記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

余命

2008年01月21日 06時53分59秒 | Weblog
昔、診察室で待っていた時、威勢の良い医師が大きな声で年寄りを慰めているのが聞こえました。
「この病気は進行が遅いので心配することありません。この病気で死ぬ前に、交通事故や肺炎など、他のことで死ぬでしょう」と。
僕の場合は、「この程度なら、私なら黄疸だと診断しません。安静の必要はありません」と。
安静を辞めて世の中へ復帰し、しばらく疲労感に悩まされましたが、いつの間にか血液検査の数値は正常の範囲に戻っていました。

「正常の範囲」は統計学的にどれだけ意味があるか、議論しても始りません。
高血圧の範囲が数年前に変更になったとき、製薬会社と一部の医師たちの謀略だという議論がありました。政治的な出来事であるのは否定できないと思います。
医師個人がそれぞれに「正常の範囲」を定め、それを他の医師が尊重するのは悪いことでありません。
患者はいろいろな診断から自分に都合の好いところを選ばなければならず、難しいことになるのですが、それも好いのではないでしょうか。

ホームドクターに便の潜血検査をしてもらい、近所の病院で精密検査をしてもらって下さいということになったとき、病院の医師は「この程度なら精密検査の必要はありませんが、御希望なら」と言って検査に回してくれました。
その結果、「どこの病院で手術しますか」ということになり、また別の病院で結腸ガンの手術をしました。

そこで「術後5年生存確率80%」といわれたのが70歳少し前でした。それから3年経って、「今の余命はどれだけになったか」計算してみようと試みました。
元のデータが統計学的に信頼できない性質のものであることは既に周知だったかもしれません。
術後5年などの概念が、これによって他の計算をする基礎になるように定義されていないことも直ぐに分かります。
いろいろ勝手な仮定を加え、今後1年以内に死ぬ確率、死なない確率を計算し、何年間死なない確率を求め、その結果大体80歳くらいで死ぬだろう、と。
最後の推論は随分いい加減で、どんな勝手な条件を入れたか、もう覚えていません。
人口統計の平均余命と大体同じになったので、「何だ、これは。まあ好いか」と思ったことでした。

工業製品の寿命を計算する方法に、等質の環が直列に繋がっていているというモデルを仮定し、一定期間に、どこか1ケ所が切れる確率を実際の統計から求め、システム全体が壊れる確率の理論値を算出するというのがあります。
実際の故障では、初期、通常期、終末期を大まかに区別しているようです。
人間などの生き物でも同じ推論が行われているようです。
人間の寿命のモデルで環に相当するものとして遺伝子を採っているものを読んだことがあるような覚えがあります。
生命の場合は、環が壊れると修復遺伝子が働くのですが、修復遺伝子が壊れると、これは修復されない。
他の遺伝子を修復するたびに1つ修復遺伝子が減っていき、全部無くなると、それが天寿だ、と。
「人間の場合、その天寿が120歳だ」と。どこで読んだか憶えていません。


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