祖母の力
年寄りというものは、特別な存在である。その特別さは、何かを行うからといった行動とか
ある種の理由に根差しているとは限らない。
私は幼児の時からボ-ットした子供のようで会ったようです。大人と出かけると必ず「さっ
さと歩きなさい」と叱られます。何かが目の端に引っかかると、ボ-ットとなってそれを見て
いるから、急かされることになるのです。ところが祖母は、そうなっても叱ることはありませ
ん。私にとって、祖母と出かけるのは、楽しくて一番リラックスできることでした。
私がボ-ットなって何かを見ていると、祖母も止って一緒に待っていてくれます。しばらく
して、「もういいかい」と言って私達は手をつないで歩き出すのです。
祖母に手を引かれて歩いていて、また何かを見つけて「見てもいい」と聞けば、好きなだけ
見てもいいよと祖母は言ってくれます。「自分で何かを発見する」という力を与えてくれるだ
とすれば、祖母の愛情以外にはありえません。
「愛情というのは、子供の考えや行動に強引に介入しないこか・・・・」介入せずに保護し
て、その相手のなかに「なにか」が自然に育つ力が子供にはあるようです。我が国の親は子供
に介入し過ぎると言われています。介入が強すぎると子供の自主性が育たなくなってしまいま
す。
このただ見守っているだけと言う祖母の態度は父母には演じられにくい。両親はすぐに子供
に対して何かを押し付けるように言う。それは子供の成長のため、事故に遭わないためについ
つい言ってしまうのでしょう。勿論それは必要であり、子供に対する愛情からでしよう。だか
らこれらを否定しているのではありません。同時に祖母のような「おっとり」とした立場の人
間も必要と思います。
残念ながら現代はいつの頃からか、祖母や祖父と孫が一緒に生活できる環境ではなさそうで
す。それならば、両親が祖母の役割も演じなければならないでしよう。なかなか現実は難かし
いですが、一度立ち止まって考えてみることも必要かと思います。
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