記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

パラドックス13

2014年05月22日 11時30分29秒 | Weblog
書店で講談社文庫になった東野圭吾の「パラドックス13」を見かけ読んでみました。
帯に「これからの13秒間は何も起こしてはならない」とあり、この世界の謎を解く鍵は数学的矛盾(パラドックス)にある」とあり、どんなパラドックスだろうか、どんな鍵だろうか、と思ったからでした。
「読み始めたら止まらない」とか「禁断のエンターテインメント、ついに解禁」などとも有りました。
他にもいろいろ宣伝文句が有りましたが、それらは読んでみないことには意味のない文言でした。

読み易く、何時もより速いペースで読み終えたから、面白かったのかと自問すれば、面白かったのだと思う。
ただ、肝心のところが分かりませんでした。
何がパラドックスだったのか。数学的な鍵とは何を指しているのか。

サスペンスなら誰が犯人だったかを未だ読んでいない人に言ってはいけない。
この本は犯人探しの小説ではないが、読んでいて興味を抱いたセリフなどについて書き抜いて人に知らせたらルール違反になるような気がします。
表紙に紹介している範囲でのことなら書いても許されるだろうか。

世間の人々は突然消えたが、読んでいて想像されたのは、消えた人々は何処か別の世界に移って生きているのではないか、ということ。

読み終えて翌日、たまたま読んだネットの記事に精神科医が著した書物に「あいまいな喪失」という概念がある、と。
「いるのにいない」というパラドックス。

小説のパラドックスもこれと同じで、「死んだのに生きている」ということだったのではないか、と。
登場人物たちは自分が死んだという認識がないという設定だから、それがパラドックスだとは文中に書けなかったのかも知れません。
あるいは、書いたら面白くなくなる。

数学的な鍵については何も書いてないが、並行宇宙論のための数学と言ったところだろうか。
そんな数学が有るのか無いのか分からないが、この宇宙と並行して沢山の宇宙が有り、その一つにわれわれと全く同じ人間がいるかも知れない、と。
アシモフの世界。
そこにもう一人の自分がいるということについては、今の宇宙物理学は否定的だが、その宇宙がどんな世界かはいろいろなSF小説の種になっているらしい。
これがそのひとつだと言ったら犯人暴露と同じになるだろうか。

小説に没頭している読者は登場人物と同じように人物の多重性を認識しない。
だから小説の題名すら飲み込めない。
世界が複数あって、それぞれに存在する自分は同じ自分ではないというようなことを述べた件が一か所有ったが、軽く触れているだけだった。

「あいまいな喪失」の概念は、認知症になって人格が変わってしまった人に対する家人の心理を、元気だったころの人間としては既に存在していないという喪失感と、しかしその人は死んでしまったのではないという現実認識との重なりだとして理解しようとするものらしい。
認知症患者の周囲の人にとってはそれで良いかも知れない。
われわれ高齢者のように既に多くの記憶を失い、知覚器官と運動器官とが機能損傷し、自分の人格の変容すら否定できないでいる者は、認知障害こそ自覚するが、それをそうした人格の多重性だとして認識できるだろうか。

小説に埋没した読者の自己弁護のような感想です。


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