北野さんをあとにして二条城へやってきました~♪
北野さんから二条城へ行くのは。。。ン~~と。。。「三条京阪行き」のバスに乗って烏丸御池か烏丸四条で降りて地下鉄に乗り換えます。
地下鉄二条城前で降ります。
二条城は、1603年(慶長8年)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の祭の宿泊所として造営し、三代将軍家光が、伏見城の遺構を移すなどして、1626年(寛永3年)に完成したものです。1867年(慶応3年)15代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、ついで1884年(明治17年)離宮となり、1939年(昭和14年)京都市に下賜されました。2003年(平成15年)には築城400年を迎えました。(パンフより)
二の丸御殿(国宝)
二の丸庭園(特別名勝)
二の丸庭園は古来からの造庭術にしたがい、池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、小堀遠州の作と伝えられています。
庭は1626年(艦影3年)、池の南側に後水尾天皇の行幸御殿が建てられた際に改造されたといわれてる。(パンフより)
本丸庭園
本丸庭園は本丸御殿南側にある庭園で明治時代に作庭されたもので、天守閣跡は、この庭園の西南隅にあります。
清流園
清流園は江戸初期の豪商角倉了以の屋敷から、建物の一部と庭石約800個を譲り受け、これを元に二条城にふさわしく、雄大・明朗・風雅をモチーフに全国から集めた銘石300個と新たに茶室を加え1965年(昭和40年)に完成しました。
庭は、池泉回遊式の和風庭園部分と、芝生を主体にした洋風庭園部分からなり、面積約6500平方メートルあります。 (パンフより)
3~4年前にここ清流園で結婚式がありました。花嫁衣裳は十二単でした。
今も結婚式をされているかどうかはわからないけど、当時はもうちょい若かったらここでやりたかったなあ~~と。。。十二単を着るのはいくつになっても憧れですね。
2006年11月撮影。
二条城の写真が入っているファイルの中身はなぜか空っぽでした。ガーン!! きっとバックアップがうまく取れなかったんだと思うけど。。。今頃気がついて。。。ちょっとショック!! 当分立ち直れないです!
今回の写真は例によってHP用に縮小して画質も落としてあるので、ちょっと見苦しいけど。。。笑って許してね。
※ これで洛北方面の京都案内は終わります。
次は洛南方面です。 楽しみにしていてくださいね♪
北野さんから二条城へ行くのは。。。ン~~と。。。「三条京阪行き」のバスに乗って烏丸御池か烏丸四条で降りて地下鉄に乗り換えます。
地下鉄二条城前で降ります。
二条城は、1603年(慶長8年)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の祭の宿泊所として造営し、三代将軍家光が、伏見城の遺構を移すなどして、1626年(寛永3年)に完成したものです。1867年(慶応3年)15代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、ついで1884年(明治17年)離宮となり、1939年(昭和14年)京都市に下賜されました。2003年(平成15年)には築城400年を迎えました。(パンフより)
二の丸御殿(国宝)
二の丸庭園(特別名勝)
二の丸庭園は古来からの造庭術にしたがい、池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、小堀遠州の作と伝えられています。
庭は1626年(艦影3年)、池の南側に後水尾天皇の行幸御殿が建てられた際に改造されたといわれてる。(パンフより)
本丸庭園
本丸庭園は本丸御殿南側にある庭園で明治時代に作庭されたもので、天守閣跡は、この庭園の西南隅にあります。
清流園
清流園は江戸初期の豪商角倉了以の屋敷から、建物の一部と庭石約800個を譲り受け、これを元に二条城にふさわしく、雄大・明朗・風雅をモチーフに全国から集めた銘石300個と新たに茶室を加え1965年(昭和40年)に完成しました。
庭は、池泉回遊式の和風庭園部分と、芝生を主体にした洋風庭園部分からなり、面積約6500平方メートルあります。 (パンフより)
3~4年前にここ清流園で結婚式がありました。花嫁衣裳は十二単でした。
今も結婚式をされているかどうかはわからないけど、当時はもうちょい若かったらここでやりたかったなあ~~と。。。十二単を着るのはいくつになっても憧れですね。
2006年11月撮影。
二条城の写真が入っているファイルの中身はなぜか空っぽでした。ガーン!! きっとバックアップがうまく取れなかったんだと思うけど。。。今頃気がついて。。。ちょっとショック!! 当分立ち直れないです!
今回の写真は例によってHP用に縮小して画質も落としてあるので、ちょっと見苦しいけど。。。笑って許してね。
※ これで洛北方面の京都案内は終わります。
次は洛南方面です。 楽しみにしていてくださいね♪