「五十の坂を越すのが一番難しい。同窓の友人がそこで何人も亡くなっている。六十の坂は比較的楽で、これを越えたら後は全く誰も死ななくなる。」以前そんな風に言った人のことが想い出される。
大学も学部も違うが、先日大学の卒業生名簿を貰って同じだなと思った。
小生は既にその全く死ななくなったものの内に入っている。
同期の卒業で「不明」と「非公開」を除くと10名のうち「逝去」は一人だった。
暗黙の常識と著しく違うように思え、少しチェックしてみた。
前後の卒業年次でも、亡くなった人は一人いるかいないかであった。平均死亡率は1割に満たない。変動も小さい。
われわれの10年後は学園紛争で卒業時期が乱れているが、傾向はほとんど同じで、その年次で亡くなっている人は五十代で惜しまれてのことであった。
われわれより5年先になると新制大学卒と旧制大学卒が入り組んでいて、卒業が同期でも年齢の変動が大きい。
その境界にカタストロフィがあるらしく、物故者は一挙に5割になる。
高校の同窓会でも、我々同期の物故者の比率は「不明」を除くと12%くらいであって、全国での統計より有意に小さいそうである。
性別でも平均余命が異なることはよく知られているが、年齢の要因は複雑である。
年齢別の平均余命表を見ると、男性の場合60歳での平均余命は22歳、80歳では8歳。数値の推移は連続的であるが、そこにパラドックスの鍵が窺がえる。
60歳の人は平均して82歳まで生き、80歳の人は88歳まで生きる。
年齢が高くなるほど余命は少なくなるが、今まで生きてきた年齢を加えれば、高齢者ほど長生きする。
死は確実に予定されているのに、ある歳を越えると全く死ななくなるようにも見えたりするのはそのためでないだろうか。
大学も学部も違うが、先日大学の卒業生名簿を貰って同じだなと思った。
小生は既にその全く死ななくなったものの内に入っている。
同期の卒業で「不明」と「非公開」を除くと10名のうち「逝去」は一人だった。
暗黙の常識と著しく違うように思え、少しチェックしてみた。
前後の卒業年次でも、亡くなった人は一人いるかいないかであった。平均死亡率は1割に満たない。変動も小さい。
われわれの10年後は学園紛争で卒業時期が乱れているが、傾向はほとんど同じで、その年次で亡くなっている人は五十代で惜しまれてのことであった。
われわれより5年先になると新制大学卒と旧制大学卒が入り組んでいて、卒業が同期でも年齢の変動が大きい。
その境界にカタストロフィがあるらしく、物故者は一挙に5割になる。
高校の同窓会でも、我々同期の物故者の比率は「不明」を除くと12%くらいであって、全国での統計より有意に小さいそうである。
性別でも平均余命が異なることはよく知られているが、年齢の要因は複雑である。
年齢別の平均余命表を見ると、男性の場合60歳での平均余命は22歳、80歳では8歳。数値の推移は連続的であるが、そこにパラドックスの鍵が窺がえる。
60歳の人は平均して82歳まで生き、80歳の人は88歳まで生きる。
年齢が高くなるほど余命は少なくなるが、今まで生きてきた年齢を加えれば、高齢者ほど長生きする。
死は確実に予定されているのに、ある歳を越えると全く死ななくなるようにも見えたりするのはそのためでないだろうか。