タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

サンタさんは本当にいる?クリスマスケーキは和食?

2018年12月21日 | Weblog
「サンタって本当にいるの?」
来た来た来た!うちの息子が質問してきたーっ!!

「坊主、それは難しい話なんだなあ。」と、ダンナーもため息をつきました。
久々の登場なので、ダンナーをご存じ無い方に説明すると、一般社会においては夫という名前で呼ばれる、見れば幸福を呼ぶという珍獣で、普段は妙に物知りなのですが、その生態は未だに謎に包まれているのです。

さすがのダンナーもため息をつくとは。
そんなため息つきながら、やれ「今年のクリスマスはサンタさんがなにをくれるのかなあ。坊主。」とか「いい子にしないとサンタさんは何もくれないだろうなあ。坊主。」とか言っているダンナーの、サンタさん利用回数のなんと多い事よ。
でも、タミアは知っているのです。正解まで5,4、3、2、1。
「サンタさんは本当にいるのだー!!」

音響効果に「あ~ああ~」と民族音楽的ボーカルを入れたいところですが、さすがにやり過ぎだとチコちゃんファンに叱られるので、ここら辺で止めます。チコちゃん大好きで応援してるタミア一家です。

「変だなあ。タミアは以前、ツタンカーメンの豆の第二弾のブログにだなあ・・・」
「わーっっ。それはそれで後で説明します。」
「ママ、慌ててどうしたの?本当の話なの?」
「うん、うん、本当にいるよ、坊主。」
「でも、フィンランドとかグリーンランドとか、カナダとか、みんなめちゃくちゃ言ってるの~。どれが本物なの?」
うっ。そう来たか。

「心配になるのも仕方ないんだなあ。1957年に「グリーンランド国際サンタクロース協会」が設立されたんだなあ。協会は、北極圏にいる400歳の長老サンタと連絡を取っているのでこっちが本物だと言っているんだなあ。」

おお、ダンナーよ、この場面でそんな詳しい知識を。それは、後ろから矢を打つ発言だよ。君は本当に幸福を呼ぶ珍獣なのかっ。

汗かきかき説明します。「えーと。フィンランドにもサンタさんはいますが、フィンランド政府公認ではありません。自治体や民間団体の公認だと言っていますー。」
「ママ、じゃ、それは偽物なの?」
「えーとですねえ~その昔、東ローマ帝国の小アジアに守護聖人のセント・ニコラウスさんという方がいましてね。」
「今で言うトルコあたりの人なんだなあ。」
「そうなんです、ニコラウスさんは、冬のこのころにお金がなくて困っている娘さんにお金をプレゼントしたのです。そこら辺の詳しい話は、子供向けの本などにも書いてあるから、説明は、はしょります。」

「ママ、その人と、サンタさんはどういう関係があるの。」
「ニコラウスさんが行った親切な行いの話は、世界の各地に伝えられて、世界各地の民話や伝説と結びついて、それぞれ各地で変化した訳ですね。
その後、英語圏を中心に、現在のサンタクロースさんに近いイメージにまとまったんですね。北極圏に住んでいるとか、トナカイのそりに載るとか、そういうイメージが固まったのは割と時代としては新しいのですね。さらに、赤い服というイメージはコカコーラの広告で有名になったのね。」

「ということは、作り話なの?」
「そんなことは言ってませんよ。ニコラウスさんの善行を見習って、世界各地でも、昔から地域のお金持ちが匿名で、プレゼントを配っていたらしいです。
なので、もとはキリスト教の話だったけど、今では世界各地の宗教に溶け込んでいるので、どの宗教の子でも、願えばサンタさんが来てくれます。」
「だから日本にも来てくれるんだなあ。日本にも明治時代から来てたんだなあ。」
おお、応援ありがとう、ダンナー。

「サンタが日本に来るようになって、大正14年の三越のカタログには、クリスマスに親が子にプレゼントするための人形なども載っているんだなあ。大人達もクリスマスを楽しむようになったんだなあ。コラムニストの堀井 憲一郎先生がNHKで去年の12月12日に解説した話がによると、昭和5~6年頃の日本では、大人達がカフェーやダンスホールで踊って過ごすほど、クリスマスのイベントは日本にすっかり定着してたんだなあ。最近の渋谷のハロウィンとどこか似てるんだなあ。」
「戦前から日本人はクリスマスを楽しんでいたのね。それにイチゴショートのクリスマスケーキも実は日本生まれなので、日本のクリスマスは、もうすでに、日本文化の一種です。」

「えー?クリスマスケーキを食べるのは日本人だけなの?」
「そうは言ってませんよ~。イギリスはクリスマスプディング、ドイツはシュトレン、イタリアはパネトーネ、フランスはブッシュドノエル、欧米には様々なクリスマスケーキがあります。ただ、私たちが食べているイチゴのショートケーキのクリスマスケーキってのは、日本独特の和風文化なのよ。」
「ショートって英語でサクサクするって意味なんだなあ。本場イギリスのショートケーキは、外側がサクサクする舌触りなんだなあ。」
「ええ!!どうして日本だとふわふわなの!?」

「お菓子研究者の猫井登先生の著書「お菓子の由来物語」によれば、イギリスやアメリカには、クリスマスとは無関係に、shortcake というケーキがあるの。外側がサクサクしたビスケットのような生地に、イチゴと生クリームでデコレーションしたケーキね。
日本で最初にショートケーキを作った人については複数の説があって、コロンバンの創始者門倉國輝先生がフランスで修行して帰国して大正13年に創作したという説と、不二家の藤井林右衛門先生がアメリカで修行して帰国して大正11年に販売したという説が有名です。」
「どっちが本当なの?」
「猫井先生によると、ショートケーキはイギリスとアメリカのお菓子なので、アメリカ帰りの藤井さんの方が説得力があるし、不二家はケーキの側面にクリームを塗らないところも本場のショートケーキに似ている、ということですが。」
「本場のアメリカで修行したなら、なぜ本場のサクサクのケーキにしなかったのか、謎なんだなあ。むしろフランスで修行した藤井先生説の方が筋が通るんだなあ。」
「うん、そこは難しいところで、日本人はふわふわした食品を好むからサクサクからふわふわに変化したんだという説もあるし、いろいろな説が他にもあるけど、これだと断言できる資料が見つからなかったので、いつか見つかったら教えるね。」

「大正時代にイチゴショートケーキが日本のクリスマスケーキになったの?」
「それは違います。大正時代は12月にイチゴをケーキに載せられません。」
「イチゴはもとは春の食べものだからだなあ。しかも昭和に入るまでは高級食材で、庶民は滅多に食べなかったんだなあ。
勘違いして『日本人は平安時代からイチゴを食べてる』『清少納言も食べてた』と雑誌に掲載されることもあるけど、古文献のイチゴは木イチゴ(野いちご)のことだなあ。現在僕らがイチゴと呼んでる食べものは、もとは江戸時代にオランダイチゴと言う名前で日本にやってきた珍奇植物だったんだなあ。」

「明治後半に、静岡県で太陽熱を利用した石垣栽培が開発されて、大正時代には冬にもイチゴが収穫出来たそうよ。でも貴重な珍しい食品。大量生産せずに1個1個丁寧に包装して千疋屋など高級果物店に売っていました。
江戸時代にナスを促成栽培して冬に高級料亭に出したほど、江戸文化では旬を外れた「初物」を珍重したの。江戸町民の間では初物食いの自慢話が人気で、現代で言えばリア充話をSNS投稿する感覚に近いかも?そういう日本の伝統文化のためか、明治、大正時代の促成イチゴは貴重な高級品として珍重されていたのね。
1個1個包装して売る商品だから、大正時代にケーキに何個もイチゴを載せるのはあり得ない話ね。」

(石垣イチゴの話は論文「石垣イチゴ地域にみる農村空間の商品化一静岡市増集落を事例として-」新地理56-2 2008年に載っていますので、関心のある方はどうぞ~。)

「ママ、じゃ、昔の日本のクリスマスケーキは何を載せたの?」
「それが・・・・実は、明治43年に不二家がクリスマスケーキを発売してます。」
「はあ!? さっき、『ショートケーキは大正時代』と言ったじゃないの?」
「そう、つまり、日本の最初のクリスマスケーキは、ショートケーキじゃ無かったんです。冷蔵庫もほとんど普及してない時代で、生クリームを使うと日持ちがしないのです。だから当時は保存の利く、バタークリームというのを塗ったケーキだっだそうです。」

「いつごろどうして、ふわふわイチゴショートケーキに変わったのか謎なんだなあ。」
「そうよねえ。生クリームケーキは日持ちしないから、昭和40年代半ばまでのクリスマスケーキは、ほとんどがバタークリームです。上に載せていたかざりも、赤く染めたドライチェリーなど、様々なものを載せていたと聞きます。

例えば、昭和40年に塩月弥栄子先生が書いた「花所望」には、当時はクリスマスケーキセール合戦がどこでもあったそうで、いろんなサイズ、形、色のケーキがあったそうです。

タミアのうちでもね、昭和50年代にバタークリームケーキが手に入ると、おばあちゃんが、『なつかしいわ。昔はこれがケーキだったのよね。』と言っていました。もう50年代には、バタークリームケーキは珍しいケーキでした。」

「すると、生クリームに変わったのは昭和40年代後半なんだな。」
「実は昭和40年より後で一時的にクリスマスケーキ人気が下火になったの。そこで、有名なクリスマスケーキ製造会社が協同して、44年11月に東京都内の消費者に、クリスマスケーキについてアンケート調査したの。
そうしたら、「バタークリームが甘いので好きではない。」との回答が結構多かったのよ。このころ一部の高級洋菓子専門店では、生クリームケーキやショートケーキを売り始めていたので、アンケート回答には、クリスマスケーキを買うよりも専門店の生クリームケーキやショートケーキを買う方が良い、という声まであったの。このアンケート結果を契機に、クリスマスケーキはバタークリームから生クリームのショートケーキに変化したのかもね。」(アンケート調査は、業界雑誌「pain」1970年2月号に掲載されました。)

「イチゴがはじめてクリスマス時期のケーキにのったのはいつなの?」
「まず、日本人がたくさんイチゴを食べるようになったのは昭和30年代で、関東地方では「ダナー」という品種が春の味覚として広まりました。「ダナー」はすっぱいので牛乳とお砂糖をかけてイチゴミルクにして食べる人が多かった、と年配の方から伺いました。関西は「宝交早生」という品種が広まり、はじめは春の食べものでしたが、後でクリスマスに収穫出来るようになりました。

 それより前に、静岡や神奈川ではかなり昔からビニールハウスと「福羽」という品種を使って晩秋から冬にイチゴを収穫していたけど、これがクリスマスケーキに載った最初のイチゴだとする証拠は見つかりませんでした。ケーキには、実がつやつやしたきれいな赤い円錐形で、クリームの油脂に長時間触れても柔らかくならないイチゴが良いの。だからクリスマスの時期に収穫できることと、ケーキに載るのは別の話なのよね。

 いつどの産地の何という品種がきっかけで「イチゴショートのクリスマスケーキ」が誕生したのか、たくさんの資料を調べましたが、これで間違いない、とはっきり言える資料が見つからないのよ。またいつか調べて分かったら教えるね。」

「クリスマスにイチゴが大量生産されて、普通の家で買える金額になったのは「宝交早生」などの品種を「山上げ栽培」して、ビニールハウスでアブに受粉させる方法ができてからだなあ。ビニールハウスは昭和30年代は高価だったけど、昭和40年代にはすっかり当たり前の道具だなあ。
 一部の品種は、夏に標高の高いところに苗を持っていくと「冬が来た」と勘違いするんだなあ。その後に山から下ろして平地でビニールハウスに入れると、「春が来た」と思って実をつけるんだな。これを「山上げ栽培」というんだなあ。ダナーはこれができないけど、宝交早生など、一部の品種はこの方法が出来るんだなあ。」

「じゃ、クリスマスのイチゴショートケーキが日本中に広まったのはいつなの?」
「はっきりした年は今回は特定出来なかったけど、45,6年よりもあとということになるわね。ママが物心ついた昭和50年代は、イチゴショートケーキはすっかりクリスマスの定番でした。」

「イチゴのケーキが人気になったのはなぜなのかなあ。イチゴじゃなくても良かったような気もするんだなあ。」
「これは想像だけど、初物を非常に縁起が良いといって喜んで食べる伝統と、紅白の色をめでたがる伝統文化の影響だと思います。白いクリームに初物の赤いイチゴというのは、日本人の伝統的美意識にぴったりはまったんじゃないかしら。そのあとで栽培方法の研究がさらに進んだので、平成10年代には、12月はじめから普通のスーパーに並ぶようになり、クリスマスのイチゴは初物ではなくて旬の食べものになったわね。」

「おもしろいんだなあ。2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録された時に、yahooニュース欄に、クリスマスケーキは和食?という記事が載ったんだなあ。ユネスコ登録文書で、和食の特徴の一つは、行事の時に季節のたべものを食べる習慣、と定義されたので、『クリスマスケーキは和食ですか』と記者が農水省にインタビューしたら、担当者は『個人的には和食ではないと思うけど、たしかにユネスコ登録の和食の定義に合っているので、和食と思う人がいたらそれはかまわないですよ。』という内容のお返事だったんだなあ。」
「イチゴショートケーキのクリスマスケーキは日本人の発明だし、キリスト教とは全く関係なしに季節の風物詩となって日本の伝統美学と完璧にマッチしているから和食としてもOK!なんだかイキな回答だわね。」

「パパママ、それで、サンタさんは本当にいるの?」
はっ!!説明が遅くなってしまった。
「えーとですねえ、北極に近いどこかに家があるそうで、デンマーク領グリーンランドやフィンランド、カナダ、などの説があります。一説によれば、過去にはフィンランドやらスウェーデンやらあちこち引っ越ししてるそうだし、カナダの郵便局でも、本当のサンタさんの住所を隠しつつ、子供達からのお手紙を転送してくれています。私財を投じて、一晩で世界を回れるそりに乗って子供達に夢を配っている、すごいヒーローなのです。」

「・・・バットマンかサンダーバードみたいな話になってきたんだな。ぼくは冷戦時代に聞いたんだけどなあ。」
「ダンナー、どうしたの?」
「サンタさんはその当時『フィンランドに住んでいる』説が有名だったんだなあ。でも、冷戦時代のフィンランドは西側諸国ながら親ソ連政権だったので、『実はソ連のスパイではないか』という陰謀論まであったんだなあ。」
スパイ説!それは初耳です。

「今では毎年、NORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)という組織がだなあ、クリスマスの夜になるとレーダー追跡でなあ、サンタさんが世界のどこでプレゼントを配布しているかをホームページで報告してくれてるんだなあ。」
「それは有名よね。ある企業の『サンタさんとお話できる電話』の広告が、誤植でNORADの電話番号を載せたのね。そのため子供達の電話が殺到して、機転を利かせたNORADの人が、サンタさんの居場所を追跡して子供達にお話してくれたのが始まりだよね。」
「公式ではそう言われているんだがなあ、1980年代当時は、フィンランドからやってくるサンタさんがソ連のスパイである可能性を心配した米国側が、本気で追跡していたのではという噂もあったんだなあ。」
「おお、なんて壮大な陰謀説。陰謀説ってほとんどが出鱈目なんだけど、ママの知ってるクリスマスの陰謀説は、せいぜい『なんとか由実さんと宝飾品の会社が、恋人をサンタにしてしまった。』という説くらいよ。」
「・・・それは別の意味で恐ろしい陰謀説なんだなあ。」

「もしかしてサンタさんって本当は秘密結社なの?島根県の鷹の爪とどっちが強いの?」
「あ、あのアニメですか。赤い服にひげはやしてる点は確かに似ているけど。」
「お金があって、世界のよい子にプレゼントできるのはサンタさんなんだなあ。」
「サンタさんは子供達1人1人の趣味も結構正確に把握しているから、GAFAよりも巨大な情報網を持っているのよ。」
「悪い子にはプレゼントくれないんだなあ。1人1人の悪事まで知ってるのも、すごい情報網なんだなあ。サンタが町にやってくる、という有名なクリスマスソングがあるんだなあ。日本語版はおとなしい訳がついてるけど、原詩は強烈なんだなあ。『サンタは閻魔帳を2回チェックして、よい子だけにプレゼントをするので、気をつけろ。』って歌なんだな。」

すると坊主は驚いて聞き返しました。
「サンタってなまはげなの!」
「いいところに気づいたね、日本のなまはげと似ているのには、それなりの理由があるのですよ。実は、サンタさんは、北極圏にいながらも、一方で1人1人の心の中に自由に出入りできるのです。だから、世界各地の伝統と似ているのです。」
「さては過去のブログとつじつま合わせしようとしてるんだなあ。」
「1人1人の心の中に住めるという複雑な事情で、世界各国の民間団体も政府も、サンタさんの正体や住所を明かしてないようです。」

「サンタさんが来ない子は悪い子なの?」
「そうでもないよ。いい子なんだけどプレゼントをくれないことがある。それは、様々な理由があるんです。クリスマスじゃない日に届けることもあるし、眼に見える物ではなくて、うれしい出来事を別の日にくれることもある。」
「そうなんだな。いつか坊主が大人になったら、世の中のために役立つことを何かするんだなあ。他の人の幸せを考えられる人が増えると、サンタさんはもっと長生きするんだなあ。これがサンタさんの長生きの秘訣なんだなあ。」
「そうね、サンタさんもなまはげも、これからも長く続く伝統であって欲しいものです。世界中の人々に夢と幸福を与え続けてくれますように。そのためには、私たち大人も、もう少し頑張らなくちゃね。」

みなさんも、よいクリスマスをお過ごしください。


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