記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

あの頃 ぼくらは アホでした

2014年12月03日 08時36分26秒 | Weblog

面白い本でした。すらすら読めます。
1998年第1刷とありましたから「今ごろ何で」と言われるかも知れません。
食卓に上に出しっぱなしにして全く読まない日も有ったり、途中なのに巻末収録対談の「怪獣少年・・・」を読んだりしていて、面白いもすらすらもないのですが、・・・。
先ず、題が気に入りました。
僕自身しばしば心中で「あの頃はアホだった」とつぶやくことがあり共鳴するものを感じます。
後期高齢者になり夜中に目が醒め「あの頃」を思い返し、「今ますますアホになったな」という意識が堂々巡りし、そして「まだ早いけれど起きるか・・・」となります。

同級生の名がW田、M山君などとあると、和田、丸山君と読み替え、当たっているかどうか知る由もないが、クイズを解いたような気になって読み進みました。
大阪F大学を受験して失敗するのですが、F大もFは略歴を読むまで分かりませんでした。
彼らを取り巻く社会の息吹が活き活きと伝わり、東野圭吾の「あの頃」とわれわれの「あの頃」との間には数世代の開きが有る筈ですが、読んでいる間に彼らの「あの頃」がわれわれの「あの頃」になります。
恐竜映画についての克明なコメントには感心しました。
著者はビキニ環礁での水爆実験については何も述べていませんが、そこで生まれた「ゴジラ」は成長・変貌を続け、当時の世相から福島の原発事故で混乱している今日までを繋ぐシンボルになっているのだと思いました。

東野圭吾に「真夏の方程式」というのがあり、大変面白く、これは一気に読みました。
もっと東野の本を読んでみようとして「あの頃・・・」に出会ったのでした。
これは2010年第1刷ですが、既に文庫本になっています。
TSUTAYAへ行ったらDVDにもなって沢山並んでいるのを見て驚きました。
1階の書店をぶらついていたら小さい子の手を引いて若い父親が地下のレンタル店へ降りて行ったので僕も覗いてみて知りました。
一転、大勢の小さい子たちと若い人たちが元気にしていて、「異次元」とはこういう空間のことかと思いました。
オワッテいるTVを嫌って人々はこういうところへ集まってくるのだと実感しました。

「あの頃・・・」にはマクスウェルの方程式がチンプンカンプンだったので自分たちは似非理科系という話が出てきます。
しかし「真夏の方程式」には「方程式」という語は一度も出て来なかったと思います。
どうして「真夏の方程式」という題なのか分かりませんでした。
ちなみに宮部みゆきの「ソロモンの偽証」の付録に「負の方程式」という短編が有るそうです。
作家や編集者は「方程式」という題で読者にどんなイメージあるいはインパクトを与えようとしているのか考えてしまいました。

「真夏の方程式」では、「博士」が小学5年生の夏休みの自由研究としてペットボトルロケット発射実験を一緒に行います。
最後に別れるとき、殺人事件に巻き込まれた少年の将来を慮る「博士」は、実験のデータを渡しながら、「現代科学には解けない謎がある・・・」と話します。
少年が大きくなってから自分の行ったことを理解して苦しむのではないかと心配してのことですが、その話こそが著者の「方程式」論だと、読み返してみて納得しました。


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