お代表気まぐれ日記!

悪代表の袖の下日記→野球問屋、お主も悪よのう。いえいえ、お代表様ほどでは・・悪代表が剣の武士(選手)に成敗される日記です

今は数。

2010-06-14 22:27:00 | 指導者
今は話を聞かせるよりも量。
10分話を聞かせるより、1分話し9分体を動かさせるべきではないか。

体で覚えるとはよく言ったもので、
反復練習で体を動かし続ければ自然と動けるようになるのです。
特に小学生レベル。
反復練習に勝るものはないと思っています。

子供たちには意識を持て、考えろと言っていますが、一つの練習に意味を持たせるためです。
それが大人の難しい言い回しでは、子供に伝わらずにただ無駄に時間を費やすだけになってしまうように思います。

失敗は誰でもします。子供はとくに多いです。
そんなとき子供にかける言葉は有意義なものでなくてはなりません。

もちろん反復練習にも意識があるのとないのとでは全く成果が違います。
果たしてそれが10分話して意識につなぎ止められ、次への練習につなげることができるのか。
小学生レベルで。

その内容、話し方にもよりますが、
ある子は萎縮し次のステップに進めず、ある子はことばが右から左へと抜けていく。
つまり、長く話してもその子のためにもチームのためにもならない。
指導は簡潔に話し、実践経験を積ませて行くことの方が重要ではないか。
昨日の練習でそんなことを改めて感じました。

一昨日には試合中ベンチからの声に耳を傾けてる間に進塁を許してしまいました。
試合中では1分未満の選手に対する忠告がかなりの時間となり大きなミスにつながります。
これは完全に指導者の不注意です。

指導者の未熟さを反省し次につなげることを肝に銘じたい。

ひっくり返ったヘルメット

2010-06-10 23:55:00 | 指導者
よし、次はこの練習。
サブグランドに向かって歩く。
ネット裏には野球道具が並んでる。
が、、、、、。

新年度初めに練習の切れ目、休憩に入るとき必ず道具の整理をしようと子供たちと約束したはずでした。
確かに練習はじめはきれいに並んでいます。
ヘルメットを使った練習に入ると途端に並べられなくなる。

私を含め、大人に意識がない。
道具がどうなっているのか。まず、道具を大切にと言っている大人が気にとめなくてはいけない。
気付いたら公平性を持って注意しなくてはならない。
そして実行させる。

すべて大人の責任である。
今、養わせるべきことはそういうことではないかと私は考えています。

何やってんだ!自分!!
俺の弱さだ。
しっかりやれ大人たち。

しっかりやろう。


試されているのはどっち?

2010-06-03 23:00:00 | 指導者
我慢。

これは子供でなく、おとなのはなしです。
そうなのです。
今は大人が我慢しなくてはなりません。

我がチームは各学年に9名以上いるようなマンモスチームではなく1年から6年でやっと1チームできるようなこぢんまりしたチームです。
だから毎年春先からどんどん勝利のみを追い求められるチームではないと考えています。

なぜか長男がお世話になった頃からずっと続いてるようです。
その間全く人数が揃わなかった訳ではありませんが、年齢を空けて9名以上いた学年もありました。しかし、学年連続してというわけではないのでレベルにあった指導がどうしても行き届かないのです。
高学年には高度なことを低学年には基礎の基礎をといったように教えることができずに試合をしていかなくてはなりません。

ということは昨日捕り方をおしえてもらった子供が今日セカンドに入り牽制プレーをやらなくてはなりません。
できると思いますか?

そうですよね。できるわけがありません。
例えが極端だったのですが、実際試合に入るとそれに近いことを大人は子供に求めてしまいます。
ャWション特有の動きや考えをまだチーム内の練習の中では教えていませんし、まだそのレベルに達していない子供が大半です。
私たちが育ったときのように野球やサッカーしかなかった時代と違う時代に育っている子供たちです。低学年で野球のセオリーや動き方に興味をもって過ごしている子供たちはほとんどいないと考えるべきです。親子で野球の会話をする家庭も昔に比べれば少ないと思います。

教えていないことはできなくて当たり前。
おとなはそう気づかなくてはなりません。
その中で伝えられることは伝えていくべきです。
はじめは順序立てて丁寧に。

まぁこの考えはぬるいと考える方もいらっしゃると思いますが、わたしはそう考えます。
ですから指導者も親御さんもチームメイトもここは焦らず堪えて教えていないことを求めず、次に教えなくてはいけないことを考えていってほしいと思います。そして次に教えることを子供たちに理解会得してもらうためにどうすればよいのかを考え工夫してもらいたいです。ぜひその場限りでなく計画を持った提言を。そして協力を。

鳩山総理が辞するとき発言した「この地位に就くと孤独であり」という言葉に実感したわたしです。
そういえばむかし前監も言っていたなぁ(-_-)

変わったものは

2010-04-07 22:30:00 | 指導者
新生剣がもうはじまりました。
リーグ戦に大田区大会。
まだまだゲームのできるチームではないんだけど
試合は待ったなしにやってくる。

試合のしの字も教えていないのに。
しかし教育リーグでやっていただけはあるのか
何とか試合が成り立っている。
子供たちはがんばっている。

今、私は子供たちにお願いし求めているものがある。
それは最後まで声を出し元気を出して試合を終えること。
最後までです。
声を出すことは誰でも出来る。
これだけは守ろうやろうと言っている。
未だにやり遂げられないでいる。
簡単なことなんだけどと大人は思うが子供には一時間半それを意識して続けることは大変なんだろう。無意識で出来るようになればいいのだが。

大人がそのくらいと思うことが子供には大変なことがいっぱいある。
特に試合中は。

私は新しいチームになって変わったのは子供ではなく大人だと開幕戦で思った。
指導者の声鰍ッや声のトーンが明らかに違うと感じた。
自分が指導者としてチームに入った時の頃を思い出した。
あのくらいできるだろう。
なぜこれやらないんだ。
何やってんだ。
段々声を荒げていった記憶がある。
幸い私より激しい方がいらっしゃったので冷静になれる機会がもてましたが。

はっきり言って大人からすればイライラすることがほんと沢山ある。
特に経験者や知識のある大人たちはである。
ついつい自分と同じレベルの行動を求めてしまう。
子供は注意力も散漫ですし能力も知識も少ない。
同じ過ちを何度も繰り返す。
そういうものです。

それを分かった上で今どのように声をかけ、あとでどういう風に指導したらいいのかを常に考えていくべきだなぁ改めて実感しました。
またこのように感じ取れるのは自分の子供がいなくなったからこそかもしれません。
冷静でいよう、平等でいようといつも考えていたのですが実際今とは感覚が違ったのかなぁとも思います。いつも考えていたという時点でもう平常心ではなかったのかもしれませんが。

とにもかくにもこの人数の少ないチームがやっていくべき事は、先を見据えて今やるべきことは何なのかを考え、それに向かって一歩一歩着実に進むことだと思います。
目先のことに囚われずに。

指導者の改革

2009-12-17 23:36:00 | 指導者
先日、倅と昔のビデオを観ていたら
白井一幸さんがこのようなことをおっしゃってました。

指導者は大事なことを失敗しないと期待する ⇒ 選手が失敗する ⇒ ほらっ!失敗したと怒り練習させる ⇒ 選手は次回も失敗を恐れ萎縮してしまう ⇒ また失敗する

つまり結果に対しての叱責が選手を萎縮させ、また失敗すると言うのです。

確かにその通りです。
分かっているのですがね。

こんな風にも言っています。

怒ったり注意したりすることが指導者の頑張りだと思っているが実は指導者が頑張って注意すればするほどそれが失敗の可能性を植えつけていると。

そうなんです。指導者はそれが頑張ってることだと思い込んでいるんです。
では何をすればいいか?

失敗した選手を励まし続けることなんです。

これが未熟者の私には大変です。
出来るだけ平静を装っていますが自分との戦いでもあります。
しかし心から子供たちに頑張ってくれと思えば、苛立ちも薄れ次行けよと思えてくるのも事実です。

また、失敗を責めるのではなく励まし続ければ、ミスは選手が一番よく分かっているのだから選手は自発的な練習を始めるというのです。

小学生にそこまでは求められないですが、基礎練習などでこんな風景を見ます。
よしやろうぜ!といってやる子はドンドン練習をこなしていきますが、いやいやだったり意図を理解しないでやっている子どもは一つの事に時間が鰍ゥったり、全く意味の無い動きをしていたりするのです。

自分でミスを分析させて練習に取り組ませることは
確かに大切でいいことだと思いますが、小学生には難しいので
ここは大人が簡潔に説明をしてあげ理解をさせ練習に取り組ませると良いと思います。

プロの選手もそうだと言っていましたが、やる気のある練習は全然疲れないようですね目的意識があるので。

子どもも楽しい練習は元気になりますからね。

ただし失敗を怒るのと礼節や怠慢なプレーについて怒るのとでは違いますので、ここら辺も注意しなくてはなりませんね。