今日もまた手賀沼へ行く。大津川から手賀沼へ出て、いつものように退屈なサイクリングロードを走り、下手賀沼付近の丘陵地帯へ向かったよ。
ここは印西市浦部にある観音寺という天台宗のお寺の本堂だ。
小さな弁天池の真ん中に弁財天。
二体のお地蔵さん。
こちらは仁王門だよ。
仁王門の左右に立つ仁王像。乳のない「浦部の乳なし仁王尊」として知られているそうだ。なかなか立派な像だね。なんでも運慶作といわれている。
それぞれの仁王像の前には乳房を模った絵馬が掛かっているよ。乳の出がよくなるようにと願いをこめたものであるらしい。
立ち並ぶ新旧の墓石の中にはかなり古い如意輪観音も見られる。ここでも十九夜講が盛んに行われていたことがわかる。
仁王門の先の石段の上には、江戸初期に建立されたという古刹、観音堂が木々に囲まれてひっそりと立つ。
なかなかいい雰囲気の観音堂だ。あたりの空気がしんと張り詰めているみたいだよ。
観音堂の左右にはさらに上へ向かう石段があり、上の道にでる。
左手の石段の途中から観音堂の屋根と右手に本堂が眺められる。
こちらは先ほどの仁王門だよ。
右手の石段を上がると、観音堂のこんな素敵な姿が眺められる。
観音堂欄間の彫刻。
観音堂正面と色づいた銀杏の木。明るいがとても静かな眺めだよ。腰を下ろしているジーパンにジャンパー姿はこちらの住職だけど、今はご子息に代を譲っているので、正確にはもと住職だ。
みみ爺が寺を訪れたとき、この出で立ちで熊手と竹箒で境内の掃除をしていたんだ。で、みみ爺はてっきりこの寺の雑事をこなしている寺男だとばかり思っていた。しかし、はなしてみると、実は大変学識のある和尚さんだったんだよ。
…いまどき寺男を置いておけるほど儲かっている寺はめったに無いだろうね。
「箒を持って寺の掃除をしない住職は本当の住職じゃない」
と言って、ガッハハと笑う。
「いい観音堂ですね」
観音堂の前でみみ爺が言うと和尚は、
「この観音堂はね、中でお経をやっているのをここで聞くのが一番いいんだ」
「じゃあ、お経やってください。お願いします」
冗談に言うと、
「だめだ、だめだ、俺はもうやらない。もう引退したんだ」
と、あわてたように手を振る。
この観音堂の柱は、檜ではなくあすなろの木が使われているという。
「“明日は檜になろう”の、あすなろの木だ」
和尚さんの話では、この観音堂は、上杉家のお姫様が持っていた内陣だったそうだ。
観音堂の中には、和尚さんが読んだという仏教や道教の書物がたくさん保存されていたよ。
「こっちが大蔵経の本だ。で、こっちが道教。道教は全然読まなかったよ。大蔵経は勉強した」
「これを読んだんですか!」
「俺は嘘は言わない。読んだから傷んでいるだろう」
「仏像見るより、経典をこうして触るほうがご利益がある。経典の功徳だ」
和尚さんのまねをして、傷んだ本の背表紙を撫でるように触れる。これで功徳があるだろうか。
みみ爺は棚から一冊抜き出して中を開いてみたが、見ただけであきらめた。漢文は苦手だ。大学では文学部だったのに。
和尚さんは言う。
「昔は読んだが、今見てもわけがわかんねえ」
みみ爺は思わず噴出してしまう。和尚さんは正直だ。
観音開きの扉の奥に本尊の十一面観音が保存されているそうだ。
「扉を開けると洪水が起きる。そう言われている」
だから扉は開けないのだという。
「…しかし仏像を見て何がわかる」
と、以前学校で教えていたことがあるそうで、和尚さんの口調が突然教壇で学生たちに語る口調になったのでおもしろい。そのおもしろい口調で、難しいことを言う。
「仏像は世の中を見ている。仏像が見ている世界が仏の世界だ。だから仏像の眼になって世の中を見ろということだ」
和尚さんはまたこんなことも言う。
「お経を上げていると、ここにある仏像がみんな立派に見えて来るんだよ。不思議だ」
この絵は和尚さんが敦煌で買ってきたのだそうだ。
「敦煌はいい。また行きたいね」
「大太鼓も中国から買ったものだよ」
和尚さんは撥を持って太鼓を打って見せてくれた。腹に響く大きな音が不意に静けさを破ったのでみみ爺はびっくりした。
和尚の話は尽きることが無い。すでに1時間半は過ぎている。みみ爺はすっかり体が冷え切ってしまったので失礼することにした。
「また話を聞かせてください」
「いないかもしれない」
「どこにいるんですか」
「温泉だ」
「草津のですか」
「そう。逃げるんだ」
誰から逃げるのか何から逃げるのかわからないが、草津には和尚さんの知り合いがいて、しょっちゅう出かけるらしい。行くとしばらくは帰ってこないようだ。
「どこか悪いんですか。湯治ですか」
「頭は悪いが、湯治じゃない」
ありがとうございましたと礼を言うと、
「正月には来てください」
と和尚さん。
さて、自転車に乗って少し走ると、後輪に違和感を感じた。路面からの振動がいつもより強く伝わってくる。
自転車を止めてタイヤを見ると、完全に空気が抜けたわけではないがだいぶ少なくなっているようだ。どうやらパンクだ。時間をかけて少しずつ空気が抜けていくパンクのようだ。
たまたま今日に限って幸い空気入れを持ってきていた。本当に不思議だ。最近寺々を回っているご利益か、時間的にそれは無いと思うが先ほどの「経典の功徳」のおかげなのか、本当に不思議だよ。普段は持ち歩かないのに、今朝出がけにふと、持って行ったほうがいいかなと思ったんだ。
パンパンに空気を入れると走れなくはなさそうだった。しかし20~30分も走ると空気が減ってくる。
家に着くまでに何度か空気を入れなおして無事に帰ってくることができたよ。
<尚、和尚さんの写真の掲載は許可を得ています>
ここは印西市浦部にある観音寺という天台宗のお寺の本堂だ。
小さな弁天池の真ん中に弁財天。
二体のお地蔵さん。
こちらは仁王門だよ。
仁王門の左右に立つ仁王像。乳のない「浦部の乳なし仁王尊」として知られているそうだ。なかなか立派な像だね。なんでも運慶作といわれている。
それぞれの仁王像の前には乳房を模った絵馬が掛かっているよ。乳の出がよくなるようにと願いをこめたものであるらしい。
立ち並ぶ新旧の墓石の中にはかなり古い如意輪観音も見られる。ここでも十九夜講が盛んに行われていたことがわかる。
仁王門の先の石段の上には、江戸初期に建立されたという古刹、観音堂が木々に囲まれてひっそりと立つ。
なかなかいい雰囲気の観音堂だ。あたりの空気がしんと張り詰めているみたいだよ。
観音堂の左右にはさらに上へ向かう石段があり、上の道にでる。
左手の石段の途中から観音堂の屋根と右手に本堂が眺められる。
こちらは先ほどの仁王門だよ。
右手の石段を上がると、観音堂のこんな素敵な姿が眺められる。
観音堂欄間の彫刻。
観音堂正面と色づいた銀杏の木。明るいがとても静かな眺めだよ。腰を下ろしているジーパンにジャンパー姿はこちらの住職だけど、今はご子息に代を譲っているので、正確にはもと住職だ。
みみ爺が寺を訪れたとき、この出で立ちで熊手と竹箒で境内の掃除をしていたんだ。で、みみ爺はてっきりこの寺の雑事をこなしている寺男だとばかり思っていた。しかし、はなしてみると、実は大変学識のある和尚さんだったんだよ。
…いまどき寺男を置いておけるほど儲かっている寺はめったに無いだろうね。
「箒を持って寺の掃除をしない住職は本当の住職じゃない」
と言って、ガッハハと笑う。
「いい観音堂ですね」
観音堂の前でみみ爺が言うと和尚は、
「この観音堂はね、中でお経をやっているのをここで聞くのが一番いいんだ」
「じゃあ、お経やってください。お願いします」
冗談に言うと、
「だめだ、だめだ、俺はもうやらない。もう引退したんだ」
と、あわてたように手を振る。
この観音堂の柱は、檜ではなくあすなろの木が使われているという。
「“明日は檜になろう”の、あすなろの木だ」
和尚さんの話では、この観音堂は、上杉家のお姫様が持っていた内陣だったそうだ。
観音堂の中には、和尚さんが読んだという仏教や道教の書物がたくさん保存されていたよ。
「こっちが大蔵経の本だ。で、こっちが道教。道教は全然読まなかったよ。大蔵経は勉強した」
「これを読んだんですか!」
「俺は嘘は言わない。読んだから傷んでいるだろう」
「仏像見るより、経典をこうして触るほうがご利益がある。経典の功徳だ」
和尚さんのまねをして、傷んだ本の背表紙を撫でるように触れる。これで功徳があるだろうか。
みみ爺は棚から一冊抜き出して中を開いてみたが、見ただけであきらめた。漢文は苦手だ。大学では文学部だったのに。
和尚さんは言う。
「昔は読んだが、今見てもわけがわかんねえ」
みみ爺は思わず噴出してしまう。和尚さんは正直だ。
観音開きの扉の奥に本尊の十一面観音が保存されているそうだ。
「扉を開けると洪水が起きる。そう言われている」
だから扉は開けないのだという。
「…しかし仏像を見て何がわかる」
と、以前学校で教えていたことがあるそうで、和尚さんの口調が突然教壇で学生たちに語る口調になったのでおもしろい。そのおもしろい口調で、難しいことを言う。
「仏像は世の中を見ている。仏像が見ている世界が仏の世界だ。だから仏像の眼になって世の中を見ろということだ」
和尚さんはまたこんなことも言う。
「お経を上げていると、ここにある仏像がみんな立派に見えて来るんだよ。不思議だ」
この絵は和尚さんが敦煌で買ってきたのだそうだ。
「敦煌はいい。また行きたいね」
「大太鼓も中国から買ったものだよ」
和尚さんは撥を持って太鼓を打って見せてくれた。腹に響く大きな音が不意に静けさを破ったのでみみ爺はびっくりした。
和尚の話は尽きることが無い。すでに1時間半は過ぎている。みみ爺はすっかり体が冷え切ってしまったので失礼することにした。
「また話を聞かせてください」
「いないかもしれない」
「どこにいるんですか」
「温泉だ」
「草津のですか」
「そう。逃げるんだ」
誰から逃げるのか何から逃げるのかわからないが、草津には和尚さんの知り合いがいて、しょっちゅう出かけるらしい。行くとしばらくは帰ってこないようだ。
「どこか悪いんですか。湯治ですか」
「頭は悪いが、湯治じゃない」
ありがとうございましたと礼を言うと、
「正月には来てください」
と和尚さん。
さて、自転車に乗って少し走ると、後輪に違和感を感じた。路面からの振動がいつもより強く伝わってくる。
自転車を止めてタイヤを見ると、完全に空気が抜けたわけではないがだいぶ少なくなっているようだ。どうやらパンクだ。時間をかけて少しずつ空気が抜けていくパンクのようだ。
たまたま今日に限って幸い空気入れを持ってきていた。本当に不思議だ。最近寺々を回っているご利益か、時間的にそれは無いと思うが先ほどの「経典の功徳」のおかげなのか、本当に不思議だよ。普段は持ち歩かないのに、今朝出がけにふと、持って行ったほうがいいかなと思ったんだ。
パンパンに空気を入れると走れなくはなさそうだった。しかし20~30分も走ると空気が減ってくる。
家に着くまでに何度か空気を入れなおして無事に帰ってくることができたよ。
<尚、和尚さんの写真の掲載は許可を得ています>