小人乱に及ばざる法㉔・・・水雲問答
雲 国を治める方法となりますと、どれほど骨を折っても多少の弊害は免れません。
全く弊害なしに天下の大事を治めることはできないと思います。
水 私が昔、天下のこととなると全く弊害がないというわけにはいきませぬから、な
るべく弊害の少ない人を選んでこれにまかせますと、賢い人を選んでこれにまかせ
たのと大差がないと言ったことがありますが、このことであります。
雲 そこでどうしても多少の弊害をまぬがれないとすれば、その弊害の小さいものは
残しておいて、つまり重箱の隅をつつくようなことをせず、たいして害の小さいも
のは残しておいて、大弊の起きないようにすることが大切であります。そうすれば
つまらぬ人間も身をかくす所があって、どこかで呼吸ができますから乱を起こさな
いと思います。
水 この処きわめて意味慎重であります。
雲 特に大弊を出さぬように考えて、この意見を申し上げるのでありますから、とく
と吟味して下さるように・・・・。
水 感服至極であります。
商人の術を善用しては㉕
雲 悪知恵にたけた者が悪事を働くときに、たとえば五つのことをしようとすると倍
の十という。善人がこれと争って五に止めても、悪人の目標は元来五つであります
から彼の作戦に落ちたわけで、しかもその作戦を知ることができません。実に巧妙
であります。いまそれを善を行う道に転用して、善いことをこのように行いますと
裨益(ひえき)するところ定めて多いことでありましよう。
水 お説はいけません。君子と小人は水は氷と炭、香草と臭草のようなもので、正反
対でありますから、どうしても会いません。小人が作戦をたてて君子に挑戦する時、
君子の方でも小人の作戦をつかって彼に勝って善をしようとするのは、君子であり
ながら、実際は小人の作術を使うわけであります。事の善悪は違いますが、その心
術、事に処する精神がすでに誤っております。一度こういう方法をとって成功して
も、いつもこの方法をとるべきではありません。これは臨機応変に行うもので、恒
久の道ではありませぬから、よほど注意をして善処しなければなりません。つまり
これを原理・原則としてはいけないという議論であります。したがってこういう詭
道(きどう)に翻弄されるということは愚であります。
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