記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

記録の寿命

2007年06月16日 12時53分29秒 | Weblog
もう随分昔のことである。
法文1号館(元は法文経1号館)のジメジメした小さい中庭が、いつの間にかスッポリ嵌るようにして書庫になっていた。
写真はGoogle Earthでコピーし一部をクリップしたものである。
上空から見ると当時からこうだったかわからない。

大学はどこも書物の保存と管理に四苦八苦している。
規模こそ違うか、われわれ個人も本や記録の始末に何時も思案する。

鍵を借りて入り何層かの階段を登って見て回った。
太平洋戦争の最中に疎開先で消失したのではなかったかと思われた本もあった。
革の背表紙はボロボロで外落ちるばかりだった。
そっと開くと紙は中まで変色していた。

ドイツ語の花文字は1年生の最初から覚えまいと決めていたし、
2年生のゲーテやショーペンハウエルのテキストはチンプンカンプンだった。
ボロボロであろうとなかろうと猫に小判と思わないわけに行かない。

酸性紙は印刷して100年保たないからいけないという議論があった。
保存だけのためなら、どんな紙での印刷も最近の媒体に比べれば良く長持ちする。
眼で見て読むのであれば、どんなに薄くなっていても、どんな字体でも、大概判読できる。

直ぐに困るのは紙以外の媒体である。
技術の進歩に応じて規格が目まぐるしく変化し、
記録を再生するために必要な機器が絶えてしまう。

磁気記録はその典型である。
規格変更の度に新しい器機を用意し、
使用法を学ばなければならなかった。

それでも、新しい方式は大概今までに無いメリットを齎してくれる。
HDDやDVDによるTVなどの映像記録は、
われわれの記憶がどのように薄れたり、変わったり、消えたりするかを
アリアリと示してくれるだけでも面白い。

われわれ人間自身の、一人ひとりの内部記憶はどんどん消えていくのが定めである。
それを補う外部記憶もいつかは消えざるを得ない。
しかし、せめてわれわれの寿命ぐらいの間は、使用に耐えるものであってほしい。

アナログ方式の規格からディジタル方式の規格への転換は、
おそらく今までのどんな規格変更より大きなハードルになるのではなかろうか。
特に年寄りには厳しいところがある。

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