記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

プラチナデータ

2015年01月11日 15時03分46秒 | Weblog
本の中にも「デ・ジャ・ブー」が有るのだろうか。
幾つかの場面で「ここは前に読んだことがある」という気が生じました。
東野圭吾のプラチナデータが文庫本で出ているのは書店で見て知っていましたが、立ち読みをした記憶は有りません。
まして全部読んだが、加齢性認知症ですっかり忘れていたのではないかというのでも有りません。
映画化されてTVで見たというのでもない。
東野圭吾のサスペンスでなく、宮部みゆきの作品で同じ場面が有ったのだろうかという印象でした。

面白い本だったので、「デ・ジャ・ブー」とは何だろうとかを含めて詮索は全部読んでからということにし、比較的短時間で読み終えました。
犯人を当てる気になったのはストーリーが犯人を炙り出しはじめた頃からで、以前に読んだりしていたなら、もっとはやくに分かっただろうにと思います。

ネットで検索してみるとアラスジを紹介したりしているブログなどが幾つも有ります。
映画化についてもスタッフのことなどいろいろ詳しい紹介が有ります。
ロケ地などの写真が沢山載っていて、それはそれで面白く、DVDを借りて小説と比べてみたくなりました。
ネットの情報があまり詳し過ぎたためか、小説との対応にまごつき、映画の筋書きを素直に追えませんでした。

映画化するためにストーリーの流れが変わるのは当たり前かもしれません。
しかし驚いたのは精神科の主治医が男でなく、女になっていたことです。
その辺から作品は全く異なるバージョンになっていたと思われます。
東野はいつも映像化を前提に執筆しているようですが、実際に映画化するときには作品を大幅に変更することも認めているようです。
犯人も違ってくるのですから大きな変更です。
主人公が二重人格になったととき、どっちの人格が現れたのかも違います。
どうでも良いことかも知れませんが、小説には簡単な後日談があり、映画にはそれが有りません。
小説版と映画版と、どっちが良いかは意見の分かれるところでしょう。

蛇足ですが、読み終わってから本の帯のキャッチフレーズが気になりました。
「信じられるのは、科学か、自分自身か・・・。」とありますが、本文にそんなこと書いてあっただろうか。編集者の勝手な解釈ではないだろうか、と。
犯人捜しを別にすれば、作品のテーマは個人情報の保護という問題です。
それを極端に具象化するものとして作者が創作したのがDNA捜査システムというSF的な国家プロジェクトです。
国家が国民全員にそのDNAを登録させ、データベースを作り、それを利用して犯罪捜索に利用しようというのです。
賛否の議論が有ってDNA法案が成立するのですが、その過程は原発再開の議論と政治家たちの工作に通じるものでした。
小説の影のテーマは原発問題なのかも知れないと思うのです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿