記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

都知事選の後で

2014年02月27日 11時01分14秒 | Weblog
「国の死に方」

奇異な題名だなと感じたが、面白い本でした。
片山杜秀(著)2012/12 新潮新書
著者は政治思想史が専門の慶応義塾大学法学部の准教授。
序章「民族のトラウマ」は新潮45に「<原爆の子>と<原発の子>」として書いたもの。
その他の章も雑誌に連載したもの。単独でも読めるように書いて、重複する記述があるが、筋書きの展開を確認してもらうためにそのままにした、と言う。
クラシック音楽の評論家でもあるらしく、序章には地震速報のチャイム音から映画「ゴジラ」の音楽に至る伊福部の詳細な紹介がある。

この著者を知ったのは日経ビジネスの「キーパーソンに聞く」(2014/02/14)にあった
『「持たざる国」の教訓を学ばない日本;
ネトウヨなど都知事選で明らかになった民主主義国家破綻の兆し』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140219/259988/?n_cid=nbpnbo_top_rcmd&rt=nocntでした。
都知事選のポイントは2つ:
1 脱原発は何故争点にならなかったか。
2 田母神は何故61万票を取ったか。
「安倍政権には円安にして貿易赤字にした方が原発再稼働を説得しやすくなる計算している人がいるらしい。
「円安に誘導しても狙った効果は挙げられないことは現れつつある。
「原発を動かし、工場を動かし、輸出を増やそうとしても、既に生産拠点を海外に移転し過ぎているから、円安によるデメリットの方が大きい。」
「安倍政権が右翼化しているのは、経済成長の頭打ち、少子化、高齢化、人口減少という難局を維持する安上がりな方法として採っているポーズ。
「若い人たちの不満が暴発して反安倍にならないように誘導しようとして愛国心を煽っている。
煽ってもコントロールできなくなると怖い。
「日米同盟を重視し、お金をかけずに日本を守ってもらおうというスタンスは吉田政権と同じ。
安倍政権が軍国政権になる可能性はない。」
「放射性物質の危険性、金融政策の効果、TPPの可否など、専門家の間でも判断が割れていて、一般の国民に総合的判断を委ねられる状態でない。福祉国家、民主主義国家としての機能は破綻をきたしている。」

こうした考え方にどうしてなるかを「国の死に方」は歴史的視点から説いている。
明治憲法は、天皇を超える存在が生じないように縦割りの国家組織を作って権力を細分化した。
その結果として1945年8月9日になっても、本土決戦の準備ができているのか、一億玉砕するのか、国体を護持できるのか、誰も判断できなくなり混乱する。
平時なら天皇が誤った判断をして権威を落とすことのないよう、自らは権力を行使しない。
そして非常時、深夜の御前会議でも決着が付けられず、発動してはならない筈の「聖断」で例外的に権力を発動し、戦争を終結。

今また、そうした閉塞的状況が再現されつつある、というのである。
1954年に封切られた映画「ゴジラ」は今日の日本の危機的状況に奇妙なまでに類似していると指摘している。
太平洋の海底で生き残っていた恐竜が水爆実験で被曝し突然変異で巨大化する。
最初は海底火山の噴火を思わせる地震と地鳴り。
暴風雨の中、伊豆諸島の漁村を破壊。
そして口から火を噴き、全身放射能まみれのゴジラが日本に上陸してくる。
ゴジラは大空襲、大震災、大噴火、大風水害。戦争と自然災害を兼ね、原発事故を予言している。
非常事態に責任をもって対処する大臣は登場しない。
国会の委員会は2人の博士の報告を受け、国民が混乱するから情報は伏せろと主張。
対策は民間企業に任され、ゴジラを高圧送電線に誘導して感電死させよう、と。
ゴジラは放射能を帯びた高温のガスを高圧線の鉄塔に吹きかけ溶かし、銀座、官庁街を壊し、被曝した首都が残る。
最後は在野の科学者が人身御供になって日本が救われた、とか。

今では小さい子の玩具にまでなっているゴジラの話が、何故この本の最終章になり得るのかと思わないでありません。
「原発事故は想定外だった」が自己欺瞞でしかないことは既に明らかです。
「1000年に一度しか起きない不可抗力の自然災害だった」も言い訳でしかありません。
台風や地震はいつものことだからと感じる心性でしか説明できないかも知れません。
核廃棄物を最終的に埋めるべき処分場は火山から150キロ以上離れているべきという基準を経済産業省の委員会は決めたが、そういう場所を日本の中に見つけることは出来なかったというニュースがありました。
同時に原子力発電をベース電源とすることを閣議決定したというニュースも。
政策の立案者たちは、互いに齟齬があってもそれぞれに今まで通りの方針で行くことしか決められないようです。
「歴史は繰り返す」、「初めは悲劇として、二度目は喜劇として」は誰でも知っています。
それでも、今の日本が100年前のファシズム台頭期の状況に酷似していると言われれば「まさか」と思ってしまいます。
そんな心性の我々が、ゴジラは玩具でしかないと思うならオコガマシイことでしょう。

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