出歯亀事件(上)風呂屋帰りの美人が絞殺…女湯のぞき常習・亀太郎の犯行か
のぞき魔のことを「出歯亀(でばかめ)」と呼ぶ。平成の昨今、あまり使われなくなったが、手元の広辞苑(第6版)でも「明治末の変態性欲者、植木職の池田亀太郎に由来」との記述がある。出っ歯の亀太郎を短縮したこの言葉は、事件の犯人像がおもしろおかしく伝わって国中に浸透した。はてさて、100年以上も前に起きた超有名な事件とは?
■東京・西大久保
明治41(1908)年3月22日の午後8時半ごろ、東京府豊多摩郡大久保村西大久保(現在の東京都新宿区大久保付近)の風呂屋「森山湯」ののれんが内側からめくられ、着物に羽織姿の、みめ麗しき女性が現れた。小柄で色白、目がぱちくりとしたその姿は、ほかでもない、近所でも美人の新妻と評判の幸田エン子(28)だ。
おしろいで薄化粧を施してはいるが、体からはまだ湯気がシャボンの香りとともに立ち上がり、ほおも赤く火照って、いっそう色香が漂う。夜も遅く、辺りは人の姿も見えない。エン子はせっけん箱をカタカタとならしながら、家路へと急いだ。
■「遅い」と心配する叔母
エン子は、前年3月に下谷電話交換局長、幸田恭(きょう、32)に嫁ぎ、風呂屋から南方に500~600メートルほどのところに、恭の弟で大学生、恕(じょ、20)と恭の叔母、タカ(57)の4人で住んでいた。
「遅い、ちょっと見てくる」。
もう夜の9時を回っている。1時間経っても戻ってこない。おかしいと感じたタカが森山湯に迎えに行くも、風呂屋の主人は「奥さんなら先刻、お帰りになりました」と首をかしげる。さては行き違えたかと家に戻ってもいない。知り合いに心当たりの場所を探ってもらったが、見当たらず、そのうちに夜中の12時を回ってしまった。
ようやく巡査派出所に訴え出ると、巡査2人や幸田家の者たちで捜索を開始。午前2時に森山湯から少し南の道にげたが片方ずつばらばらに落ちているのが見つかったことから、付近の本格捜索が始まり、とうとうそのそばにある300坪ほどの空き地の奥に立つ青桐の根元であおむけに倒れているエン子を発見した。
■暴行の痕跡
巡査が体を調べたところ、身に着けているものに異常はなく、体にも傷はなかったが、口にはぬれ手ぬぐいが押し込まれ、これが原因で窒息しているようだった。そして、暴行された跡がはっきりと残っていた。
直ちに新宿署、そして東京地方裁判所にも伝えられ、遺体は帝国大学医科大学(現東京大学医学部)に送られた。
エン子は当時、妊娠5カ月。幸田一家では子供の生まれるのを待ち望み、大事に大事と体をいたわっている矢先だった。風呂にも、いつもは明るいうちに出かけるのだが、この日は都合がつかず夜になり、凶行の犠牲になってしまった。エン子は再婚でもあり、しかも高級官僚と結婚したとあって世間では格好の噂の種となったようだ。
■女性を追い回す不審者あり
大久保村付近は、2月ごろからは、物騒だということで新宿署から角袖巡査(私服刑事)2人ずつが毎晩警戒している最中の事件だった。
捜査は、4月4日、犯人だと自白するものが現れて急展開した。エン子殺害の容疑がかかったのは、被害者宅から1キロほどしか離れていない所に住む植木職兼とび職の池田亀太郎容疑者(35)。69歳の母、23歳の妻、2歳の娘と同居している。
警察の調べで、亀太郎が日頃から女性をつけ回しているという噂があったため、3月31日正午に新宿署で取り調べを始めた。当初の取り調べでは一向に要領を得なかったため、旧刑法にあった「違警罪」(軽微な犯罪について警察署長が処罰を即決できた)により、まず10日の拘留処分とした。
さらに素行を調査する中、亀太郎の性癖には怪しい点が少なくないため、さらに厳しく糾問すると、とうとう4日午前8時40分、にエン子を死なせた一部始終を語り始めた。
■酒の勢いで風呂屋の隙間から
自白によると、亀太郎容疑者は、酒癖に加え、風呂屋をのぞくクセがあり、何度となく風呂屋帰りの女性の後をつけ、いかがわしいことをしようとしたこともあったが、一度として目的を遂げたことはなかった。亀太郎容疑者は、3月22日は、付近の解体家屋の後片付けを午前8時から午後5時ごろまでやり、家に帰る途中の居酒屋で焼酎コップに5、6杯あおった。
7時ごろに店を出たが、いつもの悪い癖がでて、より道をして例の森山湯こと「藤の湯」の前に立ち寄った。隙間からのぞき見ると、まさに風呂からエン子が上がってくる姿が見え、良からぬ気持ちになった。
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