記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

私説 認知症

2007年09月29日 21時02分59秒 | Weblog
嘗て精神病と神経症の違いは、周囲の人を苦しめるか、本人が苦しむか、にあると聞いたことがある。
今では神経症の概念も精神病の診断基準も変わってきて、そのような区別は適当でないかも知れない。しかし精神障害の現象的特徴として誰がどのように悩むかは無視できない。

認知症という精神障害では、周囲の人の苦労が常に問題になるが、当人の苦悩が問われることは少ないようである。
人は認知症になることで悩むことから開放される、あるいは悩みから逃れるために認知症になるとまで言われたりする。
しかし認知症というラベルが付く前には、自分の障害として本人が悩みを負っている時期があることも否定できない。
その悩みが何かを境にして本人のところから周囲の人々へ一挙に移動するなどということもあるわけ無い。
本人の悩みと周囲の悩みとは、内容あるいは質に違いがあり、本人の悩みは周囲の人がどうこう出来るものでないために不問になっているということだろうか。

本人が自覚する認知機能の障害は、人や物事の名前が思い出せなくて滑らかに話ができなくなるとか、何をしようとしていたのか忘れて最初からやり直さねばならないとか、に始まる。
それが頻繁になれば人に迷惑を掛ける機会も多くなるであろう。それでも、それは単に誰にでもある老化のひとつとして、暫らくは特に問われることもない。
それが自分の悩みになるのは、老化の進行に不安や恐怖を抱くようになってからである。名前の度忘れの反復だけで不安や恐怖が生じることは無い。

日常では人や物事が何であるか分かり、その名前が言えれば大概支障ない。認知とはそういうことだと限定すれば、人や物事の記憶が認知にとって一番大きい問題である。
しかし新生児や乳幼児の時期にまで遡るなどして認知の成り立ちを考えるなどすれば明らかなように、その根底には自他の区別、物の位置関係の知覚、事の後先の認知という問題がある。
成長の過程でそうしたことが可能になれば、その能力は常に安定して機能するかというと、そうでない。長じても色々な機会にその変調が起きる。
眩暈はその単純な例である。激しいスポーツなどによって、むしろ好んで変調を求めることすらある。

精神病理ではオリエンテーションの障害として、空間関係認知の障害と時間関係認知の障害を括って扱っているようである。
多くの認知症の患者で顕著な問題行動とされる徘徊はオリエンテーションの障害と不可分である。
自分の老化の先行きを考えて一番心配なのは、このオリエンテーションの障害でなかろうか。
今日が何日か何曜日かが分からなくなるのは物事の名前が思い出せないのと同じで、オリエンテーションの障害とか喪失とかではない。そのために約束を違えたりする事があっても、直ちに不安や恐怖になると限らないからである。
昔のエピソードを思い出して、その後先や脈絡が思い出せないという場合はその喪失に近い。
そうした経験を繰り返しているうちに、いつか自分がどこにいるのか分からなくなるのではないかという不安が生じる。

若くて健康な頃に誰しも一過性のオリエンテーション喪失を何度か経験している。
例えば、地下鉄から地上に出て東西南北が分からないときである。何も考えなくて歩き出す楽天家もある。遅かれ早かれ方向間違いに気付くのであれば不安でも恐怖でもない。
しかし、それは将来あるかもしれない自分の認知症の疑似体験である。
こうした体験に重なるようにして認知症の近親者や隣人と接触する機会が多くなって、われわれは自分の老化で生じる認知症を予見するようになる。

オリエンテーションは人や物の在り様やその動きあるいは変化を知覚するという経験を通して成り立ったものである。
それは、人や物の心像を形成し記憶するための枠組み、あるいはバッファーメモリのような働きをする。
もし始めから世界の何処にも何も存在しなかったら、オリエンテーションは生まれなかったし、そもそも「世界」とか「何か」などの無定義な言葉を使って「存在する」とか「存在しない」とか言う論理も成り立たなかったであろう。
そこに何も無い空間や時間が存在するかのように仮定した推論まで出来るのは、発達の早期段階にオリエンテーションを形成し、成長とともに発展させてきたからである。

人の名前が思い出し難くなるのは枠組みが緩んできたからである。
認知ための枠組みは、人が家族をはじめとする群れあるいは社会の中に自分を位置づける基礎であって、その崩壊の予見は恐怖でしかない。
自分が何処にいるか分からなくなり、家族の顔も認知できなくなるのはオリエンテーションが壊れ、知覚のためのメモリバッファーが機能しなくなるからである。
これが周囲の人に認知症として知られるようになる頃には、本人はもしかしたら不安や恐怖を感じる機能すら失っているかもしれない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿