人体ver 2.0
プログラムできる血液
シンギュラリティが近づくにつれ、人間生活の本質について考え直し、社会制度を再設計しなくてはならなくなる。
遺伝学、ナノテクノロジー、ロボット工学が絡み合って進むことにより虚弱な人体は、はるかに丈夫で有能なバージョンへ変化する。
何十億ものナノボットが血流に乗って体内や脳内をかけめぐるようになる。
それらの人工血液は病原体を破壊し、DNAエラーを修復し、毒素を排除する。
その結果、われわれは老化することなく、永遠に生きられるようになる筈。
既にわれわれの体と心のシステムは、バイオテクノロジーと遺伝子工学の活用によって急速な改良が進んでいる。
ナノエンジニアリングの手法も用いられるようになれば、例えばナノボットによって体内器官を強化し、ついには交換することになるだろう。
リバースエンジニアリングに基づくナノテクノロジーベースの計画の例に、人工赤血球(レスピロサイト)の研究が有る。
赤血球が酸素を運ぶ機能はきわめて効率が悪く、ロバート・フレイタスが設計した人工赤血球はわれわれの赤血球の100倍の酸素を蓄積・輸送できるという。これを用いれば酸素なして何時間も生きられる、と。
心臓は複雑で感嘆すべきマシンだが、往々にして体の他の部分よりも早く駄目になる。
人工心臓への交換も実現し始めているが、もっと有効なのは心臓を完全に取り除くこと。
フレイタスが設計したもののひとつに、自力運動性のナノボット血球が有る。
血球が自動的に流れるのであれば、一点集中のポンプに強い圧力を求める技術的問題は解消される。
ナノボットに酸素の供給と二酸化炭素の除去を任せられるようになれば、肺が無くても生きていける。
もしも呼吸自体が快感だというのであれば、その感覚を再現するヴァーチャルな方法を開発すればよい。
われわれ人間というハードウエアが壊れると、生命というソフトウエアも一緒に消える。
しかし精神のファイルの寿命は、個別のハードウエア媒体の寿命に依存しなくなる。
ソフトウエアをベースとする人間は、今日われわれが知っている人間の限界を超えたものになる。彼らはウエブ上で生きてゆき、必要なときや、そうしたいと思ったときには体を映し出す。
わたしの精神のファイルをベースとする人物、いくつものコンピューティング基板に転々と移り住み、どの思考媒体よりも長生きするその人は、本当にわたしなのだろうか。
シンギュラリタリアン(技術的特異点論者)
意識をめぐる厄介な問題
わたしは誰? わたしは何?
未来の機械は感情や精神を宿すことができるだろうか?
本書が検討してきた第一のシナリオは、2020年代の末までに、人間の脳のリバースエンジニアリングが完了し、人間の脳に匹敵し、あるいは凌駕する非生物学的システムが創造されるだろうというもの。
第二のシナリオは、人間の脳のさまざまなパターンを、非生物学的思考の基板にアップロードするというもの。
第三のシナリオは、人間そのものが徐々に、しかし確実に、生体から非生物学的存在へと変わっていくというもの。
意識について論じるとき、行動科学や神経学でいう意識の相関物の考察に逸れてしまうことが多い。
物質である脳から、いかにして非物質的な意識が生じるかを説明していない。
著者は、いずれ人間は非生物的存在に意識が有ることを認めるようになると信じて疑わない、と言う。
人類がシンギュラリティへ到達した後、テクノロジーと融合したその知能が、地球を離れて宇宙へ到達し、光速の制約を超えて22世紀には宇宙を満たす、と予見。
そうした予見をしながらシンギュラリティを理解し、それが自分の人生にどんな意味が有るか考え続ける、それがシンギュラリタリアンだ、と言う。
プログラムできる血液
シンギュラリティが近づくにつれ、人間生活の本質について考え直し、社会制度を再設計しなくてはならなくなる。
遺伝学、ナノテクノロジー、ロボット工学が絡み合って進むことにより虚弱な人体は、はるかに丈夫で有能なバージョンへ変化する。
何十億ものナノボットが血流に乗って体内や脳内をかけめぐるようになる。
それらの人工血液は病原体を破壊し、DNAエラーを修復し、毒素を排除する。
その結果、われわれは老化することなく、永遠に生きられるようになる筈。
既にわれわれの体と心のシステムは、バイオテクノロジーと遺伝子工学の活用によって急速な改良が進んでいる。
ナノエンジニアリングの手法も用いられるようになれば、例えばナノボットによって体内器官を強化し、ついには交換することになるだろう。
リバースエンジニアリングに基づくナノテクノロジーベースの計画の例に、人工赤血球(レスピロサイト)の研究が有る。
赤血球が酸素を運ぶ機能はきわめて効率が悪く、ロバート・フレイタスが設計した人工赤血球はわれわれの赤血球の100倍の酸素を蓄積・輸送できるという。これを用いれば酸素なして何時間も生きられる、と。
心臓は複雑で感嘆すべきマシンだが、往々にして体の他の部分よりも早く駄目になる。
人工心臓への交換も実現し始めているが、もっと有効なのは心臓を完全に取り除くこと。
フレイタスが設計したもののひとつに、自力運動性のナノボット血球が有る。
血球が自動的に流れるのであれば、一点集中のポンプに強い圧力を求める技術的問題は解消される。
ナノボットに酸素の供給と二酸化炭素の除去を任せられるようになれば、肺が無くても生きていける。
もしも呼吸自体が快感だというのであれば、その感覚を再現するヴァーチャルな方法を開発すればよい。
われわれ人間というハードウエアが壊れると、生命というソフトウエアも一緒に消える。
しかし精神のファイルの寿命は、個別のハードウエア媒体の寿命に依存しなくなる。
ソフトウエアをベースとする人間は、今日われわれが知っている人間の限界を超えたものになる。彼らはウエブ上で生きてゆき、必要なときや、そうしたいと思ったときには体を映し出す。
わたしの精神のファイルをベースとする人物、いくつものコンピューティング基板に転々と移り住み、どの思考媒体よりも長生きするその人は、本当にわたしなのだろうか。
シンギュラリタリアン(技術的特異点論者)
意識をめぐる厄介な問題
わたしは誰? わたしは何?
未来の機械は感情や精神を宿すことができるだろうか?
本書が検討してきた第一のシナリオは、2020年代の末までに、人間の脳のリバースエンジニアリングが完了し、人間の脳に匹敵し、あるいは凌駕する非生物学的システムが創造されるだろうというもの。
第二のシナリオは、人間の脳のさまざまなパターンを、非生物学的思考の基板にアップロードするというもの。
第三のシナリオは、人間そのものが徐々に、しかし確実に、生体から非生物学的存在へと変わっていくというもの。
意識について論じるとき、行動科学や神経学でいう意識の相関物の考察に逸れてしまうことが多い。
物質である脳から、いかにして非物質的な意識が生じるかを説明していない。
著者は、いずれ人間は非生物的存在に意識が有ることを認めるようになると信じて疑わない、と言う。
人類がシンギュラリティへ到達した後、テクノロジーと融合したその知能が、地球を離れて宇宙へ到達し、光速の制約を超えて22世紀には宇宙を満たす、と予見。
そうした予見をしながらシンギュラリティを理解し、それが自分の人生にどんな意味が有るか考え続ける、それがシンギュラリタリアンだ、と言う。