今日は、いわゆる「旅行」という意味での旅のことではない。
みみ爺は5月で68歳になる。この年になると、友人、知人、親兄弟など、周りの者が一人二人とこの世を去っていく。また、あるいは認知症で、あるいは重い病で病院や施設に入っていく。
この日みみ爺は北柏の、ある施設に入所している知人を訪ねたんだ。
北総線沿いの国道464号の歩道の上から久しぶりに金山落を眺めた。金山落とは川の名前だよ。冬に見た時とはすっかり変わっていた。季節は春で、景色には喜びと明るさが加わっている。この景色に出会えたことはうれしい。
手賀沼に向かう大津川の土手の上の道だよ。菜の花に囲まれた細道だ。自転車一台がやっと通れる道だ。
手賀沼の眺めもどこか明るい。気持ちのいい広がりだよ。
人生も、つまるところたった一人、こうした景色ばかりならいいんだがね。
人との交流が苦手な知人は一日中個室の中にとどまっている。私の顔を見てもすぐには思い出せない様子だった。いつも明るく笑っていた知人だが、今日は少し暗い表情をしていた。毎日退屈だという。
施設の駐車場には車が少ない。施設の人に聞くと、面会に来る人はあまりいないという。ここにいる者は病院とは違い、おそらく治る見込みのない老人たちばかりだ。自分たちには介護ができないと、ある意味身内から見放されたような老人たちがほとんどだ。
食堂やホールに集まっている老人たちは、互いに会話をするでもなく、ただ椅子に座っているだけのように見える。頬杖を突いていたり、窓の外をぼんやり眺めていたり、どれもこれも一人の世界にうずもれた姿だ。隅のほうでテレビが映っているが、それを見ているものもなく映像と音声がむなしく感じられる。
一人旅とは、深い言葉だ。
みみ爺は5月で68歳になる。この年になると、友人、知人、親兄弟など、周りの者が一人二人とこの世を去っていく。また、あるいは認知症で、あるいは重い病で病院や施設に入っていく。
この日みみ爺は北柏の、ある施設に入所している知人を訪ねたんだ。
北総線沿いの国道464号の歩道の上から久しぶりに金山落を眺めた。金山落とは川の名前だよ。冬に見た時とはすっかり変わっていた。季節は春で、景色には喜びと明るさが加わっている。この景色に出会えたことはうれしい。
手賀沼に向かう大津川の土手の上の道だよ。菜の花に囲まれた細道だ。自転車一台がやっと通れる道だ。
手賀沼の眺めもどこか明るい。気持ちのいい広がりだよ。
人生も、つまるところたった一人、こうした景色ばかりならいいんだがね。
人との交流が苦手な知人は一日中個室の中にとどまっている。私の顔を見てもすぐには思い出せない様子だった。いつも明るく笑っていた知人だが、今日は少し暗い表情をしていた。毎日退屈だという。
施設の駐車場には車が少ない。施設の人に聞くと、面会に来る人はあまりいないという。ここにいる者は病院とは違い、おそらく治る見込みのない老人たちばかりだ。自分たちには介護ができないと、ある意味身内から見放されたような老人たちがほとんどだ。
食堂やホールに集まっている老人たちは、互いに会話をするでもなく、ただ椅子に座っているだけのように見える。頬杖を突いていたり、窓の外をぼんやり眺めていたり、どれもこれも一人の世界にうずもれた姿だ。隅のほうでテレビが映っているが、それを見ているものもなく映像と音声がむなしく感じられる。
一人旅とは、深い言葉だ。
そのお友達、孤独なのですね。
多分、おいらの行く末も似たようなものか、あるいは孤独死の腐乱死体か、ミイラ化死体で発見されるような気もします。
とにかく、連れ合いは本当に大事ですし、ご家族も同居か近所にお住まいならばそんな事もないかと。 うらやましい限りです。 あと、アウトドアで何年位遊べるのでしょう。 遊べるだけ遊びましょう。