時の罪か自己の罪か㉗
雲 君子が世間のことに処して、自分の思うようにいかないとき、ためいきを
ついて、時代が悪いと言いますが、実におかしいことであります。何故意の
ようにいかないかと申しますと、自分にやましいところがないから、ついう
かうかいたします。行動に原則というものがあって、その原則からはずれる
と意の如く行われません。そして立派なことほど行われないのが普通であり
ます。行われないということを知りつつ行うのは真剣味が欠けておりますの
で、いずれ自分の罪であります。
水 自分の為す所が善いか悪いか、誠に十分であるか、あるいは不十分である
か、ということを己にかえって求めるということは、これは学問第一の工夫
で立派なことであります。しかしながら時勢というものがあって、その働き
方でどうにもならないことがあります。易というものはこの時世の変化を主
に論じたものですから、他の道徳の書物のように、己にかえって良心に求め
るというようなことばかりではありません。聖人と言われた孔子・孟子が世
にあわなかったというのは、たまたま生まれあわせた時世が悪かったという
理由があるのです。
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