記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

解離反応

2007年12月25日 11時07分09秒 | Weblog
人より少し遅い定年だったが、それから1年2年と数えるようになると当然のように自分を老人と呼ぶようになる。
周りを見ると如何にも老人だという姿ばかりがあり、自分も同じだと思わない訳にいかない。
客観的には、それが正しい自己認識だと言うべきだろう。
しかし、本当のところは、どこかで20年くらい数え間違えしているかのような気がフッとしたりする。
50代のときには10年の数え違いがあるような気がしたりしたが、70代になると20年のズレに拡がったようである。
こういう感覚は、いわば解離反応だと思う。

人より遅いという言い方は曖昧であるが、この場合はその辺に理由があるかも知れない。
帰属集団あるいは参照集団がどれだけあるか定かでないが、それぞれ活動の種類が異なるだけでなく、活動性の水準やスケールが異なる。
何かが切掛けでフッと局面の変化があると、自己認識の枠組みとなっていた帰属あるいは参照が切替わり比較の水準やスケールが変わる。
そうして、今更ながら自分が老けたように、あるいはまだ若いように思えたりするのかも知れない、と。

解離は難しい言葉だ。今日の心理学ではほとんど用いられていない。
しかし隣接する精神病理の診断学では解離性障害の用語が熟して関心を集めている。
これを横目に睨み、少し距離を置きながらも精緻化を探り、われわれの認識の再体制化を図るべきだろう。
心的要素の連合や統覚などの考え方があった時代には、解離の概念も生きており、連合あるいは統覚の逆の過程として不可欠だった。

要素主義批判の洗礼を経て統覚などの概念が消えたとき解離の用語も見かけなくなった。
認知主義心理学がバインディング現象として統覚過程を復活させたが、解離の復活はまだらしい。
バインディングと統覚の違いは、心的要素を貼り付けるカンバスについての言及があるかないかであろう。
要素的心像を貼り付ければ、カンバスは心的時空として認識できる存在になる。
認知アプローチには逆過程がなく、解離もバインディング現象である。
通常のバインディングでは変哲ない情景が描かれるだけだが、調和や統一のない難解な光景が描かれる場合もあるだろう。
その極端な場合が、心的障害を持つ人が描いた絵画のようになったりするのではないだろうか。

錯視の類を説明するのが目的なら解離の概念を持ち出す必要はないかも知れない。
このまま自分の歳が分からなくなるわけでもない。
しかし、時間のスケールに狂いを感じるようになったら節制を心がけないといけないかも。


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