
理不尽な現状を見聞して黙っていることのできない人だと思っています。
その感じている理不尽さは職種云々ではなく人間の尊厳にかかわることが多いです。
その現実を見て誤解を恐れることなく疑問を提示し、議論することを避ける方ではないです。
いま私たちは特定の誰かや団体や職種を攻撃するときなんでしょうか?
そんなに真偽のほどが気になるなら自分で見てくれば良いのではないのですか?
不確かなネットの情報に刺激されているくらいなら実際に行動すればいいし、それができないならまずは適正に議論する場を持てばいい。
心理関連職にはどちらかといえば否定的な感情を自分は持っています。同様にPSW協会の動き方にも疑問や否定的な感情を持っています。
それは他人の生活に専門性や心理ケアという錦の御旗を掲げて土足で入り込もうとしているからです。
そんなことよりもまず人として、一人間として一緒に現地の人たちと動けばいい。何もできずに途方に暮れている人たちが何万といるのだからと思っています。
長文になってしまいましたが、ここで議論にもならない肯定・否定論をまくしたてているのならまずは一人一人が何を感じているか、何をしてあげたいのかを腰を据えて考えてみるべきなのではないのでしょうか?
と現地行きのバスにこれから乗り込む前に書き込みいたしました。
>管理者様
長文・駄文ご容赦ください。
必要とあらばご削除いただいても構いません。
閲覧者が多いブログで事実を捏造してでも、臨床心理士の評価を落とすことに成功したんたから、管理人の思惑どおりじゃないかな。
記事には臨床心理士への好意的コメントは一つもなく、害意しかないが、それはそう思っているからだろう。
言葉はケースワークにおいては大切じゃないんですか?
心理カウンセラーは疲れてはいけなくて精神保健福祉士は疲れたら何を言ってもいいんですか?
例えば臨床心理士が学会で現代精神医学薬物療法の問題点というタイトルで学会発表したらえらいことになるだろうし、また、日常の仕事でも臨床心理士が精神保健福祉士のケースワークについて、「そのやり方おかしいですよ」とは絶対に言わない。
だけど管理人はそれをやってしまったわけなので。
みんなクールダウンを!
「守秘義務があるから誰から聞いたかは話せませんけど、あそこの福祉施設はひどいですよ」とかソーシャルワーカーはいつもそんな仕事の仕方をしているのかな?
まあそれが常日ごろの仕事のやり方だったらそれが標準的なソーシャルワーカーだと思って納得するけど。
不確かな情報でケースワークされてしまいそうですね。
「誰々の知り合いから又聞きしたんだけど、君にはこういう欠点があるんだよね、直しなさい」とやられてはたまったものではありません。
あなたが現場のソーシャルワーカーでなくてよかったと思いますが、学生は間違った情報収集方法や危機管理の甘さを学ばされて可哀相ですね。
あなたのような精神保健福祉士になったら、相談も援助も制度紹介もお断りです。
間違った考え方や知識を紹介されそうで怖いですね。
こういった救援活動は専門家同士のチームワークが大切だと思うのですが、この人にとっては違うんですね。
まず貼り紙の写真ぐらいあるのかと思って来てみたらないので驚きました。
「臨床心理士はひどいけれども精神保健福祉士はそうならないようにしようね」と伝聞と憶測だけで書いている。
現場を見ない知らないでケースワークができるというのは精神保健福祉士全体の考え方なんですかね。
そう取られてもおかしくないことを言っているわけです。
自分が被災者だったら、この人のチームにこそ支援されたくありませんね。
チーム内で相手を罵倒するようなチームじゃ、いつ自分も見下されてひどい扱いを受けるかも知れない。
あるいは最初から「精神保健福祉士の方が当事者より上」という考え方かも知れませんが。
精神保健福祉士と臨床心理士は協力しながら仕事をすべきであって、安易に他職種を出自不明な噂で批判するのはおよそ学問的態度とは言えません。
今回は精神保健福祉士も多く被災地に派遣されているはずですが、臨床心理士だけが俎上にあがっていて、精神保健福祉士は善なのだという、我田引水の論調に取れます。
精神保健福祉士は卒業後、どんな場面にも対応できる即戦力なのでしょうか。
残念ながらあなたの記事からは、他職種と連携してやっていこうという姿勢は微塵も感じられず、そういう人に育てられていく精神保健福祉士という存在には恐ろしささえ感じます。
独善的で全く他職種と連携ができない、他職種を馬鹿にした精神保健福祉士が量産されていくのでしょうか。
これだけこの記事とサイトが独り歩きしているのですから、このような記事を書いて他職種を侮辱したことについての真意と意図の説明責任があなたにはあるのではないでしょうか。
援助職としては考えさせられる内容でした。
こちらが援助と思っていても、
相手には迷惑になっていることもあるかもしれません。
震災の援助はいいことだと思い込んでいましたが、
改めて考えさせられました。
臨床心理士会はHPを見ると直接派遣ではなく、
現地の教育委員会や行政の要請によって派遣しているようなので
臨床心理士資格の無い「自称カウンセラー」の行為が
今回のような貼り紙につながってるのかもしれませんね。
両職種の対立は根深く、仲良くやれることは不可能なんだなあということをこの記事を読んでいて思いました。
管理人さんもきっと心理カウンセラーを快く思っていないのがとてもよく伝わってきます。
日本の精神保健福祉衛生はこうやって対立が職種間で煽られて、利用者さんが置き去りにされるのかなと。
精神保健福祉士の価値観を垣間見たような気がします。
事実なのでしょうか。
噂が一人歩きしているだけでは?
これだけ多くの人が関心を持っている以上、管理人の方は、真偽を明らかにする責任があるのではないかと思います。
それから、精神保健福祉士というのは、心理カウンセラーとも仲良く働いているのかと思っていたのですが、ちょっと違うみたいですね。
率直な感想です。
精神保健福祉士の人の価値観を垣間見るようでがっかりしました。
現場にいったこともないので経験不足で恐縮ですが、コメントさせてください。
拝見して感じたことは、
①まず、はっとさせられました。友人と話すときひとつとっても、つらいことを声に出すということは、それだけでご本人の負担にかかることで、包帯を巻ききれないのあれば、安易に聞くだけではいけない、日常で気をつけていきたいと、思いました。
②カウンセラーの方に限らず、プライバシーを確保できない避難所の中で、たくさんの人がずっと出入りしている状態であるならば、生活されている方は、とても安静ではない状態だと思いました。
③なかには、本当にカウンセリングが必要な方がいらっしゃるのにご本人も周囲も気がつかず、まったくカウンセラーが派遣されず手が届かないのは心苦しいです。実際の状況がわかりませんが、どこか、避難所の近くに場所を設けて待って、その場所や活動内容の周知を貼紙とか、最低限という形になるのでしょうか。
③をこのページを紹介してくださった方福祉分野の方にお話したら、良いアイデアではないかとおっしゃってくださり、こちらにコメントを投稿させていただくに至りました。
この記事からは、精神保健福祉士からの心理カウンセラーへの蔑視感情が読み取れます。
しかも真偽も定かではない。
心理学は統計に基づいた証明をとても大切にするのですが、福祉は流言蜚語をそのままソースにしてしまう学問なのでしょうか。
あなたは大学教員ですので、学生にも噂話を教えているのでしょうか。
心理カウンセラーが被災地で、どんな辛い思いをしながら仕事をしているのか、全く理解していない記事だと思います。
カウンセリングというのが受容、傾聴が基本のクライエント・センターであるということは福祉の世界では習わなくてもPSWになれるんでしょうか。
心理臨床学会では、今回の震災に関して、デブリーフィングが大変危険だということもガイドラインとして示されています。
http://heart311.web.fc2.com/index.html
細心の注意を払っている関係職種に対してのあなたの見方がよくわかります。
大学でもそういった授業をされているのでしょうか。
大学教員がブログを書くのは自由ですが、ソースない流言を飛ばした以上、実名と所属を明らかにすべきではないでしょうか。
避難してきた子供たちにランドセルと文房具等集めて渡すボランティアをしました。
中にはひどいものがありました。
もしも、自分だったら、それを自分の子に使わせたいかな?
そう考え、自分の責任の下に、使えるものと使えないものにわけ、処分しました。
被災地の人たちに、そんな責任やいらぬ仕事をさせるのは本末転倒ですから。
当事者ではないのですから、すべてを思いやることはできませんし、すべての気持ちに応えることはできないです。
しかも、それぞれが任務を与えられて赴任していくのですから、利害が合致しない場合もあるでしょう。
でも、
もしも、自分だったら、
もしも、自分の家族だったら、
という気持ちを持ち合わせたいですね。
あ、そうそう。
「バカというとバカっていう」・・こだまですか?いいえ、人間です。
でしたっけ?
で、貼ってあります。とは断言してない文章で、キレている方がおられますが。
マスコミお断りの・貼り紙も、現地の方から伺った内容と書いてありますし、
それ以上でも以下でもないお話ではないでしょうか。
そこに、食い付いても仕方ないのでは。。
現場からの声を日記にしたためたには間違いない訳ですし、
これは、実際ソーシャルワーカーを現地に行かせている組織と関わっている方のブログです。
でも、個人的なブログです。
(あなたきちんと、行って確かめてもいない癖に)
(事実をはっきりさせて)
と、言うと、結局、この先生ではない、現地の相談員の実態を話した方に迷惑が及ぶかも知れません。
カウンセラーだけではなく、ソーシャルワーカーは、守秘義務もありますから、個人に迷惑をかけそうなことは
お伝えできないのではと、(個人的には)思います。
加わりつつある、、、、でも、まだ、加わってはいないのなら、改善していくのが先決ではと思います。
龍龍先生にお話をされた方の報告をどう受けとるかは、自由だと思いますが、現地の声に噛みつくより、改善したいところです。
この書き込み、探してもいないのに、インターネットですぐ出てきます。
取材にしても心理療法にしても、相手への配慮は不可欠であるという点で、その通りだと思います。
そして、質問なのですが。
「マスコミお断り」「心理カウンセラーお断り」という張り紙の記述は「事実」でしょうか、それとも「比喩的表現」でしょうか。
「事実に基づいた記述(つまり、本当に避難所でそういった張り紙が貼られていたのを見た)」のか。
それとも、マスコミや技術の未熟な心理カウンセラーにうんざりしている被災者の方がいて、その「事実を比喩的」に表現したのか。
実際に被災者の方から伺ったのではないけれど、技術を持たずに取材や「心のケア」をしようとする人々への苛立ちがあるのではないかという印象をもち、それを比喩的に表現したのか。
お手透きの時にお伝え頂ければ幸いです
よーく読むと、もう一枚、、心理カウンセラーお断りなどの貼り紙が増えつつあるようです。なので、
貼ってあるとは書いていませんね。
心理にも色々な協会がありますし、ソーシャルワーカーにも色々あります。どこも動いているから、心理系だけが責められる話では
ありません。被災者にはカウンセラーとソーシャルワーカーの区別はつきませんよ、多分ですが。
貼り紙の噂だって、相談員を全部、カウンセラーと読んでいたかも知れないんです。
その意味では、似た職種の心理士をあれこれ責めるより、自身が気をつけようと考えるのが先決であると思います。
まことに残念で、管理人様には大変失礼ですが、日本の心理カウンセラーは世界から大きく後れをとっており、成果を出せないでいるのが実態だと思います。
成果が出せないゆえか、日本の心理カウンセラーたちの収入はあまり高くありません。
そういった現状で、付け焼刃のカウンセラーたちをこぞって被災地に向かわせる学会の裏側には、震災を機に地位向上をはかり、収入を増やそうとする意図が透けて見えます。
善意の、力のある心理カウンセラーの方々には日本のカウンセラーとひとまとめにしてしまって申し訳ありませんでした。お詫び致します。
そういう側面があるということは、やはりそういう仕事に就いている人、ボランティアの人は心に留めておくべきことと思います。
だからカウンセラーは不要、ということを述べているのではないことは記事からも分かることで、その点を突いている人々は的外れでしょう。
何より、各所で見られる傾向ですが、このコメント欄でも当事者でない第三者が感情的に主張を繰り広げているのが残念でなりません。
心理カウンセラーに限らず、、、様々なボランティア団体が入っていて、何十回も聞き込み調査をすることになるので、
被災者の人たちが疲弊していると、ボランティアで入った時にお聞きしました。
床に寝ていると、足音もバタバタバタバタ響いてうるさいようです。
臨床心理士、行政書士、弁護士、社会福祉士、精神保健福祉士が、その時、グループを組み、何かする時は2人以上で動きました。
けれど、相談業務にこだわる人や、足音がうるさいと悪いからと、そこの社会資源を拾いにいかないで、結果、ミスもあったようです。
でも被災者の方は、ボランティアの初歩的ミスにも、泣き寝入りというか。。。。クレームを直には入れられず、、、お気の毒でした。
実際、ミスは起こるし誰もが起こす可能性はあります。
名誉や資格にこだわるより、、、そのようなことがないよう、また自己満足で相談業務をしないように、
気をつけたいものですね。。。。
今回ブログは、(こんなことがあったから、、気をつけましょうね)
と言っているだけだと思いますよーー。
他の心理援助職を貶めて、そんなに楽しいですか?
実名と大学名を明らかにしてください。
このままではあまりにも無責任です。
あなたと一度きちんと話をしたいです。
協働してやっていかなければならない心理カウンセラーのことを悪しざまにデマを流して、自分の職種に有益に利するような言い方をしている。
あなたには土木作業をお勧めします。
人に物を教える、人の気持ちを理解することは不可能です。
被災地に行って復興を汗を流してやってください。
何の専門性も感じられないブログです。
被災地の人々がどれほど心理的支援を必要としているか、微塵もあなたは感じていない。
こんなに人格的にひどい人を初めて見ました。
明日退職してください。
まだ3月だったと思いますが、NHK?で心のケア専門の人が避難所を訪れて・・・というニュースが流れていました。
夫は「こういうことしか出来ない人だっているから」と言っていましたが、納得できませんでした。
せめて仮設に入り、三食自炊で食べられるようになるとか、最低限身体的に満たされないと、心のケアなんか不可能だと私には思えます。その貼り紙が本当にあったかどうかは別として、「心のケア”だけ”しか出来ない人」はまだ用無し、ということではないのでしょうか。
ただ善意だけではなく、専門的な技量と覚悟を持った方がボランティアに行くべきだと思いました。
家が残った現地の人たちが中心となって活動している団体のお手伝いをしています。その団体でも、避難所ではマスコミの取材におなかいっぱいであるという話し合いがされていました。同団体では避難所にニーズの聞き取りに行く機会があるのですが、少なくとも複数の避難所でマイクやカメラにかなりセンシティブになっているようです。張り紙があったかは知りません。
実際に、現地ですでに活動中の方々にとって非常に侮辱的な記事ですよ。文末でお詫びしていれば何を書いてもいいという程度の内容ではないと思います。このままでは、「実際にカウンセラーは現地では迷惑がられている」といった内容の情報が拡散していきますよ。感動的なフィクションから、デマが拡散していった例は過去にもたくさんありますよ。結果的に多くの人を傷つけることになりかねませんよ