大変な格差社会
格差社会と言われてもう久しい。
長く一億総中流と言われていた時代に私は現役を過ごしていた。経済力のことだと将来
自身が下流へ押し流されるのでないかと一抹の不安を抱えていたことは確かである。
資本主義社会では、格差が存在する社会である。しかし普通のサラリ-マンが此のこと
を認める人は少ないだろう。格差があるから自分は少しでも上に登りたいと活力がでる。
と、主義者は言うだろう。
人が格差を問題とするのは、当たり前だが、それをお金のあるなしが格差と見るからで
ある。人間の品格という言い方がある。「品格」の「格」は「格差」の「格」である。人
間の品格には格差がある。格差、格差というのならば、お金だけではなく、人の格の問題
も検討項目に入れなければならないだろう。しかし、誰も言わないこの社会こそ大きな問
題ではないだろうか。
お金を価値とする賤しい品性と、心を価値とする貴い品性と、どちらの格が上なのか、
これは明確なことである。
社会的平等が人間の平等だと勘違いする人間が現れる。欲望と権利と、嫉妬を正義と、
主張する賤しい品性が蔓延している様に思える。
なるほど職業に貴賤は存在しないと言われるが、明らかに貴賤があるようだ。また人間
には明らかに貴賤が存在する。金持であろうがなかろうが、賤しい人間は賤しく、貴い人
は貴い。こんな当たり前のことをあえて言うこともないのであるが、役付けの高い人やお
金が豊かな人ほど人間の品性が高くあるべきであるし、そう願いたい。
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